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連載:お寺の女性の今、そしてこれから [19] 杉生美紀さん

こんにちは。未来の住職塾の松﨑香織です。

この連載では、お寺で生活する女性のウェルビーイングを大切にするために、さまざまなお立場にある、お寺に暮らす女性のお声をお届けしています。第19回目のゲストは、浄土真宗本願寺派・寿命寺(滋賀県大津市)の杉生美紀さんです。

取材・文 ● 松﨑香織

ゲストプロフィール:
杉生 美紀 Miki Sugiu
大阪芸術大学卒業。2011年に、滋賀県大津市の浄土真宗本願寺派寿命寺に入寺。同年に得度し、現在に至る。

滋賀のお寺に夫婦で入る

美紀さん 私が仏教に親しんだきっかけは、 僧侶の夫が、出会った頃から一緒にお酒を飲むといつもしてくれていたお説法でした。聞いているうちに私も深く学んでみたいなと思うようになり、中央仏教学院の通信で勉強をさせてもらっていました。
 結婚してから程なくして、亡くなった義母方の親戚のお寺に入ることになりました。夫はこのお寺で暮らしていたわけではなかったから、夫婦ともに初めての土地で。雪の降る真冬に他所から滋賀県へ引っ越してきたのですが、すごく寒くて、私はとっても心細い気持ちになったことを覚えています。でも夫のほうは、ご縁のあるところに来られた、という前向きな気持ちだったようです。
 入寺してすぐに私は得度しまして、周りからは女性が僧侶になることに難色を示す声も聞かれたのですが、これは自分自身の信仰のことだからということで、その道を進ませていただきました。

――お二人とも、お寺や土地のことを何もわからずに入られたとのことで、いろいろなご苦労もおありだったのではないでしょうか?

お念仏を中心とした生活

 そうですね。入寺から約1年で出産して子育てが始まるものの、夫である住職は仕事のため日中はお寺を不在にしていて、頼れる人がいない状態でした。 大変な中で、本堂に足を運ぶことさえ、つらく感じるようになっていきました。そんな折、親鸞聖人が結婚を迷っていたときに、法然上人から「結婚してお念仏しやすくなるなら結婚したらいいし、お念仏の妨げになるのならやめたらいい。お念仏をしやすい方にしなさい」との言葉をいただいた、というエピソードを思い出して。お寺のことが大変でお念仏が遠ざかるくらいなら、結婚をやめて出たほうがいい、と考えながら過ごしていました。お寺を離れても信仰の道はあるだろうし、って。

 でも次第に、私が今こうして本堂で手を合わせていられるということは大変ありがたいことだから、そのことをよくよく考えよう、と思うようになったんです。理想の坊守像を体現しなくちゃ、皆さんのお役に立たなくちゃ、ということばかりに目を向けていて、ご門徒さんから変に思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう……、と萎縮していた部分があったのですが、自分の信仰を深めることを大事にすることを軸にしよう、と考えるようになりました。阿弥陀さまのお軸の裏に、ここは「念仏道場である」との書き記しがありまして、壽命寺はお念仏のことをするための場所なのだし、まずはそちらを向いて生活をさせてもらって、何においても迷ったときはお念仏しやすい方へ進むように、という気持ちで今は過ごしています。

――心持ちが変わられて、日々の暮らしに変化はありましたか?

 お念仏を中心に生きていると、「どんなふうに思われても、自分のペースでやっていけたならそれでいい。」と思えるようになって、良い感じで肩の力が抜けたことでご門徒さんとの関係も良くなっている気がします。

子供たちにオープンなお寺

――美紀さんが大切にされているお寺の活動にはどのようなことがありますか?

 報恩講のときなどはいつも素晴らしいご講師の先生をお呼びしています。本当は坊守である私は絶えず動き回っているべきなのでしょうけれども、お聴聞が大好きな私の一番の楽しみでもあるので、この時ばかりは座って聴かせていただいています。

 私たちが入寺してから近所の子供たち向けの花まつりをやっていて、今年もたくさん来てくれました。「去年たのしかったから、また来たよ」と言ってくれる子もいたりして。今後は、季節ごとの子供会などにつなげていけたらいいなと思っています。「子供たちが気軽に来てもらえるお寺ですよ」ということがもっと周りに伝わればいいなということで、KUMONさんのお教室にも使っていただいています。

宗教に希望を見た幼少期

 子供の頃から、家族の中で私だけが宗教に関心を持っていて、お友達の通っていたキリスト教の日曜学校へ一緒に連れて行ってもらったり、近所の公園で布教をしているおばちゃんの話を聞きに行ったりしていました。宗教というものは、自分が生きていく上で何かとっても良いものなのではないかという匂いがした、というか。以来、自分にしっくりくる宗教をずっと探していたところに、夫と出会ってお説法を聞いていくうちに、私にはお念仏だな、と感じるようになりました。

――幼い頃より、ずっと求めていらしたのですね。
 
 幼少期から生きづらさや理不尽さのようなものを感じていて、「一生このままなのかな。でもそんなのおかしい」と思いながら毎日を過ごしてきました。そこに仏教が「一切皆苦」、すべてのベースは苦ですよ、と言っているのを知って、すごく楽になれたんです。苦しみがあってもまた立ち上がれる、という自分のレジリエンスを信じられる気がして。
 私の場合は、どんなにお念仏を大切にしていても、得度していなかったら、そしてお寺に暮らしていなかったら、次第にそこから離れてしまうだろうことがわかっているので、この先もずっと阿弥陀さまのお側で歩んでいたいな、お寺にいさせていただきたいな、と思っています。

――仏道を歩まれる美紀さんのお話に今日はとっても感銘を受けました。美紀さんのご法話をいつかぜひ聞きたいと思います。今日は素晴らしいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

この連載記事は、大正大学地域構想研究所BSR(Buddhist Social Responsibility)推進センターが毎月発行する『地域寺院68号』に掲載されました。
地域寺院は、これからの地域社会に必要とされる寺院の在り方を探る情報を発信する月刊誌です。
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インタビュアー プロフィール

松﨑香織:一般社団法人未来の住職塾 理事。米国Fish Family財団 JWLI (Japanese Women’s Leadership Initiative)フェロー。役員秘書として銀行の経営企画に10年間携わったのち、ロンドンの非営利組織にてマーケティングに従事。2014年より未来の住職塾ならびに塾生コミュニティ(現在約650名)の運営に携わる。全日本仏教会広報委員会委員、WFB(世界仏教徒連盟)日本センター運営委員会委員。


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