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旅して、刺激受けて、その後どうする?―自己紹介に代えて

 旅をすると、感性が刺激される。

 普段の生活圏とは違うところを歩いているだけで、そこに住んでいる人は何も感じないであろう、ありふれた風景の中にある色使いや佇まいを素敵だと思う。

 言葉の通じない場所だとなおさらだ。
 無意識の緊張感で感覚が鋭くなり、普段感じないことを感じ、思いつかないようなことを考える。
 旅は感性を刺激する。だから、旅をすることが大好きだ。

 でも今年の5月、ソウルの街を歩きながらふと思った。

「旅をして、感性を刺激されて、その後わたし、どうするの?」


いつのまにかつくることを止めた10代

 3-4年前から、「与えられたものを消費するだけではなく、そこから”自分でつくること”をしたい」というのがわたしのテーマになった。

 小さい頃から本や音楽、映画や舞台が大好きで、その延長で、漫画や物語を書いたり、紙とはさみでおもちゃをつくってみたり、シナリオを読んで演技の真似事をしたり。とにかくひとりでこっそり何かをつくることが好きだった。
 当時は「クリエイション」なんて大層なことは欠片も思わず、ただ自分が好きなもののまねっこをしているだけで、それが楽しかった。

 なのに、10代になる頃から、

「'創造'とはクリエイターやアーティストと呼ばれる人がやることであり、そうなれるのは才能もセンスもあるほんの一握りの人たち」

という概念に簡単に染まり、わたしはそんな特別な人間ではない、つくり出すことはできない側の人間だ、と当たり前のように思うようになった。

 わたしが 10 代の頃は、今のように「誰もが写真や動画を撮り SNS で発信」という時代にはまだ早かったし、"その道のプロ" の人たちの創り出すものが大好きだったからこそ、余計その思いは強かった。

 その後、大学時代は美術史を専攻し、卒業後はマーケティング職に携わる。どちらも楽しく、「わたしは、才能豊かにつくられたものを存分に楽しんだり、そういったもののを世に広める手伝いをするのが合ってるー!!」と心の底から思っていた。

 そうこうしているうちに、「自分でつくる/公開する/売る」ことのハードルはどんどん下がる世界になっていったのだが、

「クリエイションすることができるのは、その才能のある人だけ」

という思い込みが強すぎて、「自分で何かをつくってみよう」という気持ちはなかなか沸いてこなかった。

「つくる」ことで、人生の手綱を自分に戻す

 そんなわたしに転機が来たのは2020年。

 世界はコロナ禍。
 その数年前から K POP にはまってたわたしは、ステイホームの日常が続く中でいよいよどっぷり浸かっていき、コンサートやイベントが実施されない中での情熱の行き場として、ついにファンメイド動画を編集し、匿名で国籍も明かさず SNS にアップするようになる。

 その時、どうせなら少しでもスキルが身につくといいなと、スマホアプリのテンプレなどは使わず、ガチの動画編集ソフト Davinci Resolve を独学で習得しながらつくった(今思えば、この選択はとても良かった)。

 こつこつと作ってはアップしてているうちに、少しずつフォローしてくれる人が現れる。つくるモチベーションはどんどん上がり、動画だけでなく、フォトショなどを使いながらコラージュをメインとしたグラフィックもつくるようになった。
 そして時々、国も年代も違う人たちから、「あなたの作品、いいですね」「センスがすごく好きです」などとも言われるようになった。

「あ、わたしつくること=生み出すことできるんだ」

 ある日、そう気づいたことは、わたしの人生上とてつもなく大きいパラダイムシフトだった。

 つくったものはどれも、いわゆる「オタクが作った趣味のエディット作品」だし、特にバズったりするわけでもなく、フォロワー数が莫大なわけでもない。それでも自分の中にあるパワーを感じた。
 自分の中にあるイメージを形にしていく行為って、なんて自由で、楽しくて、力強いことなんだろう!

 きっかけとなった K POP は今や巨大産業で、基本的にファンは「(最終的には無力な)消費者」であることを余儀なくされる。ファン以外の人には信じられないような手法で消費を促され、さらにオタク同士で競争を煽られるようなことは日常茶飯事だ。

 考える暇もないほど次々に与えられるものを消費していくと、やがて人は疲れてしまう。

 そして、いつのまにか与えてくる側(たとえば K POP だったら所属事務所)に対して「被害者」のような意識を持ってしまう。

 わたしだって、そのシステムから逃れられているわけではけっしてない。

 でもわたしの場合、「つくる」ことをしている時は、外部に翻弄されるのではなく、自分が中心である=自分の手で手綱を握っている、という感覚を持つことができた。

 爆音の刺激の連続の中で簡単に流されていってしまいそうな、だけど「たしかにあった、心を震わせた瞬間」を、掬い取って形にする時間をとることで、そういった翻弄、喧騒からいくぶんか距離を置くことができた。

 そうか、つくるという行為は、人生の手綱を自分の手に戻す作用があるんだ。

 ならば、もっと「つくること」を自分の人生に取り込んでいきたい。

旅を消費で終わらせないために

 「旅をして、感性を刺激されて、その後どうするの?」と思った時、「旅のガイドブックを作ろう」と思った。

 まずは、ソウルの美術館を中心としたお気に入りのスポットを紹介する小さいガイドブックを作って Kindle で出版してみよう。

 なぜなら、「ソウル」も「美術館」も結構縁が深く、10年以上にわたり何度も行っていて、今も通う場所(今年既に3回行っている)だし、なにより両方共、感性を刺激される大好きな場所だ。
 「つくる」だけでなく、それを「売る」ということもずっとやってみたかったので、ちょうどいいと思った。

 …というわけで、この note には、ガイドブックを出すまでに起こるであろう様々なことを書き留める場所にひとまずしようと思っている。

 こんなことをできるだけ書いていく予定―――

  • ソウル旅行記、ソウルの好きな場所について:ひとまず今月(7月)、10 日間ほどソウルに行くのでそこで感じたことや、いいと思った場所を書き留めておく

  • ガイドブック制作過程:初めての Kindle 出版、写真や動画も自分で撮って盛り込むつもり。インスタも始めてみたい、そして紙でも何かできたらいいな、、などなど考えていることはいろいろ。一歩一歩、その過程や気づいたことなどのメモ

  • もろもろ考えたこと:実はもうかれこれ10年ぐらい、SNSやブログで日本語での発信を一切をやっていない。ので、リハビリをかねて、ゆるく日常で考えていることのメモ

 あと、コロナ禍前の2018 - 19 年頃、当時ソウルの街にたくさんあった「1階に商品がないフラッグシップショップ(GENTLE MONSTER や ADER ERROR など)」にはまって、その面白さを文章にしていたことがある。

 結構熱心に書いたのだけれど結局どこにも公開することなく、パソコンのフォルダの奥深くにあったので、少し文体は固いけれど、これも note 開設記念でアップしようと思う。

※Part 3~4 はアップ次第リンク予定

では、続くことを祈って!

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