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現地にあるリアル

(2018/09/18の記事)

石巻に行ってきたんだよ、って日記。



ツール・ド・東北に参加する母に連れられ宮城県に行ってきました。

15日の走行を応援しました。最初は正直みんなに混ざって「いってらっしゃ~い」って言ってただけなんですが、途中、暇だし行ってみるかと訪れた中継地の野蒜駅が私の意識の全てを変えました。綺麗な駅舎の野蒜駅に驚きながら駅の脇の坂道を少しくだり、高台の広場から旧野蒜駅舎が見え、砂利道と細い舗装された道を歩き、到着して残されたホームを見たとき、私はやっと被災した土地に来たんだなと実感しました。復興伝承館で休んでいると、第1グループが到着しました。第3グループほどまでお迎えして、電車の都合でまた高台の上まで歩いて戻ると、ちょうどそこに再出発した第1グループが見えました。気づいたらそこで地元の方と一緒に1時間半ぐらいランナー達を応援して、私はぐちゃぐちゃの感情になりながらゴールの大学まで戻りました。ゴールに戻ってきた皆さんの顔はとても楽しそうで、達成感に満ち溢れていて、私は心からランナーのみなさんをすごいと思った。何かに向かって走る人は、美しいな。


そして今日、石巻の南浜つなぐ館に母に連れられて行きました。
道中どういう気持ちでその大地に立てばいいのかわからず、ずっと緊張していました。私は、映像でしか石巻を見たことがないのですが、あの日以来、怖くて目を背けていた気がします。だから今どんな状況か全然知らないし、その土地に直接降り立つというのは本当に勇気のいることでした。
そのまま残されている小学校や、少しずつ建っている家、舗装されていない道を歩いている間、私は焦点が合わなくて、ちゃんと風景を見れなくて、ただ母の後ろに無言でついて歩いていました。小学校の裏の高台に上ったとき、私は、初めて自分の目でちゃんと石巻を見渡しました。衝撃が大きすぎて、いろんな感情が沸いてきて、直視できない自分が情けなくて、その場にうずくまってしまった。そんな私の背中を母がさすってくれ、私はいよいよ本当にどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。

私は、こういう場所や、慰霊碑が建っている場所が苦手です。心がいっぱいいっぱいになってしまって、どうしていいかわからなくて泣いてしまうから。母が「泣くのはいろいろ想像力が豊かなんだろうね、私は逆に泣けないから自分でなんでだろうって思うよ」と言っていたのですが、私は母は、前を向いてちゃんと希望へ向かって被災者の方や土地の歴史に寄り添っているから泣かないんだと感じました。それは「毎年ここにくるとみんな頑張ってて私もまた1年頑張ろうって勇気をもらえる」という言葉にも表れているし、そんな母のようなまなざしをもてる人間になりたいなと思った。


でも今回実際に行って、私は被災地などを直接的にお手伝いをするのはやはり難しいなと思いました。せっかく元気に前を向こうと思っているみなさんに、メソメソしたやつが手伝いに来ても、迷惑だと思ったから。それを実感しました。みんな忘れないという気持ちと寄り添いながら生きていた。
だから、私は私なりに自分の近くにいる人や私を応援してくれる人たちをやっぱり大切にして、そしてその人たちが優しく出来る人たちにやさしくする、その連鎖で、遠回りだけど、応援が届くといいなと思いました。表現活動は娯楽だから大変なとき優先順位が低くなってしまうけど、でも生きるのに娯楽って絶対に必要だと思うから、必要になったときに届ける準備がいつでも出来てるような表現者でいたい。
東北はもちろんだけど、そのほかの大変な地域や、みんな。そういう形で、支援したい。と思った。

つらかったけど、この目で、足で、訪れることが出来て本当によかった。

画家の傍ら自分の考えを文字にしています。 頂いたサポートは制作費用や書籍代として活用させて頂きます(^^)