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本能寺(京都市中京区)信長公廟 に参る

こんばんわ 唐崎夜雨です
京都に来た時に必ず立ち寄る場所があります
カフェとか古書店とかお土産屋じゃなくて お墓です

京都市中京区にある本能寺
こちらは織田信長公の墓所があります
京都へ来たときは必ず立ち寄ります
この夏は7月2日に参拝しました

国土地理院地図 現在の本能寺と本能寺跡碑の位置

本能寺は地下鉄京都市役所前駅からすぐ
河原町御池の南西に位置する
 表門は寺町通に
 河原町通りに裏門
 御池通りに北門がある

本能寺 寺町通りに面した門

本能寺は法華宗本門流の大本山
 法華宗本門流は日蓮を宗祖とし
 日隆を派祖とする日蓮門下の一派
 四大本山があり
  静岡県沼津市の光長寺
  千葉県茂原市の鷲山寺
  兵庫県尼崎市の本興寺
  そして京都市の本能寺

街中にある寺院で境内はそれほど広くはない
パッとみたところ特筆のある寺院とも
思われないかもしれないが
 おそらく多くの日本人は
 その名を耳にしたことはある寺院だと思う

本能寺 本堂

それは
 天正十年六月二日の事件
織田信長が宿所としていた本能寺を
 明智光秀の軍勢が襲った本能寺の変
これにより織田信長は自害したと伝えられている

しかし遺体はみつかっていないようだ
 正確にはお骨の納められた墓所ではなく
  供養塔と呼ぶ方がふさわしいかもしれないが

本能寺の変の一か月後に信長三男の信孝が
 本能寺を信長の墓所と定めた

ですから信長公廟と称す
 墓には信長所持の太刀が納められているそうです

またすぐ隣には森蘭丸はじめ信長公ともに
 亡くなられた人々の供養塔が建つ

本能寺 本堂

当時の本能寺は現在の場所ではない
現在地は豊臣秀吉によって移転してきた 
当初は現在の京都市役所あたりも敷地だった
明治の廃仏毀釈や
 御池通の拡張で境内はかなり削られてしまった

現在の本堂は昭和3年再建で
 京都大学教授の天沼俊一の設計による
特別な行事がなければ
 本堂内にあがることができる

本能寺 信長公廟
本能寺 信長公の墓
本能寺 信長と刻まれている公の墓

境内には宝物館がある
本能寺には年に二回くらいきているが
 一度も宝物館に立ち寄ったことが無い
なぜかというと
 観光で来てないからだろう

本能寺の塔頭

本能寺は唐崎夜雨の家の菩提寺です
家の墓参にきたら信長公廟にも参る
ですから
 京都へ来たときは必ず立ち寄る

でもそれほど古いご先祖はここにいない
もともと南無阿弥陀仏の浄土系信者だった
それが江戸末期か明治のころに宗旨変えした
 なんでも夫は南無阿弥陀仏
 妻は南無妙法蓮華経の信者
 そして妻のほうが長生きしたので
  法華が勝ったらしい

幼きころより信長公廟をみており
織田信長には親近感を抱いております 
秀吉や家康よりも信玄や謙信よりも
やはり信長公ですね

信長公は光秀の謀反には激怒し抗戦しても
形勢を鑑みて結構あっさりと
 もはやこれまでと自刃した気もする

人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか

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