見出し画像

家族の大切さから学んだ、私の弱み

現在、私は一人暮らしですが、先日実家に帰省し、
その中で学んだ家族の大切さについてシェアさせていただきます。

日頃から、家族には感謝するという気持ちを持つことが多いですが、
私自身それを最も感じるのが帰省した時です。

普段何気にいる空間であまり気がつかないことですが、
家族との会話にはストレスを吐き出す効果や一人でいるよりも
大勢でいる安心感などがあります。

また、掃除・洗濯・料理など身の回りの家事を一人でなく
家族と共同することで孤独ではないという実感を得ることができます。

また、気兼ねなく話せる”家族”という空間は、他のどのコミュニティとも
違う空間かもしれません。

特殊な事情がない限り、家族に悩みを相談することで
自身の気持ちを整理したり、共有することで気持ちの整理もできます。

仕事が終わって、「ただいま」と言うと「おかえり」が返ってくる。
朝起きて、「おはよう」と言うと、「おはよう」と返ってくる。
夜寝る前に、「おやすみ」と言うと、「おやすみ」と返ってくる。

この当たり前すぎる、習慣というものがなくなった途端、ひとりで
物事を考える。人には本音を話さない、素直になれないという
殻に閉じこもることもありました。

ですが、その気持ちを受け止め、理解し、一言余計な心配をしてくれる。
そんな家族というものから、私は『愛されて生まれてきたんだ』と
気づかされています。

今回の帰省は研修期間中からかもしれませんが、今までとは違った
角度から『愛』を感じました。人に対して無関心だった私を、家族は
いつだって気にかけていた。余計な心配と思っていたことも、本当は
『愛情』からくるものだったのだと。

こうして考えてみると、ひとりで悩んでいた自分がアホらしく見えました。
自分で考えても見つからない答えは人に話せばいい。
たとえ、答えが見つからなくても、今まで自分にはなかった価値観が
ヒントになって新しい答えが見つかるかもしれない、と。

そうして、考えてみると、自分と同じ考え・価値観が違うと言った
ことは問題ではなく。気持ちを伝えそこで得た考え方のズレを
どう自分の中に落とし込んで受け入れるかが、成長というもの
かもしれないと気づきました。

家族の余計な一言も『愛情』からくるものと先程述べましたが、
以前の私ではキャパオーバーでただ単に受け止める準備が整って
いなかっただけでした。

考え方を変えれば、なんのことはなかったのです。
受け入れる準備を整えるのは、つまるところ考え方だけでした。

私は『人に無関心』という自分を

認め・許し・受け入れ・愛することで

今までにはなかった、受け入れの準備が整ったのです。

こうして、言語化することで私の中でようやく
『無関心』な自分を理解することができました。

家族もそうしたサイン、ずっと出していたことと今になってようやく
気づくことができました。

当たり前な環境だからこそ、今までとは違う価値観を取り入れる
必要がある、考え方を変えるきっかけは自分とは違う誰かが
持っているのだと思います。

『あなたは私の鏡です』

はそうした一つの考え方かもと、気づきました。
家族の大切さから、研修にいたるまで最近多くのことを学んでいます。

価値観が違うことに、はじめは抵抗していました。

その抵抗が大きければ大きいほど、受け入れた時の
私の世界の見え方はとても違って見えます。

逃避や葛藤、ネガティブな捉え方も新しい価値観を受け入れるために必要な
スパイスを考えたら、受け入れの準備も自然とできるようになりました。

『あなたは私の鏡です』

この言葉、本当に深いと感じています。
長文でしたが、読んでいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?