YAMASUKI - 素晴らしきYAMASUKIの世界

YAMASUKIの『素晴らしきYAMASUKIの世界』というレコードがあります。2014年にデジタルリマスターがリリースされましたが、もともとはフランスで1971年に発表されたアルバムで、ダニエル・ヴァンガードとジャン・クルジェールという二人の人物が手がけたプロジェクトによるものです。ジャケットからもわかるとおり日本をテーマにした作品で歌詞もすべて日本語ですが、日本への渡航歴はおろか日本語の知識もほとんどないフランス人がいちおう辞書片手に作り上げた歌詞はおよそどんな日本人も想像したことすらないであろう無国籍的な言語空間を現出しています。ちなみにこのダニエル・ヴァンガードというのはダフト・パンクの片割れトーマ・ヴァンガルデルの実の父にあたります。ダフト・パンクの最も愚直なファンは必ずこのアルバムに行き着くわけです。
1971年というと日本では『風街ろまん』がリリースされた年ですが、同じ年の4月にはフラワー・トラベリン・バンドが最高傑作『SATORI』をリリースしています。つまり日本語がロックという外来のフォーマットに適応できるのかどうかがまだ俎上にあった段階で、「日本語でロックはできない!」というスタンスの勢力がむしろ優勢ぐらいだった時期ではないかと想像します。そんな時期に、フランスでは「意味を剥奪する」という型破りな解決策によってこれほど無頓着に日本語が歌われていたのだと思うと何だか力が抜けます。

「ほーにぃ、だーつをかたしぃ!(ト"ワァァァン)」という力強いだーつの叫びで幕を開ける一曲目「YAMASUKI」では、その迫力に思わずそのかたちをとってしまった方も多いことでしょう。この曲はコードの変化がなく、ひたすら同じリズムが続く上でユニゾンの分厚いコーラスとギターが流れるようなメロディをなぞります。このトランス感は当時としてはかなり先鋭的なものでしょう。歌詞を引用します。

 かえ かえお
 あさみしゆーぞ
 いか まてぃこ
 おかわやた
 おかわやたーお
 あさみしゆーぞ
 あさみしゆーぞ
 かわのかな

名刺代わりのこの曲で叫び続けているおじさんは日本人の空手の先生とのことで、関係者の誰かが連れてきたそうですが、特筆すべきはこの空手の先生のしゃべってることも、まだ日本語として意味を見出すのは難しいことです。だーつの叫びをする際に我々がとるべきかたちについては想像するよりほかありませんが、YouTubeには当時作成されたと思しきこの曲の踊りのビデオがございますので、イメージを掴む一助にはなるかと存じます。その他、「大の男が、フランケン!」など、想像力を刺激する言葉が飛び出します。

このアルバムに収められた日本語はそのほとんどが先の引用のような感じです。つまり、我々が常用しているのと同じ類の日本語として意味を見出すのは非常に困難です。ほんとに辞書見たのか、と思わず疑いたくなりますが、しかしそんな歌詞は、日本人なら絶対に作れない。意味を離れ、音楽そのものに誘導されるがままに生み出される自信たっぷりの日本語の響きは、世界中の誰よりも我々日本語話者にとって大切なものになるはずです。こういう日本語が存在することを、YAMASUKIがなければ我々は想像すらできません。あと、偶然なんだか知らないが時々ちょっと意味が生み出されてしまう瞬間があって、それはとても貴重なもの、奇跡とも言える瞬間になります。
たとえば、サブスク等では曲順が前後しますが、2014年リリースのリマスター盤では2曲目にあたる「Aisere I love you」は、透き通るような声で高らかに歌われる「あとで来る人」という歌詞が非常に魅力的です。おそらく日本人であれば、「あとで来る人」という言葉を曲の一番美しい箇所に持ってくることは思いつかなかったでしょう。
キャバレーソング風の「Anata Bakana」も素晴らしい曲です。当初は「Abana Bakana」とクレジットされていましたが、途中で修正されました。歌詞を引用します。

 あなた ばかな だめな だめな
 えらぶ げじうつ はじめる はじめる

 大昔 ふたり京都 京都しなご ばかなばかり
 踊る昔 それはただの いつかもしご ばかなどころ

女性が恋人と思われる相手を激しくなじる歌ですが、サビの歌詞には昔ふたりで行った京都旅行の回想がそっと紛れ込みます。こう言っているのかはわかりませんが、少なくともそう聞き取れます。
より具体的なメッセージ性を備えているのが「Yama Yama」です。歌詞を引用します。

 すっかり もう4時
 二度できる
 二度できる
 明日から

 疲りたから
 二度できる
 二度できる
 明日から

 語ったね 私もだ
 山 山 山 山好き
 語ったね 私もだ
 山好き 仲間さま

今日できなくても明日から再びやればいい。というのを辞書で何となく勘をつけながら歌詞にしたんじゃないかと思います。わからないけど、わかる。この感じがとても貴重です。

「Fudji Yama」では、日本の名所が流麗な響きの日本語で語られます。サビの「池袋 たかしまよ 浅い浅草」という歌詞は特筆に値します。これまで言葉の限りを尽くして様々に形容されてきたであろう浅草も、「浅い」という形容詞で語られたことは少なかったはずです。意味ではなく言葉の響きが導き出したこの2語のつながりは、池袋に高島屋がないという事実とも相まって印象深いものになります。
忘れてはならない名曲「Okawa」。日本人であればどんな礼儀正しい人でも川に「お」はつけないであろうという点ももちろんなのですが、それぞれ一番と二番のAメロにあたる「いつもにかわきました」と「すかりよみなしました」という歌詞の韻の美しさが格別です。

このように言うとゲテモノっぽく思われますが決してそうではありません。むしろ音楽としては相当プログレッシブかつ実力派だと思わせる部分が多々あります。特に「Kono Samurai」はYAMASUKIの演奏技術の高さが窺われる曲です。鋭いファズ・ギター、アウトロでここぞとばかりの手数を見せるドラム、そしてYAMASUKIのサウンドを決定づけるとも言える奔放なベースラインが最も強くその存在感をアピールするのがこの曲です。

ほかにも、語るに足る魅力がたくさん詰まった作品なのですが、スタミナの関係上ここまでとします。聴く人によって違って聞こえると思いますので、自分にとってのYAMASUKIを探してぜひ聞いてみてください。

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