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命と金と思いやりの話

私は年に4回ほど、国家プロジェクトに参加させて頂く機会がある。
詳しく書いてしまうと会社名が特定出来てしまうため、曖昧な表現をすることによりとても大袈裟な表現になってしまうのが恐縮だけど。

私がその仕事に携わっていることを
家族や親戚はとても喜んで興味を持ってくれているし
私自身も誇りに思っている。

そんな前提の元にお話しします。




去年の今頃、私は出張でとある離島におりました。


ばあちゃんの訃報を聞いたのは、15日に予定していたミッションが延期になり2日間の宿待機を命じられた直後であった。

突然死ではないし
一度その前に生死の境を彷徨った数か月後のことなので

ある程度心構えはしていたし、出張中にもし何かあった場合に連絡が欲しいかどうかの事前調整もしておいた。
私の希望通り、その約束は守られた。



当時の日本は、まだ国民が心底危険を感じていた一度目の緊急事態宣言が明けて まさに第二波に飲み込まれていた頃。

現地入りメンバーも最小限に絞って工場間移動さえも極力しないように心がけていたような状況で、たとえ何もできない2日間でも帰ってくるわけにはいかなかった。



あの時もし弾丸帰宅していたら、ばあちゃんの姿がこの世に残っているうちに会えたと思うけど、戻らない決断をしたことは後悔はしていない。

正直『していないと言い切れる』訳ではなくて、『言い聞かせている』が正しいかもしれないけど。




コロナ禍のおかげで、生きているばあちゃんに会えたのは去年の2月が最後だった。


たった一度、島から帰ってきた時にお礼とお詫びとお別れを告げるべく手を合わせに行ったきり
あれから私は骨になったばあちゃんにすら会いに行けてない。


感染対策とは言えど
親不孝ならぬ祖父母不幸な孫だなと思う。

しかしながら
あの日から一度も忘れた事はないし、ずっとそばにいて年頃の人生を全力で介護に捧げた母方の祖母が亡くなった時より何倍も何十倍も、生きていた頃のことを頻繁に思い出している。

奇しくも結果的にそれが供養になるんだとしたら
願ったり叶ったり なのかもしれない。



先日、日々通い詰めている近所のスギ薬局でいとこに遭遇した。

近くで働いているのは知ってたし、家も遠くないけど普段すれ違う事は全然なくて
こんなご時世なので欠かさず集まっていたお正月もお盆も、もう2年間みんな別々に過ごしている。


そんないとこと、今年のお盆も集合は出来ないけど
ばあちゃんの命日直前に偶然会えました。

会わせてくれたのかな、と思ってしまいました。


やっぱり生身に会えるのは嬉しいね。

みんな元気でいてくれよ。


母方の祖母に
私の限りある大事な青春時代を捧げたことも

父方の祖母をお見送り出来ずに
国家ミッションを遂行したことも

私の勲章である。



と、自分で言っておく。




ただひとつだけ

出張中にばあちゃんの訃報を聞いて
それでも帰らない事を自ら決断し

ミッションが完了するまではそのことを誰にも伝えなかったんだけど


たとえ間に合わなくても
一日でも早く帰りたいと思い

ミッション完了後、事情を説明して当日に帰ってはいけないかと上司に打診した。



「契約は明日までだから」と言って
上司は許してくれなかった。

その日に帰ったところでばあちゃんの葬儀はもう終わっているし
24時間勤務の夜勤明けに直行便で帰るのは身体に負担もかかるけど


事情を知らない現地の管理グループが帰っていいと言うのに

予定通り明日まで現地に残れという上司。


そもそも当初の予定が延期になった段階で
仕様書は変わっていると思うけど
会社のルールなら仕方ないし、と言い聞かせて 仕様書通りの日程で帰ることにした。


私が現地に支援作業に行くことで
現地からは私の時給の5倍以上に当たる金額が会社に入るわけで

1日動静が変わるだけで、結構な金額が動く。

会社としては微々たる金額かもしれないし
実質私にその報酬は届かないけど。



お金を払う側と貰う側の
露骨な思考の差が見えてしまったのも切なかったけど


それよりも


その時に上司が放った言葉が



「一緒に住んでたおばあちゃんじゃないんでしょ。普通そんなもんじゃないの?」



普通はどうなのか知らないし
一般的な普通を何故アンタが決めつけるの と思いつつ

既に私の心は
帰らないと決めた段階からボロボロだったので
戦う気力もなかったし

気力があったとしても

「普通」を決めつけるような人に
人の気持ちを考えられない人に

何を伝えたって、きっと響かない。



一緒に住んでいないのは
一緒に住めなかった理由があるとか

だからこそ見送ってあげたいとか

逆に思い入れが強いとか深いとか


簡単に説明した言葉の裏の部分に
どんな事情があるかなんてわからなくてもいいけど


それを感じ取れなくても思いやることはできる。



私がもし上司の立場になって
同じ事情を抱えた後輩から相談を受けたら

他の仕事を遅らせてでも、仕様書作り直して

一日でも数時間でも早く帰って来られるように調整してあげようと、心に決めました。




どんな仕事も

思いやりって大事


優しさだけでこなせない仕事はあるけど


結果がどうであれ
その過程で相手の気持ちに寄り添うことはできる。


それが相手に伝われば
たとえ望んでいた結果が出せなくても


「あの時は本当に辛かった」って
思わなくて済むと思う。


相手を思いやれる人で、居続けたいと思います。

ばあちゃんの死を持って
改めて心に決めた話でした。

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