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Satén Japanese tea (日本茶)

かつての喫茶店文化のなかに、日本茶はほとんど存在していなかった。日本茶は家で飲むもの、飲食店で無料サービスされるものという感覚があった。今は多くのひとが日本茶を、ペットボトルでごくごく飲む時代。それをキリとするならば、ピンは一杯のお茶のために亭主の感性のすべてを働かせて供される、茶道のお茶だろうか。特定少数の客のために場を設え、心尽くしの料理や酒を用意し、炭で湯を沸かし、美しい作法で点てる伝統的なお茶。そういうお茶とペットボトルのお茶のあいだが空洞になっている。コーヒーのように、街で気軽に飲めるお茶というものがあっていい。一杯ずつていねいに、目の前で淹れてもらえるお茶があってもいい。茶葉の生産地との地理的距離を考えれば、コーヒー以上にそれはあっていいはずのものなのではないか。コーヒーに比べ日本茶は、圧倒的に産地に近いのだから。


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 朝晩、店の前を通るときに会釈する。駅前商店街が住宅街に変わる角にあるSatén Japanese Tea(サテン)は、気候のいいときには戸を開け放っているので、カウンターのなかでお茶やコーヒーを淹れる小山和裕さんや藤岡響さんと、ちょっとした挨拶をかわすことができる。

 開け放ったところに、外へ向けて簡素な木のテーブルと椅子が設えてある。縁側のようだと思う。露地を眺め、夕涼みや日向ぼっこをしながらお茶を飲むような、内でも外でもない縁側に、子供の頃からずっと憧れている。 

 このごろは、縁側はもちろんのこと、日本茶を急須で淹れる習慣も、めずらしくなってしまったと思う。だから外でプロに淹れてもらうのかもしれないし、そうしたことを新しいカルチャーとして捉えることができるのかもしれない。

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