舞城 千古

舞城 千古

最近の記事

弥勒菩薩

釈迦如来の入滅から56億7000万年後、仏の教えの絶えた末法の世の最後、兜率天から地上に降臨し、すべての衆生を救う未来仏が弥勒菩薩だ。 菩薩とは、まだ悟りを開いておらず如来になっていない、悟りの1つ手前、悟りの52位にある修行中の仏のことを指す。 弥勒菩薩は、釈迦如来である仏陀に、 「兜率天で修行をし、世界の終わりにこの世に戻り、私の救えなかった衆生を、私に代わって救いなさい」と言われたことから、兜率天で修行を行っている。 浄土宗や浄土真宗などの他力本願による一切の衆生の

    • 四法印とは

      仏教の根本原理である四法印ってのは諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静のことをいう で、諸行無常はエントロピーの増大によりすべてが安定化(乱雑化)していくってこと 諸法無我が認識論の話で自己という総体は認知の中にしか無いってことを言ってる 一切皆苦ってのが自己複製子の宿命についての話で生命は世界との対立の中にしかなく、それは原理的に苦痛を伴うものって言うこと 涅槃寂静はこれら上記の認識からの脱却で、自己と世界との合一、空に至ること、一即多、多一、絶対矛盾の自己同一、

      • 最近のアニメの流行り

        アニメ・漫画で作者の私情の反映されない、作品を流れる意志から独立したキャラが最近、流行ってきてるね 例えばだけど、鬼滅の刃はわりと作品の意志に基づいてる印象だけど、フリーレンは作品を流れる意志から切り離されてキャラが動いてる 作品の中には色々事情 が生まれてきてこう動いてほしいやこう動かれたら困るがあるんだけど、 その枠組を取り払ったりその枠組を設けないように作品を設計してキャラを自由に駆動させようというのが最近、ウケてるように思う だから、よくもわるくもキャラが等身大

        • 戦闘において求められる攻撃側の動き方

          戦闘における攻撃では砲撃、機動戦、陽動、奇襲等々で敵の陣形を崩し隙きを作り、暴露された側面・背面へと突入することが重要となる 側面・背面へ突入するとき、敵正面をしっかりと抑えておかなければ、暴露された敵側面・背面への突入は敵わない 火力も防御力も正面が最大化され側面が比較的弱く、背面が最も脆弱となる このため、戦闘では防御においては敵を常に正面に捉えるように運動し、攻撃においては敵の脆弱な面、つまり側面や背面を捉えるように運動する必要がある 攻撃において脆弱な面を攻撃しようと

          楽がしたい

          自分は楽をしたいんですよね で、そのために必要なのは信用と対話だと思うわけですよ そして、その前提として必要なのは変化を受け入れるということです 不信を前提としたなら無限に自由を喰らい合うしかない、自由を相互に制限し合うなんて最悪です 言葉によって手持ちの自由を相互利益のもとに運用し自由を最大化する、これが何よりも楽なことです ただし、他者との関係を持つとき常に変化が伴うもので、これを受け入れることもまた必要になります 楽をするのは楽なことじゃないですが、みんなで一生懸命、

          法治の獣 かんそう

          他者の存在の様式というのは理解できるところには決してない けれど、私達は言葉を求める 言葉の先にあるいみを、関わることの一切が影響力を持つことを私達は知る 対話の先にある未来は不確定で、未来に責任を持つことはできず、破局という結果は永遠の喪失という意味でしかありえない 私達はそれでも言葉を紡ぐ それは、好奇心かもしれない、寂しさかもしれない、けれど、言葉を押し込んで、ひとりで生きていくことはできない 私達はだれかを求める、何かを求める 言葉の先にある未来を求める その先にある

          法治の獣 かんそう

          戦闘行動における重心

          重心は、戦闘行動を自らの意志で実行する主体者(*1)の、実際の行動における目的意識(*2)の方向に対して、もっとも重要な要素を持つ地点にある *1 指揮官が必ずしも主体者に該当するわけではなく、一揆や暴動においては一般大衆が主体者となる   また銃後の戦争を指導する議会が主体である場合もある *2 明示されている目的ではなく、行動の主体者が実際に可能であると考え、目指している目的 戦闘行動は3つの軸によって成り立つ ただし、この3つの軸が必ずしもすべて存在しているとは限ら

          戦闘行動における重心

          技師メンニ / アレクサンドル・A・ボグダーノフ ちょっとした感想と解説

          ロシア・ソビエトSF傑作集の技師メンニです。 この作品は、火星を部隊にした惑星規模の巨大事業の話、火星という環境での社会がどのように形成・発展するかのシミュレーションもなかなか面白いです。 物語は火星全体に及ぶ巨大事業を軸として、組織論を展開し、そこから社会主義的な部分へと論点が移っていきます。 まずはじめのセンテンスとして労働組合は労働者を代表するものであるかという問いからと労働者はなんたるかという舌戦が繰り広げられます。 労働者ひとりひとりとの契約関係によって、雇用は成り

          技師メンニ / アレクサンドル・A・ボグダーノフ ちょっとした感想と解説

          サイバーパンク: エッジランナーズ

          己が意志のために自己を喪失していく過程はなによりも美しい 生きるために、託された思いのために、誰かのため、自らの意志で破滅に向かって進んでいく 自分が自分であることも、大切だったものも、その手の中で崩れていく、壊れていく 救いなんてあり得ない、結局、最後は自分ひとりで、自分さえなくなってしまう この胸の痛みさえなくなってしまう 喪ったことにすら気づかず、ひとりであることもわからなくなる それでも、生きなければならないのか?自己を喪ってでも私は生きなければ…… 違う、違うんだ、

          サイバーパンク: エッジランナーズ

          きょうもがんばっていきましょう!!

          無能で無力ななにもできないクソッタレのクソゴミなお前こそが、他の何者でもない固有のアイデンティティを持った貴方だ 私達は絶対的真理としての神を生きる前提とし、規定された正しさに身を窶すんじゃない、無に身を投げ出し、世界という名の無限と合一するんじゃない 不条理でイカれたクソッタレなこの世界を真正面から見つめて堕落するんだ 煩悩にまみれて、限りある自己を手にして、どうしようもない世界を生きていくんだ

          きょうもがんばっていきましょう!!

          うそ

          嘘を付くのって費用対効果そんなでもないくせに、体力使いますよねー と、言いつつ自分は結構嘘つくんですけどね ただ、自分がつく嘘はその場限りの、使い捨ての嘘で、また、他人にその真偽を判定できないものなのでその後に影響を与えず、したがって体力使わないんですよね 楽したいから嘘ついてるだけで、自分大きく見せたいとか悪意とかはないんですよね で、これって実は嘘でもない気もしてくるんですよね 受動意識仮説において、意識はエピソード記憶を生成するために行動の理由を適当にでっちあげてるって

          ドリフターズ

          理の外にあるは人の性だ そして、それでもなお、人は理の内にある 運命など宿命など、さだめなどかなぐり捨て、人の持つ意志はそれ自体が理だと、今あるこの私こそが世界なのだと叫ぶ 私は私なのだと叫ぶ この星を滅ぼし、この肉体を傷つけ痛めつけ、精神を摩耗させて、それでもなお、これが私という世界の理なのだと人は宣言する これが生きるということなのだと人は言わなければいけない 私が私として生きるために 原罪などありはしない、これは罪などではない、これは罰などではない 私という意志は罪

          ドリフターズ

          キャシャーンsins 感想

          フーコーが悪魔憑きとともに語った肉の痙攣という概念は不気味だが、ああ、たしかにその通りだ。 最後にあるのは私という肉の塊だ、最初にあるのは私という肉の塊だ。 私は無人格の有機物とし生じ腐敗し無機質に回帰する。 だが、死は母胎への回帰ではない、生命としてもっと根源的な原初への回帰だ。 無機物が生命として振る舞い始めたその瞬間という無への回帰だ。 不可避の運命が設定されているとして、それは救いだろうか?呪いだろうか? 生命という存在が持つコードが産めよ増やせよ地に満ちよだったとし

          キャシャーンsins 感想

          緑のルーペの作品の感想

          緑のルーペの宇宙人の夏、宇宙人の冬では種族間NTRは自覚的に行われている行為であり、そこには、意識的な感情の揺らぎが存在し男女双方の感情が無分別にが蹂躙される様子が見える。 宇宙人の家、宇宙人の庭になると女性の感じる痛みは外科的な措置により排除され幸福のみを感じ、それは当然そうあるべき行為であるように自己家畜化的に意識が調節されていく。 しかし、一方で男性はその状況認識を持ち続けており、さらに、その痛みを抱えながら未来に願いを託していくという輪廻転生的NTR観が示される。 こ

          緑のルーペの作品の感想

          傷物語 感想

          自己偽善をどこまでも押し通す みんなを傷つけて でも、そうするしかないじゃないか そうやってしか、共に生きる道はないのだから 痛みを抱えて傷を舐めあって惨めに生きて行くしか無いじゃないか 俺は、共に生きる道があると言っても最終的には他者の意志を否定してまで、他者の存在の根底を破壊してまで共に生きる道を選ぶことはできないな 私は共存の道を望みはするけれど、あるようにあるものを否定しない それが、片方の死への道だとしても、それを求める 他者の有り様を肯定し、その上で自己を存続を

          傷物語 感想

          聖なる侵入

          そもそも、不完全性を内包して、世界は創造された。 ディック神学ともいえる二源宇宙創生論から続く、聖なる侵入では、男性性と女性性を司る双子の宇宙の統合が成される。 しかし、ここには善に対する悪という欠陥が常にして内包されている。全能の神は誤りを犯さない。存在の許容された悪意は神の全能を否定する。 宇宙は常にして、欠陥を抱えていて、故に、統合された宇宙もまた、欠陥を抱えている。それを癒す方法というのは、つまりところは現実からの逃避で、現実を破壊することになる。 宇宙そのものが壊れ

          聖なる侵入