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「生理用品の学校への配備」で、救えるものと救えないもの

こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。

今回はタイトル通り、日本でも大規模に広がりを見せている、公立学校への生理用品の配備に関する話です。

最初に申し上げておきたいのは、今から書くのは、導入に関しての反対意見ではありません

話題としたかったのは大きく分けて2点、

「生理の”貧困”」っていう言葉、まぎらわしいから変えません?

という話と、

実際に、この施策で救われるものと、この施策では救われないものって何だろうか?

という話についての、それぞれの考察に過ぎません。
今回の施策をいたずらに批判したり揶揄したりするような意図は一切無いことを誓います。

なお、今回は主観が多めに交じることと、時事ネタであることも踏まえて、普段のマガジンとは別に「雑記帳」として分けて、かつ一人称も「私」としてお送りいたします。あしからずです。

また、先にツイッターで本件について問いかけて、フォロワー内外からさまざまなご意見をいただき、そちらも大変参考になりました。
この場をお借りしてお礼を申し上げておきます。ありがとうございました。

それでは、よろしくお願いいたします。



「生理の”貧困”」って、まぎらわしいから呼び名変えませんか?

えー、はい。まずはこの話ですね。
これ、単に私が盛大な勘違いをしていたという話でもあるのですが、この話を世に広めるのであれば、けっこう大事なことなのでは?と思ったので、挙げさせていただきます。


では、あらためて。

この話題は、「生理の貧困」と呼ばれていますよね。

最初にこれを聞いた時は、「貧困、つまり生活苦により生理用品を買うことが出来ない女性たちの状況」を指して言っているのであろうと認識しておりました。

ですので、まず毎月の生理用品にかかる金額はどんなものなのだろう?とかを調べ始めました。
実際の平均はといいますと、マイナビウーマンのアンケート調査で、一ヶ月に500~1,000円程度という回答が最も多い、という話があります。

もちろん個人差があるとは思いますが、月に1,000円程度の出費もままならないほどの貧困となると、それはもう生理用品がどうこうではなく、そんな貧困状態から脱却させることがゴールであるべきでは?と考えました。


……が、この「貧困」はそう単純な代物ではない、というか、そもそも「貧困」って言ってるけど「貧乏」という意味の「貧困」ではない、というのが分かって来まして……

こちらの番組の紹介記事でも分かるのですが、「生理の貧困」とは、単に金銭的に貧しくて生理用品が手に入れられない、というだけの話ではなく、どうやら、

「さまざまな理由・事情で、生理用品を手にすることが出来ない女性」

のことであり、つまり「生理にまつわる事柄に関して困窮している女性」の全般を指すのが正しい、ということが理解できました。

……いや、それなら「貧困」って言葉だと、伝わりにくくない?
単なる貧しさの話だと思っちゃいますよね??

なんでこんな言葉になったんだろうと思って調べていたら、もともとこれは海外で広まっていた「Period Poverty」という言葉を訳したもののようです。

「Period Poverty」の「Poverty」は、直訳すると「貧困」になるので、そのまま「生理の貧困」と呼ばれているのですね。

ですが、「poverty」という言葉は、同じ英語の「poor」と同じく、例えば「語彙に乏しい」みたいな意味にも使うものでして、要は「貧弱」「不足」または「劣悪」といった意味を合わせ持つ言葉なのです。

ですので、おそらく「Period Poverty」という言葉はもともと、

「生理に対して脆弱な環境に置かれている」
「生理に対して十分なリソースを持たない」

というニュアンスの言葉だったのでは?と思われるのです。

そういう意味であれば、日本語に直すなら、

「生理の困窮」

もしくは、

「生理の窮状」

といった言葉のほうが、意味合いとしてはより正しく伝わるのではないかと…。

確かに、貧困という言葉は、日本語でも「語彙が貧困」「発想が貧困」などという使い方もしますけれども、真っ先に想像するのは生活苦の方ではと思いますし、前述のNHKクロ現の話もそうですが、この話題ってコロナによる収入の減少を枕話にされることがあまりに多いので、私のようにそう勘違いされている方も多いのではと…(言い訳)。

そういうわけでして、

「『生理の貧困』の『貧困』は、貧困という意味ではない(混沌)」

というのを、まず大前提としていただければと思います。


この施策で救われるもの

はい、では気を取り直して…。
この施策で「救われる」として、支持している方々のご意見を拾ってみると、まず第一に上がってくるのは、おそらく主題である、

・生理用品を買ってもらえない

という話題ですね。
買ってもらえない理由はさまざまで、家計が切迫しているため本当に余裕が無い、あるいは貧困家庭ではないが、単純に親が子供の必要なものを買ってくれない(ネグレクトの疑い)、親との不仲により小遣いを含めて買い与えてもらえない、または単純に親に言い出せない(父子家庭など)、といったものがあります。

このあたりは、より詳しく解説している記事がたくさんありますので割愛いたしますが、何よりも、

「家にお金が無いから買ってもらえない、というだけではない」

という点は、先に申し上げた「生理の貧困」の特徴であるとして強調しておこうと思います。

次によく見かけたのは、単純な話として、

・忘れてしまった時
・持っていない時に生理が始まってしまって困った時

というものですね。
まだ生理の周期が定まっていない年代でもあり、本人も常に生理用品を持ち歩くということが習慣づいていない時期でもあるでしょうから、トイレにさえ行けばある、という安心感は、本当に心強いでしょう。

あとは、特に何か困窮しているわけではないものの、

・トイレに生理用品を持っていかなくて済むのが嬉しい(男子の目などを気にして)

という意見も多かったですね。
この辺りは、男子に対する性教育の著しい稚拙さが一因というか大要因だと、私的には思っております。

生理の知識は、昨今の性交同意年齢に関する話にも繋がりますしね。
女性が普段いかに大変な思いをしているか、生理というものがいかに重要なものかということを、まともに理解していない男は、セックスなどする資格は微塵も無いと思え、くらいの勢いで教えておいていただきたいです。


この施策で救われないもの

まずシンプルな話ですが、不登校の子供が救われません。
配布される場所が学校に限られてしまうと、そもそも学校という場所に馴染めない子供には恩恵が渡りません。また、そうした子の中に、DVやネグレクトといった問題に苦しんでいる子達がいるのも確かであろうと思い、二重三重の苦労を背負ったままになってしまいます。

自治体が金銭として配布すると、親が別のことに使ってしまう、という話もありました。
地域のスーパーやドラッグストアで商品として引き換えてもらえるチケットのようにして自治体が配布するのはどうか、とも考えたのですが、学校という場所は、良くも悪くも親の目が行き届きにくい聖域でもあるので、そこで配るということにも意味がある、というところですね。

それと、これは想像の域ですが、よく使用している子供が、

「あの子の家ってビンボーなんだね」

などといじめられたり、嫌がらせのために配布用の場所から大量に持ち去られる、といったことが起きないだろうか、などと考えてみたりもしました。

心配しすぎても仕方のない部分ではありますが、誰でも持ち出せる場所に置く、というのは、そういうことでもあるかなと思ってみたりです。

***

また、お金が無いわけではないのに子供に生理用品を買い与えない、というレベルの本当の毒親などは、

「学校で配ってるなら、家で使う分ももらってきなさいよ。あ、何なら私の分ももらってきて」

くらいのことは、平然と言ってのけそうな気がしております。
書いていて虫唾が走りますが、おそらく妄想だけの話ではないと思います。

実際には、下の方でも紹介しているのですけれども、すでに取り組みを行なっている自治体では、家で使う分も持っていって良い、という発想でもあるようでして、多少の拡大解釈をすれば、親の分を持っていくのも「生理の貧困」の対応に繋がるのでは、とも思いますが、真面目な子供であれば、自尊心や後ろめたさといった、心の傷を追わないだろうか、という心配はありますね…。
家に持っていって構わない、ということが、「家に持っていかなければならない」という負担にならないと良いなぁ、と。


そのほか懸念事項など

あとは気になったのが、実務的なところでした。
学校のトイレに配備するって、具体的にはどうやるのだろう?一日一回では足りなくなるかも知れないし、ただでさえ忙しい先生たちもそこまでフォロー出来るのだろうか?あるいは配備も生徒たちが当番制でやるのだろうか?

みたいなことをツラツラと考えながら調べてみると、実は既に以前から前向きに取り組んでいる自治体や学校もあるとのことで、関係者の努力が伝わってくるお話が色々と見つかりました。

この例では、何より目からウロコだったのが、家で使う分も持っていって良い、ということで、夜用のナプキン+持ち出し用の封筒まで配布しているなど、これならばまさしく「生理の貧困」への救済と呼べるものであろう、という点ですね。
学校で使う分のみ、という発想に自分が固執していたのに気づいて、恥ずかしくなりました。

ちなみに、これは奈良県の大和郡山市での市立中学校における取り組みだそうですが、大和郡山市は学校だけではなく、貧困家庭に向けた無料配布も自治体で行なっているそうです。拍手を送りたいです。


いろいろ考えてから思ったこと

まず色々と考察してみた上で思ったのは、この施策ですと、「生理の貧困」にあえぐ子供をある程度救うことは出来るのですが、生活苦としての「貧困」の解決には、残念ながらあまり繋がらなさそうだな、と。

最初にお話した、貧困という名称で誤解されやすい、という件が、実はそれなりに罪深いと思うのもそこにあるのです。

つまり、この施策をもってして、

「女性の貧困や生活困窮の解決に繋がった!」

と、勘違いされるのが一番困る、ということです。

これはあくまで緊急避難に過ぎず、いまこの瞬間に困っている子供たちを救うためのものであって、生活苦や貧困の根本的解決に結びつくわけではない、という点は強く留意しておかなければならないでしょう。

自分のお財布からお金を出して、自分が使いたいものを自由に買える、というのが最終ゴールであるべきですから。

***

ただ、その上で、先に挙げた大和郡山市のような、優れた事例を参考にしてゆけばよい、とも思えたので、「救われないもの」の項では色々と後ろ向きなことも書いてしまいましたが、あまりネガティブに考えるのはやめておくことにしました。

良くも悪くも、やってみないと分からない部分も多いでしょうしね。
良くなる部分の方が多いと信じましょう。


あとはこの話って、給食でも同じようなことがあったな、というのを思い出しまして。

給食というか食事も、同じように「貧困」の問題が以前からあり、ネグレクトや生活困窮といった問題を抱える子供たちが、長期休暇明けにやせ細って学校にくる、ということがあるそうです。
給食を食べられない期間は、食べるものに困窮している子供たちがいる、というもので、これもまた信じがたく看過しがたい話題ですが…。

学校というコミュニティを苦手とする子供も多いですが、学校というコミュニティにしか居場所がない、あるいは唯一の生きる手立てである子供も、少なからずいるということですね。

刮目して見なければならない現実として、当然ながら、こうした問題は多かれ少なかれ、大昔からあった話であるのは間違いないのです。

現場の養護教諭や教職員が、何の支援もなく、手探りと試行錯誤で乗り越えてきた問題でもあるわけで、先達の方々には心から敬意を払いたいところです。


関係者の皆様にお願いしたいこと

今回こうして、大きなうねりとして取り上げられるようになったことで、気兼ねなく生理用品を使える子供が増えたことは、間違いなく大きな一歩でしょう。

ただ気になるのが、先にお話した「この種類の話は昔からあった」という点でして、たとえば今までは、そうした「生理の貧困」の子供たちが、養護教諭に生理用品をたびたびもらいに来るというのは、一種のSOSでもあったはずです。
それを受けて、養護教諭が

「よほどの貧困家庭なのか……もしかしたらネグレクト…?」

という疑いから、担任の教諭やスクールカウンセラーと情報共有をしておく、ということも行われていたのでは?と思ったのですが、トイレへの常備が行われるようになると、そこの部分のコミュニケーションが無くなるので、生徒の中で実際に困っているのは誰なのか?が、分からなくなってしまいますよね。

ですので、これをむしろきっかけとし、生徒への無記名アンケートなどを通して、養護教諭やカウンセラーなどにも気軽に相談していいのだ、という空気を上手く作って、「生理の貧困」の根本原因になっていることの解決に向けた道筋を、どうか作って欲しいのです。

今回の件は、目的ではなく、あくまで手段のはずです。

一見、救われたように見えて、逆に救われなくなってしまう子供たちが出てこないように、ここから先、より知恵を絞っていただきたくお願いいたします。

(了)


最後までご清覧いただき、誠にありがとうございました。


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