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「#Black Lives Matter」についての私の考え


コロナ禍で何が起こっているか私は全然知らなくて。それは今に始まったことではないと知って。他人かもしれないけれど見て見ぬふりはしたくなくて。

急に飛び込んできたBLT関連のツイート。海外でこんなことが起こっている、最初はその程度の認識だった。だけど私と同年代の、もしくは私よりも若い人たちが戦っている姿を見て、私の中で他人事ではなくなった気がした。

差別や格差は私たちが住む日本にも確かにあって、なぜ自国のことさえままならないのに他国のことだけに反応するのか、ただ流行に乗りたいだけじゃないのか、そんな声も見かけた。

だけど、日本での問題にまだ向き合えていないことは、このBLM活動に反対する理由にはならない。なぜ賛同することが悪とされるのか、私はそこは違うと思った。むしろこの世界的ムーヴメントによっていろんな人を巻き込めれば、世の中も、世界も、日本も変わるかもしれない。そんな希望さえ感じる価値観の変革がまさに起きようとしているのだと思う。


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問題について話すときは、まずは問題を知ってから。理解を深めるために、いろいろな場所でおすすめされていた「13TH-憲法修正第13条」というドキュメンタリーを観た。(ネトフリでも急上昇でランキングに入ってたから、同じ考えの人がたくさんいたのだと思う。)

日本で育ってきた私には分からない用語や歴史もたくさんあって、そのたびにGoogle検索をしたし、理解するまでに何度も観返した。事実がただ耐え難くて、動画を止めて頭の中を整理しながら、ゆっくりとかみ砕いていった。


観た感想を述べると、いろんな意味で怖かった。これがフィクションではないという事実に目をそむけたくなった。だって私が生まれた時も、受験勉強中も、大学で遊んでいた時もずっと、常に現在進行形で起こっていた事実だったから。

大統領の名前や戦争が起きた年なんて、テストの解答用紙に書くためだけに暗記していたようなもの。すべての歴史が、様々な背景が、今黒人の人たちが訴えていることに繋がっているなんて。今までの無知とその学のなさに自分を恥じた。それと同時に日本の教育(特に日本史や世界史)というものが、もっと現在に結びつくように学べたらいいなと感じた。


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アメリカには民間の刑務所経営や、その運営に紐づく医療、食、通信会社があって、そして受刑者の労働力(破格な給与)によって成り立っている企業が存在することを初めて知った。お金が絡むとこうも人間の”正義”は揺らいでしまうのか。

その利益を生み出すために欠かせないのが、黒人への印象操作と社会的制裁。卑劣にも”黒人にのみ”通用するものだ。奴隷制がなくなってから、白人も黒人も同等に扱われることが目指された。しかし犯罪者の人権は守られていない。そこから無理やり黒人を犯罪者として刑務所にぶち込んで”見えない奴隷制”が続くことになった。その中で「スタンフォード監獄実験」のような心理変容が今なお当たり前に起こっている。

私が少し思ったのは、日本の冤罪と似ているということ。「それでもボクはやってない」という痴漢の冤罪を取り扱った映画を見たことがあるだろうか。日本の痴漢というのも、捕まったらやってなくても「やりました」と認めてお金を払って示談成立、が通説というのは何となくご存じだろう。そのために疑われたら駅員室に行ってはならないと強い強迫観念を持っている人もいるかもしれない。やっているかやっていないかは問題じゃない、行ってしまったら地獄が待っているのだ。

それと同じことがアメリカの社会で起こっている。今回のBLM運動のきっかけとなったジョージ・フロイドさんもきっと、何もしてない身の潔白を伝えたくて、白人警察にとても抵抗したと思う。「息ができない」と言うほどに。


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この身に覚えのない罪を認めざるを得ない状況はある種の人権侵害である。日本でも完全に守られてるとはいいがたい。(とはいえ性犯罪の多くが闇に葬られているというのも許せないが。)

仮に日本人のサラリーマンが冤罪で痴漢の容疑をかけられた場合、示談成立の金額は支払える範囲だと想像する。しかしアメリカで黒人が捕まった場合、そのお金を払えない場合が多い。アメリカの富裕層はほとんどが白人である。(本当は無罪なのに前科者となった)黒人の人たちを雇ってくれる企業も少ない。抗うことのできない社会的制裁がそこにはあるのである。


経済格差は教育格差を生み、教育格差は学力の差を生み、学力の差が生活格差となって、これは永遠に抜け出すことのできない運命のようにまとわりつく。改善の希望が残されているのは教育格差の部分で、同じ教育機会を与えることで個々の能力や可能性を埋もれさせないことが、輪廻から抜け出す唯一の方法かもしれない。


英国紳士やジェントルマンといわれるような白人男性と、身体能力が高くて絶対に力で敵わないと思ってしまう黒人男性。私自身の中にも確かに偏見が存在していて、それは映画やドラマの擦り込みを含めて、潜在的に発生してしまう事実もある。

だがNYへ旅行に行ったとき、黒人の男性はとても優しくてセクシーで最高だった。百聞は一見に如かず、とはまさにこのことだろう。思っていたイメージとは全く違っていた。そして信じるべきは私がこの目で見た現実であるべきだ。


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突然ではあるが、税金はなんのために払っているのか考えたことがあるだろうか。当たり前のように日々搾取される消費税、所得税、住民税などなど、社会には税金という名の国に納めるお金がある。国税庁によればそれらは「みんなのために役立つ活動」や「社会での助け合いのための活動」に利用される。

救急車や警察を呼んだ時にお金を払わなくていいのもこの税金のおかげである。つまり、自分が弱者となったときに助けてくれるのが税金だ。

ただ自分が弱者となるタイミングや頻度は人それぞれだと思う。自分が困っていないときは助け合うのが社会である。当たり前の考え方であるべきだが、日本でも不労者の不正受給などに腹立たしく思う人は少なくない。「なんで私たちが汗水たらして働いたお金が、こんな人たちのために使われるのか!」と思ってしまう気持ちもわかる。だが今アメリカで起きている黒人に対する白人のそれがまさにこの通りなのだ。

マイノリティーの存在を自分の中でどう認識するのか。シングル家族やセックスワーカーなど、このコロナ禍での補償問題で話題にもなったが、黒人のドラッグ売人問題も含めて”なりたくてなっているわけじゃない”という現実が、社会的制裁がある。そしてそれは「好きでそうしてるんでしょ」という印象操作によって複雑化している。

ただもう一度考え直すべきなのは、誰しもが弱者になりうるリスクを背負っており、誰も部外者にはなりえないということだ。

愛を説明することはなかなか難しいが、〇〇は愛だと定義することは簡単だと思う。

想像力は愛である。


今の時代だからこそ、SNSで海外とも繋がって私自身も声を上げることができる。これはすぐに忘れ去られていい”流行”ではないのでここに記事としてまとめておく。これでも頭の中を整理してから書いたのだが、とても読みづらくてごめんなさい。


mito


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