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【阪神淡路大震災30年に東京で暮らす人への提言】

阪神淡路大震災、あの日から30年。
あの日見た「自助共助」の真髄と、
これからの防災への提言震災を経験した私が伝えたいこと

目次

はじめに
第1章:あの日、わたしが見たもの
第2章:近所で見た"自助"と"共助"の理想形
第3章:30年間の心の復興
第4章:これからの防災への提言
終章:未来への希望を胸に

はじめに

阪神・淡路大震災から29年。
2025年1月には30年目になります。
あの未曾有の大災害は、被災地だけでなく、
日本全国に深い爪痕を残しました。私も、その渦中にいた一人です。
30年という歳月が流れ、
震災の記憶は薄れ、
日常の喧騒に埋もれていく中で、
私はあの日のことを振り返ることから目を背けてきました。
しかし、今、私は決意しました。
あの日、私が見たもの、感じたこと、
そしてそこから得られた教訓を、
次の世代に、
そして災害への備えが希薄になりつつある
東京で生きる私たちに伝えるために、
30年の沈黙を破る時が来たのだと思います。

第1章:あの日、私が見たもの

1995年1月17日午前5時46分。
私の日常は崩れ去りました。
激しい揺れで目が覚め、何が起きたのか理解する間もなく、
家具が倒れ、食器が割れる音が響きました。
ベッドで寝ていた私は、
なすすべもなく大きな揺れに身を任せ
転がるだけでした。
当時、丈夫で頑丈なRC構造のマンションに住んでいた私は、
幸い怪我もなく
しばらくしてマンションの外に出ると
今までに見たことのない街の姿でした
道路いっぱいに倒壊した木造家屋
鼻の中に広がる土ホコリの匂い、
それは今まで経験したことのない光景でした。
しかし、その中で、私は
人間の強さ、優しさ、
そして絆を目の当たりにしました。
近所の住民同士が力を合わせ、
倒壊した建物から人を救出する姿。
公園で身を寄せ合い、互いに励まし合う姿。
それは、"自助"と"共助"の理想の姿でした。

第2章:近所で見た"自助"と"共助"の理想形

発災当初から、近所の人たちが集まり、
倒壊した建物から人を救出し、公園で避難生活を始めました。
(公民館や体育館では怪我人やご遺体を運び込まれたりで混乱していました)
震災直後、行政の支援は遅れ、
私たちは自分たちの手でなんとかやっていく必要がありました
その中で、私たちは"自助"と"共助"の大切さを学びました。
食料や水、毛布などを分け合い、
励まし合いながら、
共に困難を乗り越えようとしていました。
公助と呼ばれる
消防隊員、警察官、自衛隊員、行政職員の支援のない中で
肩を寄せ合い、自警団を作り
みんなで災害と災害に乗じた犯罪から身を守るために団結しました。
それは、まさに「自助共助」の理想形でした。
行政の支援が届くまでの間、
人々は自分たちの力で、地域を守ろうとしていたのです。
誰一人、不平不満を漏らさず
力をあわせる光景を今でも忘れることができません。
"自助"とは、自分の身は自分で守ること。
日頃から防災意識を高め、いざという時に備えること。
"共助"とは、地域住民同士が助け合うこと。
困っている人がいたら手を差し伸べ、共に困難を乗り越えること。

あの時、被災地で見られた"自助"と"共助"の精神は、
まさに"レジリエンス"(回復力)そのものでした。
それは、私たちが災害を乗り越え、未来を生きるための力となったのです。

第3章:生活再建、心の復興

震災後、私は自分の生活再建に追われました。
仕事も職場も失い、住まいも失い、
体一つで生きていくことになりました。
簡単に元に戻せるものではありませんでした。
神戸から外の世界、地域で暮らすことは
そういった経験談や愚痴話しなど話せる機会もなく
震災について振り返ることは、
あまりにも辛く、今まで
その振り返りを行ってきませんでした。
しかし、時間が経つにつれ、
私は少しずつ、あの時の経験と向き合えるようになりました。

東京で生きる人たちへ

関西から、3年前に東京に移住してきました。
東京に住む人たちの災害への関心は
関西よりもかなり低いと感じました。
あまりにも無防備で、
公助(警察、消防、自衛隊)に頼り切っているように感じます。
そんな中、わたしの体験だけでなく、
阪神・淡路大震災の教訓は、
被災地だけでなく、
日本全国で活かされるべきだと思いました。
特に、次の大地震が危惧されている東京では、その教訓を"自分ごと"として捉えることが重要だと本当に思います。
しかし、被災地を離れた東京での防災対策への意識は、残念ながら決して高いとは言えません。語り部による体験談を聞く機会も限られ、"自助"や"共助"の精神、そして"助け合い"の大切さを実感として理解することは難しいのが現状です。

第4章:これからの防災への提言

あの日見た「自助共助」の精神は、
これからの防災においても非常に重要です。
防災士という資格も、自助共助を広める目的で生まれています。
日本国民全てが防災士であれば
災害の復興も復旧もスムーズにいくのではないか?と思います。
災害はいつ、どこで起こるかわかりません。
だからこそ、一人ひとりが防災意識を高め、
地域で助け合うことが大切です。
まだまだ少ないですが、
語り部のインタビューを収録しています。
それぞれ辛い悲しい思いではなく、
これからどう生きていくか?
どうすれば安全に過ごすことができ、
家族を守ることができるのか?
どうやって支え合っていくのか?
その時のプロセスをお聞きしました。
今から考えてみるとこうすれば
よかったかもしれないという反省も含まれていました。

"自分ごと"としての防災-ex「30代・一人暮らし・帰宅困難」検索

私は、語り部インタビューを単なる"体験談"として終わらせない、
新しい形の防災体験談サイトを構築する構想が
生まれました。
検索機能を活用し、
視聴者が自分に合った体験談を検索できるサイトです。
例えば、「30代・一人暮らし・帰宅困難」と検索すれば、
同じような境遇にある人々が、
どのように困難を乗り越えたのかを知ることができます。
これにより、"自分だったらどうするか"を具体的に考え、
防災への備えを"自分ごと"として捉えることができるでしょう。
語り部たちの体験談は、
単なる"過去の話"ではありません。
それは、未来を生きる私たちへのメッセージです。
"人だけは大丈夫"という正常性バイアスを打ち破り、
"自助"と"共助"の精神を育むこと。
それが、語り部たちの願いであり、
私たちが未来に繋ぐべきバトンなのです。

終章:未来への希望を胸に

阪神淡路大震災は、私たちに大きな傷跡を残しました。
しかし、同時に、私たちに多くのことを教えてくれました。
人間の強さ、優しさ、そして助け合いの大切さ。これらのことを忘れずに、私たちは未来に向かって歩んでいかなければなりません。
あの日見た「自助共助」の精神を胸に、私たちはより強靭な社会を築いていくことができるはずです。それが、震災を経験した私たちが、未来に託せる希望です。

共に創る、"レジリエント"な東京

このプロジェクトは、単なる情報発信にとどまりません。
それは、東京に住む人々、首都圏に住む人々の意識を変え、
"自助"と"共助"の精神を育むための第一歩となるでしょう。
あなたの支援が、
首都直下型地震への備えを強化し、
多くの命を救うことにつながります。
ぜひ、このプロジェクトにご協力ください。
共に、"レジリエント"な東京を創造しましょう。

ナビゲーター栄一郎からのメッセージ

阪神・淡路大震災の経験と、
防災士としての知識、
そしてITコンサルタントとしてのスキルを活かして、
私は東京の防災意識向上に貢献したいと考えています。
震災の教訓を風化させず、
次の世代に伝えていくこと。
そして、東京に住む人々が、
"自助"と"共助"の精神を育み、
災害に強い社会を築いていくこと。
それが、私の使命だと信じています。
どうか、あなたの力を貸してください。
共に、東京の未来を明るく照らしましょう。

みなさんへ

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また、ご意見やご感想なども、コメント欄でお待ちしています。共に、
防災意識を高め、"レジリエント"な社会を築いていきましょう!

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