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現象としてのモダン・ポップカルチャー①

ポップカルチャーとひとえに言っても、小説や映画から音楽やスポーツまで、その種類は様々であるが、中でも比較的モダンなものとしてはアニメとアイドル、そしてより一般的に、ポップミュージックが挙げられるだろう。これら二つの"Japanese" ポップカルチャーと、ポップミュージックを現象として捉え、我々が日々目にする大衆文化の本質を見極めようというのが、今回から複数回に分けて書かれるこの記事たちの意義である。

ちなみに、本noteの内容は、以前学部の後輩の為に書いた"Media & Globalization" の有料部分で公開したノートの内容と密接に関係しているので、本記事を気に入って頂いた方はGISの生徒以外であっても、是非購入してレジュメ代わりに使って頂きたい。↓

テーマ:"アニメ"の国籍?

アニメはどこの物?という問いに90%以上の人は日本だと答えるだろう。いや、これを間違いだというつもりは無い。むしろ国産の"アニメ"を"アニメーション"や"Cartoon" と区別したほうがすっきりする、という意味では賛成であるし、政治的経済的にもそうしたほうが合理的である。直観的にも、海外のアニメーションの存在を認知していながらも、アニメという言葉を聞くと「日本の」アニメを連想する方が多いのではないだろうか。しかし、残念ながら、国産かそうでないかの境界線は明白ではない。

そもそも、皆さんが今思い浮かべているアニメが国内で作られているという根拠は、何処で得た?

A. 産業としてのアニメ

まずは経済的な面からアニメを見てみよう。日本より海外のほうがアニメ業界的に影響力を持つ、という場合、アニメは「日本のモノ」といえるのだろうか?

1. アウトソーシング

結構な数のアニメが純粋な国産ではないと考えられる一つめの根拠は海外へのアウトソーシングである。例えば、東映はおよそ70%の作業がフィリピンの子会社により行われている。また、業界全体でも、66%の作業は海外で行われているという指摘もある。これらのアウトソーシングは1980年代に増加し、主にアジアの国々で作業が行われている。

2. 海外資本

ならば、アニメを制作している、おおもとの方はどうか?こちらも海外勢力の影響が増している。有名なものは、Netflix。他には中国の制作会社も、「あらかじめ日本の市場での展開も考えたうえで企画が考えられている」作品を作り始めている。(引用:日本アニメ産業への中国・アメリカ資本投入は危機か? 希望か?)

資本とは異なるが、例えば霊剣山というアニメは中国のウェブ小説が原作となっており、そもそもIPが他国に属する、というケースもある。

3. 市場規模

じ、じゃあ、消費側は?これは、市場規模では、若干国内の方が大きい。animeanime.biz によると、2018年の「国内外の売上推移では国内売上が昨年より減じて1兆1,579億円となる一方で、海外売上は約3割増しの9,9487億円となって」いる。しかし重要なのは海外のマーケットの伸びの方が圧倒的に大きく、国内市場はむしろ縮小の傾向にあるという点だ。というか、これは2018年のデータなので、もう海外の売り上げのほうが大きくなっているかもしれない。この状況が続けば、海外の消費者の需要にフォーカスするという業界の流れが出来ても(経済学的には)不自然ではない。

B. 「アニメ」の起源

もしアニメの技術の大半が海外に由来するとき、アニメは日本のモノだと言い切れるだろうか?

アニメの基になっている漫画の起源を日本だと断定する人々はそのルーツが「鳥獣戯画」にあると主張する(鳥獣戯画⇒漫画⇒アニメ)が、連続する動きを描いていないという点で、(少なくとも技術的には)無理があるように思える。

それよりも大きな影響をもたらしたと言えるのが、以下に挙げる海外のもの二点である。*アニメが日本の人やものから影響を受けている事は言うまでもない。ここでは敢えて海外からも強い影響を受けている事を述べる。

1. ディズニー

沢山のアニメアーティストがディズニーの影響を受けている。例えば、手塚治虫は「漫画大学」ミッキーマウスの描き方を紹介しており、これは少なくともディズニーと日本のアニメーションが全くの別物では無い事を示唆している。単純な図形の集合体で作成されるディズニーのキャラクターデザイン法は、当時の日本のアートの潮流(ここでは詳しい説明は省く)とマッチしており、1920年代から日本でもポピュラーになっていった。

2. モンタージュ

Eisensteinによるモンタージュ理論は、シネマでのモンタージュの使用法を革新した。日本にも持ち込まれた彼のモンタージュは大変な影響をもたらしたといえる。*モンタージュ: 「映画用語で、視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法のこと。」(Wikipedia)

現在でもモンタージュは一般的な手法であるが、興味深いことに、Eisensteinは日本の歌舞伎にインスパイアされたと言っている。このように他国の文化が影響を受けあうことはよくある事で、この点が文化の発祥や「所属」という概念を複雑なものにしている。(カレーライスは、日本食だろうか、それともインド料理?)

C. クールジャパン

以上二点から、アニメは純粋に日本のものである、と言う事はもはや不可能であろう。アニメは、アニメーションの技術を日本独自の文化として昇華させたものだが、現在は国際競争により、日本の独占状態ではなくなりつつある、というのが正当な評価であろう。ここまで、アニメに海外の資本が関係している事や、起源が海外にあるかもしれないという事を書き連ねたが、それを"国産"の程度や、良い/悪いのスケールで議論しようというつもりは全くない。(だれかやって下さい)

個人的により興味深いのは、日本がアニメを自国のものだと主張し、それが受け入れられているという現象である。その「主張」の最たる例がクールジャパン戦略だろう。狙いはいうまでもなく、アメリカのハリウッドやディズニー、韓国のK-PopのようなSoft power diplomacyである。うまく折り合いがつかない政治・経済問題とは裏腹に、ある国のポップカルチャーが海外で受け入れられる速さは驚くほど速い。 そのカルチャーの海外進出には政治的狙いがあるのに、だ。その点ではクールジャパンはじつにナイスな政策だし、実際にうまくいっているように感じる。

この現象が、どういった意味を持つかはその人の環境によって異なるだろうが、より一般的な話をすれば、こうした俯瞰的な理解はものごとをニュートラルな視点で見つめることが出来る、という点で重要である。


、、、みたいな感じであと二回、やっていこうと思います。自分はこのnoteを通してできるだけ客観的に、一般的に現象をお伝えする事を目的としているので、個人の意見をなるべく省いていますが、コメントでのご意見はむろん大歓迎でございます。

ありがとうございました。

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