未知の世界への玄関
空港にはいい思い出も、楽しくワクワクするような思い出もあり、一方では悲しい記憶も、不安な気持ちを抱いて空を飛んだ記憶もあって、私にとっては家族や大事な人との思い出や記憶が詰まった大切な場所だ。
私にとって空港は、いや成田空港は、いわば人生の縮図と言っていい。
私は成田空港が大好きで、一度だけ国際線で利用した羽田でも、国際線ゲートに行くと、「これから自分は、まだ知らない世界へ旅立つ」という感覚になる。
空港の出発ゲートでは、日本を含め様々な国から来た数多の旅行者やビジネスパーソンたちが、荷物を転がし各々パスポートを持ってせわしなく歩き回っている。
いつだって「知らない世界」が私の憧れだった。
「知らない世界」も私のことを知らない。それが魅力的だった。
無意識に、あるいは意識的に居場所を探しては失敗し続けてきた私にはそれは必然のことだった。
空港に関する、思い出せる限りの私の最初の記憶は、パキスタンの空港だ。
たぶんカラチだったと思う。
到着したのは夜で、親戚たちがミニバンで迎えに来ていた。
外の眩いばかりのオレンジ色の街灯が印象的だった。
次の記憶が、日本に帰国してから、成田空港のどこかの階段の下で、祖父母が手を振って私たちを迎えてくれた時の記憶。
その次は、数年後、小学校中学年程度の頃、叔父が仕事で来日することになり、父と一緒に迎えに行った時の記憶だ。
もうすでに私は、叔父とコミュニケーションを取る言語を失っていた。家族なのに、叔父と会うのはとても嫌だった。
そんな自分がとても悲しかった。
さて次の記憶は、ウラジオストクへ妹と一緒に出発した時だ。
空港に着いたのがギリギリになってしまい、2月で「ロシアへ行くのだから」と気合いを入れて防寒対策をした私たちは、焦りで汗びっしょりになった。
アエロフロート航空の貧相なプロペラ機に3時間揺られて具合が悪くなった私は、エチケット袋の世話になるしかないと諦めかけたその時に何とかウラジオストクに到着し、未使用のエチケット袋に見送られて、逃げるようにして飛行機を降りた。
そこから破天荒ながらも楽しい旅が始まった。
思い出したい記憶は、ここまでだ。
たまたま気分のいい日で(実は最近そういう日が多い)史上最高に盛れている証明写真のついたパスポートを見て、有効期限をチェックする。
まだあと5年もあるではないか。
この次は一体どこへ行くことになるだろう。
実はウズベキスタンに旅行で行きたいなと考えていた頃、成田↔︎タシケント間の直行便があるという情報をゲットした。
今年は難しいので、来年行けたらと思っている。
俄然楽しみになってきた。
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