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オンライン配信かつ有料でクラシック系コンサートをやることについての考察

ライブ配信サービス「イマチケ」が開始しました。

知人が開発に携わっており、しかも私が書いたインタビュー記事が協業のきっかけになっているらしいので、勝手に応援しています。

昨夜、イマチケで最初のオンラインコンサートが開催されました。

20代のフルートとピアノのデュオ。素敵な演奏でした。

オンライン配信をやることと、クラシック系音楽を配信すること、そして有料であること。これらの組み合わせについて、なんとなく考えたことを書きます。

オンライン配信の要点

多くの人たちがそれぞれに模索しながらオンライン配信を行っています。どんなやりかたがいいのかを考えるために、要素を整理します。

(1)限定公開/一般公開(誰がアクセスできるのか)
(2)有料/無料(金を払う仕組みがどこかにあるのか)
(3)配信/動画アップロード(配信か、収録したものを動画プラットフォームにアップするか)
(4)リアルタイム配信/収録配信(遅滞なくライブ配信をするか、収録済みの動画をプレイヤーで再生しながら配信するか)
(5)双方向/一方通行(視聴者がリアクションできるか)

いったん上記のあたりが要点になるでしょうか。(1)と(2)、(3)と(4)はそれぞれ近い論点ですが、ちょっと違う話かなと思います。技術的な違いだけでなく、「ライブ」における意味が違うのかなと。

「ライブ」には何があるのか

ライブの価値は、「同じ空間にいる」ことと「同じ時間にいること」にあります。演者や他の観客と、同じ空間を同じタイミングで共有して、同じ体験をしていること。
これは、スポーツをスタジアムで観戦することや、テレビの生中継を観ることと、録画されたものを観ることと似ています。

「ライブ配信」には何ができるのか

ライブをオンライン配信することの価値は、同じ空間にいないにもかかわらず、同じ時間にコンテンツを鑑賞できることにあります。

コンテンツを鑑賞することだけならば、収録した映像がDVDとして発売されたりYouTubeで公開されたりすることで可能になります。しかしそれまでの時間が掛かります。
それは、もはや「ライブ体験」ではなく「映像鑑賞」です。

オンライン配信が「ライブ」の価値を出すためには、同じ時間を共有していると感じる必要があります。だから配信サービスには、コメントやスタンプを送る機能があるんでしょうね。配信者側がコメントに対してリアルタイムで反応することも、ライブの感覚を強めています。

「空間を共有しないライブ体験」とは何か

何年か前から、アイドルグループなどのライブを映画館で観る「ライブビューイング」が行われています。映画館のなかでペンライトを持ち、周りのファンとともに歓声を送る。空間を共有していないことは明確ですが、ちゃんと盛り上がるしちゃんと楽しいものです。スポーツ観戦でも、テレビ越しに声援を飛ばすのは普通のことですね。

空間を共有せず双方向性のない相手に向かって声援を送ることは、無意味なことのように思えます。
しかし、私たちは案外そういうことをしている。手術室や試験会場などにいる人のために祈ったりもします。

「時間を共有しない共通体験」とは何か

ここまで、「空間はなんとかなるが、時間の一致は必須だ」という話の流れがありました。

一方で、ニコニコ動画におけるコメントは、時間の同期がありません。アップロードされた動画に対して他のユーザーがコメントをしていて、それを見ることができますが、他のユーザーと同じ時間に視聴しているわけではない。それでも、そこにはコミュニケーションのようなものを感じられます。

また、たとえば映画館で映画を観たり、あるいはマンガや小説などの読書体験について他人と感想を言い合うときに、同じタイミングでそれを体験している必要はありません。(映画鑑賞や読書はもちろん「ライブ」ではないわけですが)

つまりどういうことか

ここまでの議論をまとめます。

・コンテンツが提供されている時間や空間を共有することに、ライブの価値はある。
・空間を共有していなくても、時間を共有していると感じられれば、ライブの価値を感じられる。
・空間を共有していなくても、演者との双方向コミュニケーションが可能であれば、時間を共有している感覚がより増し、満足度が上がる。
・たとえ双方向コミュニケーションがないときでも、私たちは満足できる。
・たとえ時間を共有していなくても、コンテンツによっては、私たちは満足できる。

では、これらを踏まえたとき、クラシック系音楽のライブ配信には何が必要なのか。

「イマチケ」には何がないか

その前に、現時点で「イマチケ」のサービスに備わっていない機能を確認します。

イマチケには、リアルタイムでアクションする機能がありません。チャットやスタンプを送ることができず、素晴らしい演奏に対して拍手をすることができません。

これはサービスの弱点なのか。
双方向コミュニケーションが重要なコンテンツもありますが、そうではないコンテンツもあります。静かに鑑賞することが求められることのほうが多いかもしれません。

「クラシック系音楽コンサートのライブ配信」には何が必要なのか

イマチケで開催された、2つのクラシック系オンラインコンサートを鑑賞して、私が感じたのは次のようなことです。

・鑑賞時に双方向コミュニケーションは必要ない。
・拍手は送りたい。
・他の観客が拍手をしている気配を感じられれば、それで十分かもしれない。
・配信に没入していられる強度のある演奏が必要。

おそらく、リアルタイム性や双方向性が求められるのは「拍手を届けたい」という点のみです。

もともと、クラシック系音楽のコンサートで、演奏中に歓声を上げることはまずありません。
ただ、演奏が終わったら拍手はしたい。なんなら「ブラボー」と言いたい。

拍手は称賛のためのものですが、「ああ、いま自分はいい音楽を聴いていたな」と実感するためのものでもあります。
だから、必ずしも自分の拍手がパフォーマーに届かなくてもいいかもしれません。
もしかしたら、その場にいる関係者やスタッフが暖かい拍手を送ってくれたら、それでいいような気がします。

拍手問題を解決できれば、「生放送」である必然性はなくなります。
生放送でなくてもよいなら、事前収録を配信した方がコストを抑えられるはずです。少なくとも、機材トラブルへの緊張はかなり軽減されます。

しかし、おそらくコンテンツとしての強度は落ちてしまうでしょう。

「事前収録、一発撮り、編集なし」

配信コストと、クラシック系音楽というコンテンツの性質をあわせて考えると、「事前収録、一発撮り、編集なし」の配信が合うのではないでしょうか。

無観客ライブを行い、ミスやトラブルがあってもカメラを止めず、終わったら編集せずにそのまま放送する。このやりかたが、ライブの緊張感や特別感を残しながらも、安全に有償でオンラインコンサートを開催するときの、落とし所なのではないかと思います。

最後に

ずいぶん長く書いてしまいました。音楽やインターネットが好きなので、勝手に応援しています。

いま、いろいろなことが起きています。みんないろいろなことを考えています。やっていくしかないので、やっていけるといいなと思います。これからも音楽やインターネットが好きであり続けられるように。

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