オンライン授業について思うこと


 オンライン授業について、色々と思うところがある。いいこともわるいことも。結構当たり前のことたちだけれど、きっとすぐに忘れてしまうので書いておく。

今のところ4つまで書いている。


(自分はこの4月から上京し、下宿先から都内の大学に通う予定だった。が、そうもいかなくなった。オンライン授業を受けながら今は実家で淡々と課題をこなしている。)

1,画面越しでも それぞれの個性を感じたこと
2,授業中に じっとしていなくていいこと
3,うまく使えば インターネットの生放送みたいで楽しいこと
4,地方にいると 参考文献がほとんど読めないこと


1,画面越しでも それぞれの個性を感じたこと

 オンライン授業の中でも、双方向型(生徒側の映像も授業参加者全体に公開される方式)のもので感じたこと。クラスメイトとの初対面(?)は画面越しだった。

 人への印象はおそらく、話し方とか仕草とか服装とか、そういうものからつくられる。映像を通すとそれらは感じにくくなる。動画はなめらかに動くわけではないし、カメラの位置的に服は見えない。

 だけれど、意外と相手の雰囲気を掴むことができた。何から印象を受け取ったか、というと、映像への写り方から。

 後ろに映るものを片付けているかどうか、とか、ライトのあたり具合とか。多分、そういうものから印象が形作られた気がしている。あとは、カメラから離れたがる様子、先生の言葉に相槌をうつ様子、とか。

 多分実際に会ったらまた違う印象を受けるのだろうけど、オンラインでもそれなりに人柄は伝わる、と思う。



2,授業中に じっとしていなくていいこと

 一方向型(こちらの映像が映らない方式)授業では、基本何をやっていてもバレないから嬉しかった。授業中でも水を飲めたり。

 ご飯を食べた後の、眠くなる授業では踊りながらでも授業を受けられる。おもいきり伸びもできる。自分の気分で空気を入れ替えたり、ひとりごとも言える。

 新しい場所、密閉された場所が苦手なひとや、1時間以上じっとするのが難しいひともいる。表に出さないだけで、実は体調の悪いひともいる。一方向型の授業はそういうひとにとってもそうでない人にとっても、いいものではないかな、と思う。


3,うまく使えば インターネットの生放送みたいで楽しいこと

 私が受けている授業の先生の一人は、授業中にチャットを送るのを推奨している。これがとてもいい。

 大体の授業でチャットを送るのは、音が聞こえないだとか、そういう緊急の時だけである。だが、その先生の授業の時には気軽に感想を送ることができる。先生はその感想に反応をくれる。楽しい。youtubeとかニコ動で生放送を見てる感覚。

 この先生がすごいのは、このような状態に持っていくまでにいくつかの段階を踏んだ所である。

 zoomには「手をあげる」機能がある。初回授業ではこの機能を活用したのだ。画面上に表示されるこのボタンを押せば、先生に通知される。押すだけなので、ハードルは低い。

先生「元気ですか」→ 私(手をあげるボタンを押す)→ 先生「みなさん元気なんですね」 みたいな感じ

 それから、先生はアンケート機能も使った。選択式のアンケートに生徒が答えて、結果をみんなで見たりした。

 そうやって少しずつ、先生は生徒とコミュニケーションをとっていった。そして一ヶ月も経たないうちに、授業中にチャットで感想を送る文化ができた。

 おそらく、初回授業でいきなり「気軽に感想を送って」と言っただけだとしたら、こう上手くはいかなかったと思う。オンラインには、オンラインのコミュニケーションがある、と思う。


4,地方にいると 参考文献がほとんど読めないこと

 授業中に示される参考文献がある。絶対に読まなければいけないわけではないが、授業をより理解するために読んでおきたい本たちである。

 コロナウイルスの影響で図書館が使えないから本が読めないんだな、と思われていそうだが、そうではない。まず、読みたい本が図書館にないのだ。

 自分が入学した大学は都内にある。だが私は実家に、都心とは遠い所にいる。図書館の蔵書数は少ない。読みたい本をすぐに読むため、見たいものを見るために上京を決めたのに、今私は読みたい本すら読めていない。

 「買えば良いじゃないか」と言われそうだが、買うとキリがない。授業で引用されていたある本の一章だけ読みたい、とか、もしかしたらこの本に気になることが載ってるかも、とかそういうことがよくあるからだ。

 これはオンライン授業について、とはまた話が違うかもしれない。だが、遠隔授業の弊害の一つではないかと考えている。


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