『魔法免許』 第4話 魔法道具店(前半部分)
「いらっしゃいませ」
この店には、大きな悩みを抱えたお客さんたちがやってくる。
「すみません、トマトを短時間で成熟させるための道具はありませんか?」
例えば、こんなお客さん。グレーのスーツにかっちりとした髪型。手には白い粉がついている。おそらく学校の先生だろう。授業か何かで使うのかもしれない。私はこの店の品物リストをさっと眺める。
「ありますよ。植物を急速成長させる魔術を込めた薬品です。強力ですよ。一滴垂らすだけで成熟期にまで成長させることができます」
私はカウンターを立って商品棚からその薬品を一瓶取り出す。それから、お客さんにそれを差し出した。
「こちらになります」
お客さんはそれを受け取って瓶を見回した。
「買います」
「ありがとうございます」
その人は代金を払うと安心したような表情で店を出た。私はその後姿を目で見送った。姿が見えなくなったところで頬杖をついて少しため息をする。いつもこんな感じだ。この店はお客さんにとってかなり必要な時以外は使われない。急いでいるからなのかありがとうの言葉をもらったことは一度もない。そして、あの人が帰ってくることもない。私は一体、何のためにこの店をやっているのかわからなくなる。
すると、再びドアが開かれた。
「いらっしゃいませ」
現れたのは店の近くにある高校の制服を着た男の子。制服に着られている感じがして、おそらく一年生なのだろう。男の子は目をきょろきょろさせながらこう言った。
「あ、あの、好きな女の子が幸せでいてくれるための道具はありますか?」
「……う、うん?」
思わず首を傾げた。こんな注文、この仕事を始めてから一度もなかったからだ。
「ダメ、ですか……?」
男の子はしょんぼりした顔になりかけている。ここでぽかんとしていてはダメだ。
「いや、そういう訳じゃなくてね、こんな注文初めてで」
「すみません」
「謝らなくていいのよ。多分、なんとかなるわ」
「なんとか……」
男の子は不安げな表情で私を見てくる。私だって、彼が求めている通りの物を渡せるのか不安だ。まずは、彼がどんな状況なのかを聞かなくては。
「だから、今君が具体的にはどんな物を求めているのか、詳しく聞かせてもらいたいなぁ」
男の子は一瞬逡巡したように見えた。それから意を決したようで、私の目を見つめてきた。
「わかりました」
私は椅子を奥の物置から引っ張り出して、彼に座るように促した。少し埃っぽかったが、無いよりはマシだろう。幾らか埃を払った後で彼は恐る恐る座ってくれた。それから彼は話し始めてくれた。
「僕には好きな人がいます。その人には好きな人がいて……」
「それは君じゃないんでしょ」
「残念ながらそうです。彼女が好きな人は学年で一番かっこいい人で、なんでもできるんです。一方で僕にはなんの取り柄もありません」
「まあ、よくある話ね」
「それで、僕と彼女が付き合うことはないと思うのですが、彼女にはどうしても幸せになって欲しくて」
「なるほど。そのための魔法道具が欲しいと」
「その通りです。道具を見つけて、それを彼女に渡したくて。でも、具体的にどんな道具が良いのか思いつかなくて……」
彼はとても純粋な想いでここに来た。だからこそ、私は少し嫌な予感がしている。
「そもそも、幸せでいて欲しいっていうのは、彼女がどういう状況になったら幸せだと思う?」
「それは、決まってるじゃないですか。彼女が好きな人と結ばれることじゃないですか」
「……じゃあ、その方向で君が満足のいく道具を探そうか」
「はい」
私は立ち上がって店中から使えそうな道具を探した。男の子はその間ずっと座って待っていた。緊張しているのか、ずっと姿勢を崩さなかった。使えそうな物が十個見つかったので彼に見せる。
「お待たせ。ざっとこんなのが有ったけど、どれが良いかな」
「見せられただけじゃ、何がどんな物かわかりません」
「おっと失礼。まず右端が狙った相手を好きにさせる魔法を込めた香水。これをかけて好きな人のことを念じれば、九割の確率で相手が振り向いてくれる」
「はあ」
こんな具合で残りの九個も全て説明した。彼はとにかく悩んだ。全ての説明が終わってから、三十分以上何も言わずに吟味していた。悩んだ末に彼は一つ目に見せた香水を買っていくことにした。
彼が代金を払い終えたところで、何となくのつもりでこう言った。
「うまくいくと良いね」
「はい。あの、僕のために色々してくれて、ありがとうございました」
彼は頭を下げた。私はきょとんとして何も言えなかった。彼は時計を見るなりすぐに店を出て行ったが、私はちょっとの間動けなかった。
お客さんからありがとうと言われたのが初めてだったからだ。
夜、店を閉めて自宅への帰路を歩く。ありがとうの一言がさっきからずっと頭の中で繰り返し再生されている。
「ありがとうって言われたの、いつ振りだろう」
誰に向けてでもなく何となく呟いた。このことを考えて思い出すのはあの人のありがとうだった。彼が笑ってそう言う様子が頭の中で再生される。だけど、あまりにも前のことで記憶の解像度が悪すぎる。それに、私が夕方に感じた予感はまだ残っている。おそらくあの男の子は……。
なんやかんやと考えている内に私は自宅に着いたのだった。
翌日の夕方、私の予感は当たった。昨日の彼がまたやってきたのだ。
「どうしたのかな。香水渡すのは上手くいった?」
「それがうまくいかなくて。家のリビングに置きっぱにしてたら朝に母が間違って使ってしまって」
「ありゃま」
「しかも、香水の力に父がやられて色んな意味で大変なことになっちゃって」
「そ、そうか」
「その時のごたごたで香水瓶が割れてしまいました。」
「結局、彼女に渡すことができなかったってことでしょ。それは残念だったね」
「はい……」
「で、それを報告に来たのかな?」
私がそう言うと彼は大きくかぶりを振った。
「いや、それだけじゃないです。香水の代わりになる物が欲しくて」
「なるほど。それならば、お任せあれ」
私はすぐに昨日出した香水以外の道具をまた集めて彼に見せた。彼はすぐに吟味し始めて、ああでもないこうでもないと私と彼は話し合った。それは気づいたら一時間近く続いていて、私は心のどこかでこの状況を楽しんでいることに気がついた。
魔法のことでこんなに楽しんでいるのは本当に久しぶりだった。
後半は後日追記予定。