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#Interview 53 旨味のかたまりを最後まで余すところなく食べるために

食の仕事に携わる人々の、パンとの関わり、その楽しみについて伺う企画、53回目は銀座・THIERRY MARX総料理長の小泉敦子さんです。取材は2020年2月末に銀座4丁目の交差点を見下ろすレストラン、THIERRY MARXのダイニングで行われました。COVID-19による緊急事態宣言を受けて、多くのレストランが休業せざるを得なくなる直前でした。その後、非日常が日常になってしまうなか、「明けから、皆様に喜んでいただけるように、きっちりと準備して参りたいと思います」とアスリートのように、おっしゃっていたシェフからの、突然の連絡に言葉を失いました。THIERRY MARXはこの5月末、残念ながら閉店。でも、こんなに素敵な方が、この時ここに居たこと、パンとのつきあい方について、こんな風に話してくださったことを、ここに共有したいと思います。今後のことはまだ伺っていませんが、新たな一歩を踏み出されていると思います。わたしは彼女とまた会える日を、そしていつかその料理を楽しめる日を、心待ちにしています。

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フランス料理のパンは、料理を余すところなく食べるためにある

THIERRY MARX総料理長 小泉敦子さん

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山型食パンのトーストにバターをたっぷり

 子供というのは親の影響を受けるものだと思うのですが、私の父は仕事で海外に行くと、帰国した翌朝も平然とトーストにバターをつけて食べるような人でした。ヨーロッパ文化が好きで、料理は昔からフランス料理が大好きで。今思うと、食べることが好き過ぎて、エンゲル係数だけが異様に高い家でしたね。家族の誕生日はレストランにフランス料理を食べに行く。プレゼントは記憶になくて、全部食事なんです。仕事が忙しかった父とは、そのように食べる思い出ばかりです。

 今は仕事が始まると試食もあるので、基本的には深夜まで食事をしない生活です。休憩時間がとれた時には、銀座界隈で買ってきた山型食パンをオーブンで焼いてバターで食べます。食べているところを誰かに見られると、「バターのつけ方がえげつない」と言われるのですが、たっぷり乗せて、半分溶けてまだかたまりがあるくらいのが好きなんですよ。食パンは家でも冷凍して常備しています。

このパンがあってフランス料理が発展していったことを実感

 フランスのレストランで働くために渡仏した初日に、町のパン屋さんの1ユーロちょっとで買えるバゲットを食べたのですが、日本のパンのクオリティが高いというのも分かった上で、そのおいしさに愕然としました。空気も含めておいしかったんですよね。土地のものをその土地で食べる大事さかな。「このパンがあって、それをベースにフランス料理は発展していったんだな、キャーくやしい!」と。そこからフランスに9年いましたが、何がすごいって、休みの日にパン屋さんで買うバゲットが、いつでもどこでもハズレがなく、くやしいことにおいしかったんです。焼きたての温かいのを紙で巻いてホイッと渡されるから、抱えている腕からいい匂いがふわーっと漂ってきて、ちぎらざるをえない。家に着くまでに三分の一食べてしまうことも。

 嗜好品としてはパン・オ・レザン。あのぐるぐる巻きのパンがとても好きです。日曜日にはお店も閉まってしまうから、基本的にパン屋さんに行くと必ず買って常備していたんです。バゲットだとカチカチになってしまうけれど、ヴィエノワズリーは買ってとっておくものでした。

旨味のかたまりを最後まで余すところなく食べるために

 フランス料理というのは、ソースありきだと思っています。ソースは肉などのおいしいエキスをギュッと詰めたものに、お酒やバターで香りをつけて抽出した旨味のかたまりなんですね。それを残すわけにはいかない。残すという選択肢が私にはなくて、お皿を舐めるわけにはいかないからパンを使う、みたいなところがありますね。

 そんなフランス料理におけるパンは、極端な話、ソースを食べるためのものです。今の私の考え方ですが、お皿をきれいにする云々ではなくて、最後まで余すところなく食べるためにあるのです。そういう意味では、特徴があり過ぎるパンは難しいかなと思います。このレストランでは、ニュートラルな小麦味のプチパンです。前菜にはオリーブ入りのパンなどをご用意しているのですが、魚料理、肉料理と進むに従い、ソースと合わせたひとまとまりでこの一皿をどうぞお食べください、とお出しするので、そこにもしも異質なフレーバーが入ってしまうと、うまくいけばマリアージュですけれども、一歩間違えるとケンカになってしまうわけです。

 以前は前菜にブリオッシュを供していたこともありましたが、油脂分が多いので、お腹が空いているコースの前半で食べ過ぎると後半に響いてしまうことがある。ティエリー・マルクスが言っているのは、昔は「お腹いっぱい」というのがもてなしの一つだったかもしれないけれど、今は食べることで健康になる時代で、苦しくなるほどお出しするのは違うということ。「あぁおいしかった、明日も頑張ろう」という、すっきりした感じを目指しています。

小泉 敦子 / THIERRY MARX総料理長

東京都出身。エコール 辻 東京のフランス・イタリア料理課程卒業後、辻調グループ フランス校に留学。フランスの二つ星シェフ、ティエリー・マルクス氏のもとでChateau Cordeillan-Bages(ポイヤック)、Restaurant Laurent(パリ)を経て、マンダリン・オリエンタル・パリにあるRestaurant Sur-Mesure par Thierry Marxでセカンドシェフを務め、2016年8月、東京・銀座のレストランTHIERRY MARX総料理長に就任。

NKC Radar vol.86 より転載

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