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シューベルト「魔王」が生まれた街

シューベルトは1797年1月31日敬虔なカトリック教徒の教師だった父親と母親の間に生まれました。魔王が生まれた街をご紹介したいと思います。

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1797年1月31日シューベルトはこの家の台所で生まれました。現在もその台所はそのまま残っています。このアパートの二階にシューベルトの一家が住んでいて、一階が父親が経営していた学校がありました。シューベルトは4歳までこの家に住んでいました。

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生徒も増え、手狭になったので引っ越した先がここ。「シューベルトガレージ」と書いてありますが、ここは「魔王」が生まれた家と言われています。
収入が乏しかった父は、息子たちが大きくなったら学校の補助教員として働くように仕向けていた。要するに経費節減のためであった。
その割にはこの頃の父子の関係は良好で、音楽の練習の際に過酷なレッスンもなければ、ベートーヴェンのように音楽の才能を利用することもなく、家族で音楽を楽しんでいたようで、父からヴァイオリンを兄イグナーツからはピアノを教わるが、あっという間に親や兄よりうまくなったようです。

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父親が経営する学校に入学してしばらくして、洗礼を受けた教会の音楽長ホルツァーから音楽の授業を受け、翌年1808年宮廷少年合唱団(現:ウィーン少年合唱団)に入団。それと同時に王立寄宿生学校に入学します。
宮廷少年合唱団では、師匠であるサリエリや生涯の友シュパウンに出会い、シュパウンが率いる学生オーケストラに参加。たちまちのうちにコンチェルトマスターになっていった。12歳になった頃から作曲を始め、五線紙が変えなかったシューベルトは、シュパウンが五線紙を調達をし、1810年5月1日初めて作曲した曲「4手用ピアノ曲”ファンタジー”D1」が完成。翌年には初めての歌曲「ハーガーの嘆きD5」が完成。
15歳になった1812年5月28日母親が死去。夏には声変わりにより合唱団を退団。コンヴィクトに留まりサリエリの音楽授業を受けていました。
翌年10月28日初めての交響曲を完成させ11月、コンヴィクトをやめてアンナ教会初等教員養成教育学校(のちにブルックナーが講師として勤めた学校)に入って教員の道へと進んだ。

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(この辺あたりにアンナ教会初等教員養成学校がありました*学校は無くなりましたが、教会は残っています)

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1814年17歳になったシューベルトは、8月に父親が経営する学校の教員として働きます。10月14日洗礼を受けた教会「リヒテンタール教区教会(上の写真)」設立100年記念に「ミサ曲D105」を初演。その時、ソプラノ歌手だった「テレーゼ・グローブ」に出会い、彼女のために名作「糸をつむぐグレートヒェン D118」を5日後19日に作り上げてしまう。この曲は、ドイツリートの誕生と呼ばれる曲となります。
その後、彼女とは恋愛関係になりますが、6年後彼女は泣く泣く親に勧められた別の男性と結婚してしまいます。理由は、安定した収入がなかった事が原因だったようです。

1818年、シューベルト18歳。
教師として勤めていたが、退屈な教師の職より作曲する時間が欲しくなる。この頃作曲のスピードが加速した時期であり数多くの名曲が生まれた時期でもあります。
8月19日、「野ばら D257」が完成。
10月、「魔王 D328」が完成。
この完成した頃に住んでいた家が、あのシューベルトガレージです。彼は2階に住んでいたそうで、現在は自動車修理工場になっております。
この魔王が出来たあと、友人であるシュパウンがショーバーを紹介し、シューベルトの歌曲を聞いたショーバーはシューベルトに会いたいとシューベルトに会いに行ったら授業中で、彼は教職を捨てて作曲に専念するように勧めた。これが、教師を辞め作曲家として生きる決心をするきっかけになったとも言われています。

自ら経営する学校で教師として生きて欲しかった父と作曲家として生きたかったシューベルトとは、親子の確執がありました。
1818年、前年にローサウ地区の学校長として任命された父親は、一家でこの地区に引っ越します。7月まで勤め、音楽教師としてツセリッツにあるエスターハージ家の音楽教師として滞在。親の元を離れ友人の家にお世話になりながら作曲活動をするシューベルトでした。
父親との仲は険悪と言われていますが、実際は実家であるこのローサウの家に自分宛の手紙を取り帰ったり、後妻から資金援助や病気になった際に実家に戻っていたりしているので、本当に仲が悪かったらそこまで出来るかなぁと、個人的にはやや疑問に思っています。

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*今回の場所*
・シューベルト生誕の家
・シューベルトガレージ(個人宅というか自動車整備工場)
・リヒテンタール教区教会(洗礼を受けた教会)
・シューベルトシューレ
・コンヴィクト寄宿舎
・アンナ教会
(順序不同)

写真は全て私個人が撮ったものです。無断転載等禁止致します。

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