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その名残り

数年前に亡くなった友人の電話番号をやっとアドレス帳から削除した。彼女の訃報を(情けないことに)私はツイッターのニュースで知った。本名も住所も家族がいたことも知らないまま、彼女の葬式は粛々と行われ、親しい友人たちでお見送り会を行ったらしい。


同僚とふらり寄った湯島のバーで隣り合い、取材記事を憶えていた私が声をかけたのがはじまり。場末の、といってもさしつかえないバーで「実は下戸なの」と白状してくれた笑顔が可愛くて、次の約束をとりつけた。渋谷のカフェで3時間もねばって、育ちも世代も感性もまったく違うひとなのに楽しくてしょうがなかった。「うちで吞み会やろう」「お酒は苦手だけどサングリアは好き」それが最後の会話。いつか連れていくねと約束した月島の小料理屋は、もうない。


突然の訃報にも、私はなんのアクションもとれなかった。LINEを使っていないのでお互い携帯電話でショートメールでのやりとりだったし、お見送り会に呼んでくれるような共通の友人もいない。電話して「お墓参りさせてください」と家族に伝えることもできたかもしれないが、無意味に思えた。話したい相手がもういないのだから。


先日、本棚の奥にしまっていた彼女の本を読んでみた。出会う前に偶然買っていた一冊。吞み会にこっそり持って行って驚く顔がみたかった。サインをねだろうと企んでたのは昔の話。携帯のアドレス帳に名前を見つけるたび、消せない自分に悩んでいた。もう大丈夫。ページをひらけば彼女の残り香にあえるから、さみしくない。



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