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なんだか寂しそうだった、屋久島縄文杉

18才の夏。フェリーのデッキから、よく晴れた早朝に眺めた屋久島の面影はよく記憶に残っている。がむしゃらに働いたアルバイトのことが同時に思い起こされた。「ついに、ホントに来たんだ」という思いとともに、アルバイトの日々もなんだかむくわれた気がした。

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折りたたみ自転車を組み立て、走る。レンタル屋さんでキチンとした登山靴を借り、その後はバスで登山口まで。午後に麓を出発するバスに、乗客は僕だけだった。

登山口からしばらくは、以前に森林鉄道として使われていた、軌道の上をあるいてゆく。縄文杉を経由して、その少し先の山小屋に泊まり、翌日は宮之浦岳に登って、登山口まで帰ってくる計画を立てていた。

計画のずさんさもあり、「日暮れまでになんとしてでも、山小屋に着かないと!」と必死に登ったため、途中の記憶はあんまりない。歩き始めてから4時間ほどで、縄文杉が見えるウッドデッキに立つことができた。

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神々しさはあった。写真にはおさめ切れないなにかがあって、それでも僕は縄文杉(の存在)になぜだか寂しさを感じた。それは「期待とちがっていた」といったものとは別のものだとおもう。

縄文杉が見える場所に湧いていた水を使って、その晩はご飯を炊かせてもらった。ひとりご飯を食べ、夕暮れ時に、山小屋の前でまどろんでいると、登山ガイトと一行が話をしていて、これからヘッドライトを持って、再び縄文杉を見に行くという。僕もつられて付いていく道中で、今晩はスーパームーンなのだと聞いた。ご一行は、スーパームーンに照らされる縄文杉を見に来たのだという。僕はスーパームーンのことは全然知らなかった。

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( ↑ 縄文杉を背にして、スーパームーンの明かりを撮る)

みんなで点けていたヘッドライトを消すと、月明かりに照らされた縄文杉がぼわぁっと浮かび上がった。その光景自体は、思わず手を合わせたくなるものだった。
こんなようにして、よく言われるような「縄文杉のパワー」も感じないことはなかったが、「なんだか寂しそうな縄文杉」というモヤモヤが、その後の大学生活、そして社会人生活でもどこかで忘れることができずにいた。

そうして最近出会った本が、ようやくそのモヤモヤに対する、一つの「応え」のカギをくれた。

📖ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭 訳
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』

ドイツ在住の筆者は、管理している森の中を歩いているときに、古い木の切り株を見つける。400年から500年前にはすでに切り倒されていたと思われるその切り株は、よく見てみると葉緑素があり、その木はまだ死んでいないことが分かった! 枝も葉も持たないのに、なぜ生き長らえることができたのだろうか。

「近くにある樹木から根を通じて手助けを得ていたのだ。木の根と根が直接つながったり、根の先が菌糸に包まれ、その菌糸が栄養の交換を手伝ったりすることがある」

筆者は、土の中の樹木どうしの繋がりに着目する。

「まわりの木がその切り株に糖液を譲っていたことだけは確かだ。(中略)樹脂について研究した結果、根が同じ種類の木同士をつなぐ複雑なネットワークをつくっているのを発見した学者もいる。ご近所同士の助け合いにも似たこの“栄養素の交換”は規則的に行われているようだ。(中略)
どうして、自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合うのだろう? その理由は、人間社会と同じく、協力することで生きやすくなることにある」

こういった森の樹々たちのコミュニケーションの様子を聞くと、屋久島で見た縄文杉のことが、違った角度からとらえられた気がした。
観賞用のウッドデッキや周辺整備のために、縄文杉のまわりの木は一定数伐採されている。僕もそういった「観光」の消費者の一人であった訳でもあり。後付けのようになるが、縄文杉がどこか寂しげだった(と僕が感じた)訳は、ここらあたりにありそうだ、と。

「自然栽培」農法を広める木村秋則氏は、以下のことをおっしゃっている。

まず根が出てから、芽が出る。(中略)
根が先に出るだけじゃなくて、根が先に成長する。
〔木村秋則・石川拓治『土の学校』(幻冬舎、2013年)〕

芽の前に出るものは「根」。そうした自然の摂理を、もう一度思い出したくなった。地表に出ている縄文杉の、経てきた歳月はたしかにすごいもので、それ以上の歳月が、森の土の中に、根として存在していることをおもうとき。縄文杉の寂しさを和らげることにはならないだろう。
それでも、そのダイナミックな根の広さ・繋がりにも思いを馳せてみたい。

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