ピアノ教室と発表会の思い出
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ピアノ教室と発表会の思い出

小学校1年生〜高校2年生までピアノを習っていました。他にもお習字や英会話に通ってましたが、ピアノが一番長く続けた習い事です。

ピアノの先生は上品で優しい人でした。褒めるときも注意するときも、そんなに差がなかった気がします。私は好きな曲は頑張って練習するけど、そうでもない曲だと練習をサボるので「この曲はもう一週ね♪」とよく言われていました。それでもピアノはやっぱり好きでレッスンも楽しく通っていました。


今回はそんなピアノの思い出を書きました。


☆ピアノ教室の流れ

個人でやっている教室だったので、先生の家にお邪魔しているような感覚でした。いつも教室に入ると暖かい紅茶を出してくれて、チョコレートや飴のようなお菓子もくれました。

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(写真はイメージです)


学校であった出来事などいろいろお喋りしていたので、レッスンが始まるまで少なくとも10分はお茶していたと思います。ふかふかのソファもあって、かなりリラックスした雰囲気でした。

そのあとソルフェージュ、ハノン、ツェルニー、練習曲の順番に進みます。たしかハノン・ツェルニーに入る前はメトードローズを使っていました。練習曲はピアノの森シリーズや好きな曲の楽譜を持って行ったこともありました。

正直ハノンはそんなに好きではありませんでした。一定のテンポで正しく弾いて、音階やリズムのアクセントも変わったり、規則的なのに難しいところが苦手です。

ピアノ経験者なら覚えているであろう青い教本。
懐かしいですね…


そんな私でも初めてやる気になった曲がありました。



☆華麗なる大円舞曲

いつも発表会の曲は先生に決めてもらっていて、小学5年生まで自分から希望を出したことがありませんでした。もともと子供の頃はボーッとしていて、ピアノ以外でも自分から何かしたいと思うことがほとんどなかったからです。

そして小学校6年生のときショパンの「華麗なる大円舞曲」に出会いました。友人がこの曲を弾いていたのがきっかけです。

その友人はコンクールでも入賞するような子でした。習い事でピアノが弾けるのとは違う、音楽としてピアノが上手みたいな印象がありました。

あまり自分をひけらかすような子ではなかったので、よく音楽の授業終わりに友達と一緒に「弾いて弾いて〜」とお願いしていました(うっとうしかったかも…)。

今思うと子供ながら尊敬していたし、その子のピアノのファンでした。どの曲を聴いてもすごいなぁと思っていましたが、華麗なる大円舞曲は衝撃的でした。思わず「これなんて曲?!」と聞いたのを覚えています。

題名からして派手ですが曲自体もすごく華やかです。最初の一音からカツーン!と響いて、跳ねるようなメロディが始まります。そこから多様な音が広がっていて一瞬で大好きになりました。

『絶対この曲が弾きたい!!』


初めて自分から弾きたいと思った曲でした。すぐ楽器店で楽譜も買って、発表会の曲が決まりました。

(先生にいつ相談したか覚えていません。笑)



☆発表会までの道のり

いざ練習がはじまると早くも壁に当たりました。テンポが早くて右手も左手も即座に移動しないといけないし、指もうまく回らない。かと思えばゆったりとなめらかに弾く箇所もあって、音の強弱も変わる忙しい曲でした。

お手本用に家にあったCDを何度も聴きました。自分のピアノとはギャップがありすぎて少し落ちこみましたが、CDで聴くピアノはやっぱり上手で、友人が弾いていた音のようでモチベーションにもなりました。

ただ上手く弾けていない段階でCDを聴いてしまうと焦って雑になる傾向があったので、少し弾けるようになってからまた聴くようにしました。勢いにまかせて速く弾くと破綻するし、ペダルも上手に使わないと音が濁る…他にも多くの課題がありました。

今まで真面目に練習していたとは言い切れないので、当前と言えばそうかもしれません。それでも弾きたいという思いだけで練習していました。



☆ド緊張の発表会

なんとかCDと同じくらいの速度で弾けるようになった頃、発表会の日を迎えました。もちろんコンクールではなく発表会なので、いくら間違えても何も問題ありません。そうと分かっていても当日はかなり緊張していました。

毎年大きなホールでやるわけではなく、他の教室と合同で行う発表会と教室内の小さな発表会を交互にしていました。その年は良いか悪いか、大きなホールを使う年でした。

大きなホールは初めてではないのに自分の番が近づくたびに緊張していました。手は冷えるし、あまりの緊張で楽譜が読めなくなるほどでした(マジで音符がおたまじゃくしに見えました)。

あっという間に自分の番が来てしまいステージの袖に来ると、もうどうにでもなれという気持ちになりました。こんなに緊張しているのは自分が努力した分、思い入れが強いからだと内心分かっていたからです。

お辞儀をして椅子に座ってから、どのように弾いたかあまり覚えていません。楽譜が読めなくなるほど混乱していたのに、勝手に弾いているような感覚です。頭はまっしろなのに、手が覚えていて一度弾き始めたら最後まであっという間でした。たぶん緊張で走っていたけれど、それでも最後まで弾くことができました。

弾き終わった後も顔はこわばっていて、心臓もバクバクだったけどステージからはけるなり他の教室の先生が「上手だったわね!」と声をかけてくれました。

ただ声をかけてくれただけかもしれないけど、それでもすごく嬉しかったのを覚えています。自分の先生にもあとで褒めてもらえて、ようやくホッとしました。

この頃(小6)は自分のなかで色々変化があった年でした。なかでもピアノの練習は自分を成長させてくれた出来事だと思います。コンクールでもないただの発表会だけど、初めて目標を達成した気分になれました。

改めて自分で好きな曲を選んで本当に良かったです。



☆それからのピアノ教室

発表会のあとピアノ教室をやめることになりました。

小指が痛くなり練習を続けられなくなったからです。原因が分からず先生からは「練習のせい?」と言われましたが、そのうち両方の小指が痛み、腫れるようになったので病院に行きました。

病院では「疲労ですかね」と曖昧な診断と冷湿布をもらいました。腫れてるから冷やした方が良いとのことでしたが1ヶ月ほど経っても治りませんでした。

しばらくピアノから離れた生活が続きました。もともと熱心に練習するタイプではありませんでしたが、発表会のために頑張っていたのでピアノを弾けない日々がなんだか不思議でした。



そんな状況もある一言で変わりました。

友人の付き添いで保健室に行ったとき、なんとなく保健室の先生に相談してみることにしました。小指が痛むことや腫れている指を見てもらうと、意外な答えが返ってきました。

「それ、しもやけじゃない?」

…しもやけって寒さから来るやつ??
あまりに身近な原因だったのでまさかと思いましたが、試しにその日から冷湿布はやめて両手の小指をカイロで温めるようにしました。

結局、はっきりとした原因は分からないまま小指の痛みと腫れは治りました。

ほんとなんだったんだろう…?

(ただこの頃から末端冷え性になったので、カイロは必需品になりました。)



そして中学に上がるとピアノも再開しました。

あれから真面目に練習する生徒に変わったかというとそうでもなく、またいつもの練習したりしなかったりする生徒に戻りました。また2回ほど謎の”これ弾きたい!期”が訪れましたが、それ以外は相変わらずです。

しかも中3で受験のため塾に通うようになり、ピアノをまた辞めました。そして高校入学で再開しました。

(色々振り回してごめんね、先生!)

それでも小1から高2まで続けられたのはお茶会みたいなレッスンが楽しかったからです。打たれ弱い私はスパルタ教室だったらとっくに辞めてました。

ピアノを楽しいと思えたのは先生のおかげです。


先生ありがとう〜。



☆おまけ
もうピアノはほとんど弾きませんが、今でもつい爪を短く切ってしまいます。昔は長い爪に憧れていたのに、短い方が落ち着くんですよね…



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