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台湾空想問題集②台湾は親日か?

スーパーで総菜の品定めなんかをしている時、ふと寄ってきたおばさまにこんなことを問われる気がします。
「ねえねえ、台湾って親日なの?し・ん・に・ち!」

今はコロナ禍で人的往来が滞っているものの、もとは仕事柄、日本から来るいろいろなお客さんとお付き合いする機会がありました。
大学生の若者からおじさま・おばさま世代まで、これまで実に様々な人たちを迎えてきましたが、台湾に来た理由を聞いた時、彼らの多くがニコニコとして口にするのが「台湾は親日だから…」という一言です。

正直言って、僕はこの「台湾は親日」というフレーズが大嫌いなのです。
聞いた瞬間にふわっとイライラオーラを醸し出してしまうという自覚があります。ご本人たち悪気がないことは百も承知ながら同じ日本人として納得できない気持ちがあり、酒の席に移ったとたんに長々と説明しようかという衝動にかられます。

今回はこの問題に関わるいくつかのポイントについて、順を追って述べてみたいと思います。
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■なんでも単純化したがることへのがっかり感
まず基本として申し上げたいのが、曲がりなりにも2350万人もの人口を抱え、多様なエスニックと文化背景を有した堂々たる一国家を、たった一つのキーワードで丸くくりにして語るのはどうなのかな?ということです。
ちょっと振り返ってみればわかるように、日本人だって全然一枚岩ではないし、趣味嗜好から政治思想まで、相当幅広なわけです。確かに他国情報の取得というのはそれなりにアンテナを張らなければならなず、手間はかかります。しかし、だからと言って他国についてこのような単純化、いわばレッテル貼りのようなことをするのは雑すぎるし、ましてそのレッテルが「親日国」では…「お前は俺たち日本人が好きなんだろ?そうだろ?」って念を押しているようでみっともないと思うのです。
一事を以て判断せずに、台湾のことをできるだけ多面的に眺めていただきたいというのが、僕の基本的な願いです。

■台湾再認識の出発点
そもそも日本において「台湾親日論」が広まる端緒となったものは何でしょうか。それは他ならぬ台湾側からの発信でした。
僕が学生時代を過ごした1990年代、内ではバブル崩壊があり、外からは中韓の反日外交があり、なんとなく日本社会全体が喪失感に包まれていました。そんな時、メディアや書籍などを通して盛んに日本をほめそやし応援してくれたのが、青年期までを日本時代(1895-1945)の台湾で過ごした、いわゆる「李登輝世代」と言われる人たちです。
彼らはその著書の中で、日本が台湾のためにどのようなことをしたかについて、様々な美談を交えて披露したり、現在まで続く「日本精神」を高く評価しました。
当時なぜ日本に対するそうした発言が相次いだのかについては別途論評したいと思いますが、一部の日本人がこれに強く感化され、その世代の日本人の中で台湾に対する認識が一気に高まったのです。

今となっては日本のメディアで台湾が取り上げられるのは普通となりましたが、90年代前半までの日本では新聞やテレビで「台湾」というキーワードを目にすることがほとんどありませんでした。それがこうした働きかけを経て、徐々に一般化していったのです。

つまり、台湾への再認識と「親日」というヨスガは、90年代に日本が自信喪失した時、台湾から「優しくしてもらった♡」という流れに端を発しています。
少々情けないなあ、などと僕なんかは思うわけです。

ちなみにやや本題から外れますが、このイベントの結果、日本人の台湾(人)観は李登輝世代の視点を色濃く受けることになってしまいました。日本時代を知る世代の思い出フィルターで過度に美修正された日本論が日本人にとって心地よかったため、あまりに無批判に受け入れられてしまったのです。
近年の日台交流における李登輝世代の功績について僕は否定するつもりはありません。しかし、一面的な視点のみがあまりに強調されたことが、日本人が台湾を理解する上での足かせになってしまった面もあるとは思っています。そのことは、また追々書きたいと思っています。

■90年代後半の日本ブーム
さて、李登輝世代の発信から日本人が台湾を再認識し、「どうやら台湾は日本に好意的らしいぞ」という印象を抱くに至ったと述べてきました。
それでは「台湾親日論」というのは、単なる日本側の幻想に過ぎなかったのでしょうか。

いえ、そういうことではありません。台湾では90年代後半から2000年代初頭にかけて、確かに「空前の日本ブーム」とも呼ぶべき状況が存在しました。

台湾は1949年以降、基本的には蒋政権による独裁が続いており、その統治下では公の場で日本語を話したり、日本文化を楽しむことを禁じられていました。しかし実際には日本時代を生きた人を中心に、家庭内では日本語が使われたり、音楽やビデオなど日本のコンテンツがこっそり楽しまれていたと聞きます。
そんな中1988年に蒋経国が病死、台湾出身の李登輝が臨時総統に就任すると、徐々に社会の開放感が高まっていきます。1990年代には日本のテレビ番組が解禁され、また日本の音楽会社が台湾市場に進出しました。
その結果、特に90年代後半以降は日本人アーティストによる「台湾詣で」が盛んになり、現地メディアからも大いに注目されるようになりました。

実は僕は、そうしたブームの真っ只中だった1998年に台湾に留学し、特に若者を中心とした「日本愛」について身をもって体験しました。
当時の台湾ではテレビをつければ日本の番組や音楽がガンガン放送されていて、日本文化がかっこいいという雰囲気でした。若者も日本人とみれば寄ってくるし、女の子にもまあ、モテました(遠い目)…
そうしたコンテンツ以外にも、メイドインジャパンに対する信頼度は相当なもので、日本製であればなんでも喜ばれました。
当時の日々についてはまたいずれ書きたいと思っていますが、とにかく日本人であるというだけで注目され、自然に友達が増え、ちやほやされるという時代が確かにあったのです。

■日本ブームの沈静化
しかし残念ながら、2000年代初頭までの日本ブームの後、台湾における「日本文化」の地位は緩やかに落ちていきます。
原因はいくつも考えられます。

一つ大きかったのは韓流の影響でしょう。僕は専門家ではありませんが、韓国ドラマは放送料が日本のものに比べて安く押さえられており、一気に普及したと聞いています。韓国のドラマや音楽が台湾でも大いに喜ばれた結果、「絶対的地位」にあった日本のコンテンツが相対化され、勢いをそがれました。
おりしも日本の音楽業界では90年代J-popを支えていたバンドブームが終焉し、アイドルやアニソンに取って代わられると、一部のコアな層には引き続き評価されていたものの、幅広い世代の普遍的な需要を満たすことが難しくなってしまったように感じます。

また90年代に日台友好を牽引した李登輝世代も徐々に引退したり、或いは飽きられたりして注目されなくなりました。これに絡めて言えば、2000年以降陳水扁、馬英九という、日本に関心の薄い総統が続いたことも多少は影響したかもしれません。

とにかく2000年前後に一旦激しく盛り上がった日本ブームは、ここ20年を通じて緩やかに相対化され、現在に至ります。

■情報と現状の「時間差・温度差」
問題なのは、日本において普通に手に入れる台湾情報には、現状に比べて10年から20年程度の「時間差」があるように感じられる点です。
これまでかかわった人の多くがそうしたタイムラグのある書籍、ないしネット情報から知識を得ていて、何か台湾が今でもアツアツの親日国であるかのように誤解しているきらいがあるのです。
その結果台湾でたまたま受けた「心地よい対応」について、「日本人だから、そうしてもらった」と思い込んだり、現地人にやたらに「日台友好」を振り撒いて喜んだりする、ということになります。
別にご本人が気持ちよく帰るだけならよいのですが、その台湾経験をまたネットなどで披露することによって、相変わらず生の台湾について消化不良のまま「親日国」というキーワードだけに依拠し、現実の台湾を誤解する人が増えてしまうことに懸念を感じます。

事実を言えば、台湾人はもともと世代を問わず外国人に優しくて、国籍を問わず気さくに接してくれるし、すぐに仲間に迎えてくれるような気質の人々なのです。
加えて、台湾人は日本人に比べて英語の習得率が高く、性格も積極的なので、日常会話レベルの英語であれば臆せずに使ってきます。日本人の中には英語が話せないことから外国人を敬遠する人も多いですが、台湾社会には全く異なる雰囲気があるのです。
ですから、我々の側が調子に乗って「日本人だから優しくしてくれた」と誤解するのはやめたほうがいいでしょう。

■上っ面ではない、対等で紳士的な交流を
ところで、この文章を読んだ方は「友好的に付き合いたいと思っているだけなのだから、何もそこまで目くじらを立てる必要はないのでは?」と思われるかもしれません。ここで僕が「過度に台湾を親日扱いする人々」を気にする理由を整理したいと思います。

先に述べたように、日本において台湾好きが増えた発端は、日本時代を経験した台湾人(いわゆる李登輝世代)により突如始められた「日本アゲ」の発信でした。それまで台湾など一切眼中になかった人たちが、褒められていい気にさせられて、台湾にやたら好意をいだくようになる…

僕はこの様を見てると、憂さ晴らしにキャバクラに通う中年男性を連想してしまいます。
相手のサービスに乗っかって成立しているようなお付き合いでは、双方向の信頼関係などできません。普通の友人関係のようにゼロから始め、互いに理解し合い歩み寄る姿勢がなければ、正常なお付き合いだとは言えないでしょう。
台湾と日本の関係は、戦後90年代半ばまでは台湾が日本に興味を持ち続ける一方、中華人民共和国との外交関係を選んだ日本は台湾にとても冷淡でした。にもかかわらず台湾側から新たなお付き合いのきっかけをもらえたのですから(それももう20年以上前の事なのですが)、日本側もそのメッセージをしっかりと受け止めるべきです。
しかしこの二十数年、日本は台湾に十分歩み寄ってきたでしょうか?長らく台湾ウォッチャーとして日台関係を眺めてきた僕からすると、日本では「台湾は親日国だ」という過度な期待だけが先行し、台湾社会や今日に至る歴史、人々についての認識が高まらないまま今日に至っているように感じられます。

いわゆるネトウヨの中には、単に中国憎しで台湾好きになった人も多く、「日台が国家統一して中国に対抗しよう」「台湾を日本の一部に加えましょう」などという、中華民国の主権を無視した、上から目線の愚かな書き込みも目につきます。
台湾が地図上のどこにあるか、答えられな人もまだまだたくさんいます。
互いに友好的な印象を抱く隣国なのですから、真の国家交流にふさわしい、対等で紳士的な関係を進めるためにも、日本人一人一人が台湾について更に理解を深めて行くよう、願っています。

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