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たまには歴史を少し振り返ってみませんか...

第二次世界大戦の日本の「無条件全面降伏文書」は1945年9月に調印されました。6年後の1951年9月に復興めざましい日本の運命を決める会議がアメリカで開かれました。「サンフランシスコ講和会議」です。会議では戦勝国のいくつかの国(ソ連等)は日本の領土を分け合って占領して「分割統治」をしようと主張しました。それから「戦後賠償請求」といって、戦争で日本が及ぼした被害に対して莫大なお金を日本に払わせようという国がたくさんありました。敗戦国日本は正に「まな板の上の鯉」だったのです。

会議は各国の思惑で大混乱しました。その時に、スリランカ(当時はセイロンという国名)のジャヤワルダナ大統領が次のように呼びかけました。「日本は、分割されるのではなく、一つの、独立した自由な国にならなければならない。アジアの国々もそう願っている。だから、セイロンは、日本分割統治には反対だ。また、日本の国と日本人が貧しくなってしまうような賠償請求もしない。憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」。

この主張が会議の流れを劇的に変えて、日本は分割されず、賠償請求をしない国が他にもたくさん出ました。

スリランカはインドの南東に位置する島国。北海道の80%の大きさの熱帯国土に2200万人の人々が住んでいます。数々の世界遺産と手付かずの自然、紅茶、豊富な果物、カラフルな工芸品、建築美溢れるホテル、宝石などが有名です。又サーファーにとっては憧れの地だそうです。日本から直行便で9時間。コロナが終息したら気晴らしにスリランカへの旅に!いかがでしょう?

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