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ショートショート『Life is book』

 ペンを握って、言葉を綴る。人類はそこに深い意味を求め続けてきた。僕もそうだ。僕だって言葉を綴る行いに深い意味や価値を求めている。だが、その意味や価値とは何なのか、本当のところわかってはいない。だからこそ、僕は小説家になった。


 あの頃の僕は小説家としてはそこそこの成功をおさめていた。時間を見つけて新しい小説を書く。小説のアイディアに困った時は映画を見たりして使えそうな要素を探す。映画からも学ぶことは多いからだ。良いアイディアが浮かんだら、時間を見つけてすぐに書く。それを繰り返す毎日。点と点を結んで出来上がる物語は、自分でもワクワクした。面白いと思えた作品を書き溜めて、書き溜めて、納得のいく物ができたら世に出す。そんな日々を過ごした。


 それは突然のことだった。僕の前に黒いワンピースを着た、一人の女性が現れた。

「あなたは、もう間も無く、死ぬ」

「君は誰?」

 彼女は死後の世界から僕を迎えにきた死神だった。死神は死の宣告に動揺する僕に僕が死ぬ期日を記した用紙と一冊の本を手渡して、すぐにどこかへ消えた。


 突然の死の宣告は僕の心を蝕んだ。そんな、どうして今なんだ。僕にはまだ、やりたいことが沢山ある。なのに、どうして。どうして。そう思った。気持ちを落ち着かせるためにお茶を飲み干すと死神から受け取った一冊の本が目についた。そういえば、これはなんだと思って、表紙を開く。


 タイトルは『作家の人生』。恐る恐る次のページを開いた。目次だ。目次では、作家の人生を幼少期から死ぬまでを細かに章分けされていた。第一章のページを開いて読む。読んでいるとあることに気がついた。これは僕自身の人生を記した本だ。自分が経験してきた出来事が事細かに書かれている。そんな。自分の人生は最初から全て決まっていたのか。そう思いながら、自分の人生を読み進めていく。やがて、ここ数日間についてのページに入り、自分の死に方が記されたページに辿り着いた。

ーー 階段から滑り落ちて亡くなる。

そこから後の数百ページは全て白紙だった。

「ああ、そんな。そんな……」

 

 その死に方は呆気ないものだった。こんな死に方を自分で受け入れられない。許せなかった。だから僕は、ペンを握って、本の記述に斜線を引き、余白のページに違う死に方を書き加えた。

ーー 車から子供を助けようと庇うが、自分がはねられて亡くなる。

「あなた、自分が何をしたかわかってるの?」

 いつの間にか、背後に数時間前の死神がいた。

「どういうこと?」

「その本を書き換えるということは、あなたの人生そのものを書き換えるということ。だから、あなたの死に方はたった今変わった」

「えっ?」

「冥界のルールでこれ以上は何も言えない。それでは、また」

「ねえ、待って!」

 そうすると、死神は消えた。


 この本の内容を書き換えると、自分の人生に影響が出る。だとしたら、数日後に僕は子供を庇って死んでしまう。僕は半信半疑で書き加えた。

ーー 子供を庇って車にひかれるが、一命を取り留める。

 果たしてこれで、本当にそうなってしまうのか。不安になりながら数日を過ごし、やがてその日が訪れた。


 普段通りに歩いていたが、午前中は特に何事も起こらなかった。だけど、午後になって横断歩道を渡ろうとした時、信号無視の車が早いスピードでこちらに向かってきた。目の前には一人の子供。僕は咄嗟の判断で子供を助けようと子供を背中から突き離して横断歩道の向かい側の安全な所へと渡らせた。一方で、僕は子供を助けるのに夢中になって、そうしたら車にはねられていた。


「よかった。もう大丈夫ですよ」

 数日後、僕は意識を取り戻し、医者がこう言った。流石に数週間ほどの入院は余儀なくされたが、命に別状はなかった。やはり、あの本に書き加えた通りに物事が進んだのだった。僕は死の瞬間を書き換えてしまった。運命というものを書き換えたのだ。数週間かけて怪我を治し、退院した。自宅に帰ると、机には死の期日が記された用紙が無くなり、あの本だけが置かれていた。

「こんなもので人生が決まるのか……」

 この本に言葉を書き加えること、それはつまり自分の人生に出来事を付け加え続けるということだった。これに自分が死ぬ瞬間を書かない限りずっと生き続けられるだろうし、逆に自分の人生を好きなタイミングで終えることができる。なかなかに恐ろしい力を手にしてしまった。ここに書いたことは自分に関することであれば、なんでも現実になる。歴史に名を残す作家にもなれるし、どこかの国のトップにだってなれる。それを理解した瞬間、怖気付いた。

「怖気付いたの?」

 すると、またしても目の前に死神がいた。

「あなたはその本の力で死を免れた。やはり、怖いのでしょ?」

「そうだ。僕はこれを持つのが怖い」

「じゃあ、どうする?」

 僕は彼女に本を差し出した。

「残念ながら、その本をもう我々の手で管理することはできない」

「そんな……」

「あなたの人生はあなたの手で決めて」

「どういうこと?」

「その本はあげるわ。自分の人生を好きに生きてね」

 そう言うと彼女はどこかへと消えた。

 僕はしばらく考えた。考えたことをメモ帳にメモしてみたり、頼れそうな人に話を聞いてみたりもした。そうしているうちにこれを正しく使えば、自分が悪いことを望まなければ、良いだけの話だと納得できた。僕は自分の人生をこの本に書き足し続けることにした。生涯終わることのない執筆の始まりだった。


 あの本を手に入れてからかなりの月日が経った。だいぶ年老いてしまったが、自分のやりたいことはやり尽くしたと思っている。だから、二週間前、この本に最後の書き足しをした。

ーー 二週間後に老衰で亡くなる。

 書き加えた瞬間、背後にあの時の死神がやってきた。会うのは数十年ぶりだったが、彼女の姿は数十年前と全く変わらなかった。

「ずいぶん、長生きしたのね」

「ごめん」

「まあ、良いけど」

「なあ、ちょっと話をしないか?」

「良いけど」


 僕と死神は縁側に腰掛けて、ゆっくりとお茶を飲んだ。

「どう、自分の人生を書き加え続けた人生は?」

「まず、作家としてずっと生活できるようにと書き込んだよ。まあ、作品を書き続けるのは大変だったけど、おかげで満足のいく作品が作れたよ」

「そう」

 それから僕は自分があの本に書き記して、過ごした人生を死神に全て伝えた。彼女は心なしか楽しいそうに、話を聞いてくれた。

「ありがとう。話を聞かせてくれて」

 死神は飲み干したお茶を横に置くと、会釈をした。

「君のおかげで、いろいろなことができたし、気づくものがあった」

「そう、だけど、一つだけ気になることがある。全てを思い通りにできる力を持っておきながら、どうして自分のやりたいこと以外望まなかった。他のやつならきっと欲に負けて、取り返しのつかないことになってたかもしれない。なのに、どうしてあなたはそのままでいられたんだ?」

「それは簡単なことだよ。人として道理からは外れたことはしたくなかったからだよ」

 僕は彼女に本を差し出した。

「これは、あなたが死んだ後で回収する。それまでは持っていて」

「そうか」

「あなたで良かった」

 彼女はにこりと笑うと、どこかへと消えた。彼女には彼女の仕事があるのだろう。


 一週間かけて僕は、手元にあった物を全て整理した。本はとりあえず、書斎の机に置いておいた。自分の人生を自分で決めて多くのことがあった。自分でコントロールした嬉しいことも自分ではコントロールできない悲しいことも。自分の人生を自分で決めていくのは大変だったが、なかなか楽しいものだった。あの日、あの本を渡されてから数十年経ってそう思う。


 死神と会ってから二週間が経った。いよいよ体全体から力が抜けていくような心地がする。家族や仲間が、僕のことを心配してくれた。安心して欲しい、僕は大丈夫だよとみんなに伝えた。みんなはとても心配そうにだけど穏やかに僕の最期を見届けてくれると思う。今僕は最後の力でこの文を書いている。自分の人生の大事なところを記録に残しておきたいからだ。あの本には僕の全てが記されているが、やがて死神が取りに来てくれる。だからこそ必要なのだ。これは誰が読むものでもない自己満足のための物だ。だが、もしこれを例えば、あなたが読んでいたとするならば、あなたは何を思うだろうか。

 ペンを握って、言葉を綴る。人類はそこに深い意味を求め続けてきた。僕もそうだ。僕だって言葉を綴る行いに深い意味や価値を求めている。だが、その意味や価値とは何なのか、僕は、ようやくわかった気がする。それは自分の人生を決め続けるということだ。少なくとも僕の中ではこういう結論だ。これを読んでいるあなたはこの問いかけにどう答えるのだろうか。

 自分なりの答えをぜひ考えてみて欲しい。僕は、あなたの出す答えが楽しみである。向こうの世界でいつかあなたの答えを聞きたい気もするが、それはやめておくよ。それでは、お別れするとしよう。

 ありがとう。

(完)

 この作品は第18回坊っちゃん文学賞応募作品です。

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