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結局人の心なんてものは本人にしかわからんという話

ダラダラと書き殴ったのに
このnoteをもしかしたら見られてるんじゃないだろうかと思うような絶妙なタイミングで、ケイちゃんがLINEのお返事をくれた。

心底びびった。


これを書き殴ったおかげで気持ちの整理ができて心が落ち着いた部分は大いにあるので、撤回はしない。


いつもは遅くてもその日のうちに返ってくるケイちゃんからのLINEは、珍しく4日遅れで届いた。4日間、私のハートは伊代ちゃんぐらいセンチメンタルジャーニーだったよケイちゃん。

『お返事遅れてごめんね!』と、軽やかに始まるそのお返事には、いつも通りのキモカワな絵文字とともに 『残念だけど健康第一だね』と添えられていた。


その日はケイちゃんが仕事の直前だったので、たいして会話は交わせなかったけど、本当は話したいことはたくさんあるよ と伝えた。
ケイちゃんもそうみたいでなんだか嬉しかった。



出演を断った来月のイベントには、ケイちゃんも旦那も これまで一緒にステージに上がってきた音楽仲間も出演する模様。
もうだいぶ出演者は入れ替わっていて知らない子もたくさんいるし、初代イベントの出演バンドはもういない。

でも出演可能なメンバーだけが終結して別のバンドとして結成していたり、なんだか面白寂しい変化もあるみたい。


私とタミオ君を引き合わせてくれたキューピッドも、出演者の一人。
タミオ君はお休みじゃないかもしれないけど、もし私が元気だったら近況報告も兼ねて会いに行けたらいいな、と思う。



*****



最近の私は、めっきり人と関わることが億劫になっている。

かつては月2で行っていたリサイタル(という名の弾き語りライブ)はもちろん、コロナ禍専用に作った弾き語りインスタアカウントも長らく放置されている。

そして【音楽活動をしていない】という現状を、物足りないと感じるどころか、なんかちょうどいい とすら思っている。


音楽を通して表現したいことも特にないし
音楽活動を通じて誰かと時間や空間を共にするとか、場合によっては無関係な人を呼ぶとか、そのために連絡を取り合うとか

そういう事を やりたいと思う気力が沸かないというか。

たくさん人が集まる場所に出向く勇気がないとか

ご時世的に世間体を気にしていないというのはウソだけど
家族や同僚や恋人に、自分が外から連れてきた菌を渡すのは嫌だなという思いは本気で持ち合わせていたりもする。

ましてやそれが仕事でもない【音楽活動】起因ともなれば、自分が耐えられない。

私にとって音楽は、仕事でも生き甲斐でもなく、ただの娯楽なんだと思い知らされる。


音楽を生き甲斐としている人に対する偏見は全くないし、むしろ憧れている。

没頭できることがあるという事実も
人間以外で、【なくては困る】存在 が あることも。


でもある程度は、コロナ禍に突入する前からそうだった。

時間やお財布に自由がなかった(と思い込んでいた部分も含めて)のもあり、本番はまだしも練習に時間やお金をかけることが辛かった。

辛いという表現は究極だけど、限りなく現実に近い。
罪悪感に似た苦しさ。

みんなと同じように練習やスタジオ入りを楽しめない自分がいつもどこかにいたけど、それでも本番は楽しかったし、みんなと一緒に作り上げる音楽やイベントはかけがえのないものだったからこそ、続けられただけ。


その「本番」の機会を根こそぎ奪われていた数年間の間に
「本番」に対する意欲を失った気がする。



そんなことも含めて、踏まえて
私は6月のイベント出演を辞退して、正式に受理されたことに対して、少し安堵している。少しじゃない、だいぶ。


ウイルスについては
どう対策して、どこまで怯えるのが正しいのか、結局今もわからないけど。



先日、母の日のプレゼントを持ってタミオ君の実家に行った日
同じ日に家族にも叔母夫婦にもお会いした土曜日の夜

私は突然の喉痛に襲われた。

タミオ君にも宣告し、両親の安否も確認したもらったが
その晩はエンドレスで恐れ戦いた。

物が呑み込めないほどの痛みに何度も目覚め、隣にいるタミオ君に万が一何かしらの菌を吹っ掛けてはいけないと布団の中でマスクをして
寄り添ってくれるタミオ君に、心を鬼にして背を向けて

それでも背中から回された手だけを握って、寝た。
まぁ、寝られなかった。


日曜日、早朝にタミオ君を仕事に送り出し

タミオ君の安否確認も続けながら、一日中何も食べずに寝ていたら回復したものの
月曜日に若干ぶり返し、喘息を併発する始末。

熱は一度も出ていないし
咳が出るだけで喉の痛みも引いているし
念のため実施した抗原検査も陰性だったけど

喘息持ちなので 大事をとって在宅勤務に切り替えて医者に行ったところ
アレルギー症状からくる喘息発作であった。



コロナじゃないと安心できるまで
誰の何を心配していいのかもわからず

そもそも安心材料なんて、こうなるともうどこにもない気もしちゃうんだけど

日曜日の朝は、フラつきながらも ありとあらゆるタミオ君の荷物を消毒し、部屋にも空気中にパストリーゼを撒き散らしたりした。


果たしてこれで
どこまで除菌できているんだろうか

目に見えないウィルスに、一瞬にして心がやられた。

身体は結局蝕まれていなかったけど、心が折れた。


もしタミオ君の両親に感染させていたら
自分の親や妹や甥っ子に感染させていたら
もはや隣に寝ていたタミオ君には確実に感染させているはず

妄想が突き進んで
どうしようもないのに自分を責めた。


とんでもねえウイルスだよね全く。

結局違ったし全員元気だけど。
私は喘息とアレルギーの薬を大量に仕入れて服用していて、副作用でやばいぐらい手が震えているだけで今は出勤もしている。

出勤してるけど
痰が絡んだり、時折咽せたりしてしまうのはやっぱり気を遣う。

喘息は夜が酷いから
若干の声変りを果たしていることについても気が揉める。


あたい喘息です
アレルギーです

っていう缶バッチが流行っちゃったりするぐらいだからもう、人々の不安や恐怖は散々煽られた後なわけだし

野外でのマスク着用ルール見直し案みたいなのが出てるみたいだけど、実行されたところで人々は心穏やかに過ごせるのかな。



世知辛いな、とても。




そして
そんなご時世を頑張って生きている今日この頃

特定の名前は出さずとも
芸能界での相次ぐ自殺報道に、心が持っていかれそうな日々です。



顔が笑ってるからって
心も笑ってるわけじゃない。


当たり前のように
「そんな風に見えなかったのに!」
「なんで?何が起きたの?」

って溢れかえる言葉に、なぜか自分が疲れてしまう。


悩んでいるように見せないだけで
誰だって心の中に潜めてる思いはあるに決まってるし

もう 何か起きる というタイミングでことに及ぶとは限らなくて
もちろん何か起きて という事もあるだろうけど、何も起きないことで思い詰める時間ができてしまったり、物事が起こる起こらないがきっかけになるわけじゃない と私は思っている。


家族がそばにいて、みんな元気で
愛する恋人もいる自分ですら

些細な悩みの積み重ねで
何もかも投げ出してしまいたくなるようなことはある。

一人暮らしを始めて、穏やかに過ごせる時間も増えた半面
思い詰めてしまうと誰にも気付かれずに詰めすぎてしまうことだって増えた。



コロナにかかること自体が怖いわけじゃない
自分が大切な人に蔓延させてしまうかもしれないということが、想像以上に恐怖だった。

疎遠になった友人や仲間たちと、どんどん距離が開いてしまうような寂しさだったり

一人の時間を自由に使えないことにストレスを感じる家庭環境であったり、そう感じてしまう自分に対する嫌悪感だったり。


愛する恋人との子供を授かれない自分の身体のことだったり

いくら家族に決断を受け止めてもらえても消えない罪悪感だったり。


大切な人がいるからこその葛藤や苦悩というか。

大切な人がいるから大丈夫、じゃなくて
大切な人が多いほど、悩みの量も比例する気がする。

きっとまじめで優しくて感受性が豊かな人ほど、本来傷つかないようなことで傷ついたり悩んだり、必要以上に不安になったりしてるはず。



もう無理だな、って思った時

心の相談ダイヤルなんて
正直、目に入らないし
記憶に残っていても頭にも浮かばない。

まるで発作のように衝動的に

終わりにしちゃおっかな

って、思う日は 何度もある。


しなかっただけで。
でも、しなくて済んだ理由が明確にあるわけでもなくて。

とにかく
力を入れてうずくまって、衝動に耐える ような夜を何度も過ごした記憶が鮮明に残ってる。



だからそんなニュースを見るたびに
なんで?とか 悲しい!寂しい! よりも

わかるよ

って気持ちになる。


故人を偲ぶコメントを見れば見るほど
その人が愛されていたことを実感したり
もう会えなくなることへの辛さに共感して

遺された側にも
逝ってしまった側にも
感情移入しすぎて吸い込まれてしまう。


自殺がいいとか悪いとかではない
投げやりな気持ちでもなんでもない


「仕方ない」って思う。


家族や友達や恋人が万が一そうなってしまった時にも同じように感じるかどうかはわからないけれど

そうなって欲しくないという気持ちは大前提にあるのは変わらないけれど


どんなに近しい存在でも、仲が良くても、信頼関係を築いていても、わからないことって絶対あるし、どうにもならないことだって必ずある。


耐えきれなくて終えてしまったことも
助けられなかったことも

悪くない。


悲しいだけ。
寂しいだけ。

誰も悪くない。






だいぶ喘息も収まった昨日
自らも高原検査キットで陰性を確認したタミオ君が来てくれた。

会うのはほんの5日ぶりだけど
寄り添って寝られるのは1週間以上ぶり。

ほんの1週間だけど
お互いもどかしい気持ちが助長して

『2ヵ月ぶりぐらいに感じるね』なんて言いながら、思いっきりハグした。


これでもかというぐらい寄り添って寝たし
甘えん坊な息子がママに抱きつくように、タミオ君にしがみついて寝た。


暑がりなタミオ君も
これまでにないぐらい、抱きしめ返してくれて 
今朝仕事に見送るまでの数時間、ちょっとおかしなぐらいずっとくっついて過ごした。

ここ数日の負のオーラが、浄化されていくのがわかった。



大袈裟だけど

私はこの人のそばにいないと、自分の心身を健康に保てないな
と思ってしまった。

言わないけど。

ちょっと依存チックなので言い換えると

この人がそばにいてくれることで、私は元気でいられるな
と実感した 夜でした。


どうかこれからも
心身共に元気で
そばにいてね。

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