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こまきさわこ プロフィール  - フランス(孤独から鬱)編 -

その後はパリに移り、アートスクールへ通う。日本で言うところの専門学校のような感じで、色彩やヌードクロッキーや立体や平面のデザイン、美術史などを学ぶ。
作品はいつも高評価で、廊下に張り出されることも多かったし、クロッキーも先生に気に入られてご自宅でのレッスンに出させてもらったりもした。そういや今思い出したが、あれは学年末だったかソニアリキエル本人が来て作品を講評したりしていた。

でも、やっぱり知らない言語で授業を受けると言うのはすごく心許ない。言われた通りにできているのか、その意図は汲み取れていないだろうし、ここで勉強したことがものになるとは到底思えない。そんな風に感じていた。
また自分の成績の良さはフランスで通用するほど自分の感性がいいのか、それとも日本人の感性が向こうには珍しくて評価されているのかがわからなくて、後者なら先がないだろうとも感じていた。(今思うとどっちだったとしてもうまくいったかもしれないと思える。なんとなく)

言葉も話せない。その後の具体的な筋道が見えない。そうなると、フランスにいていいのか?意味あるのか?と思うようになってきた。

確かに高校の時の中での選択肢としては、留学が一番服のデザイナーには近い道だった。けれど、それは遠回りであり、デザイナーに続いている道なのかも疑問。
そもそも普通に考えたらこんな遠回りはしなくていい話だし、ここで何年もやったところで、言葉の壁もあってしっかりとした学びも得られない。ただ自分の中にあるものを作っていくだけで、言葉がわからないと言うことはフィードバックもアドバイスも生かせられない。と言うことは、ブラッシュアップもできないだろう。それで何年も過ぎてしまうことも意味がないと感じるようになった。

これが、バカロレア(フランスでの高校課程修了認定みたいなもので、これがあればフランスの大学等入ることができる資格)を持っているとかになれば話は別だが、言葉を習得して、それからバカロレア受けて、、とかになるとすごく遠回りだし、何かのコネがあるわけでもない状態でデザイナーの職に就けるなんてことは難しいと言うのもわかってきていた。
ここで何年も時間を無駄にして、その結果何も得ることができなかったと言うことだけは避けたい。

そんな思いが出てきていた。
もちろん、これは当時の情報がない中、行ったからこそわかったことだったと思っている。それに行ったことでいろんな経験ができたし、いろんな視点も、価値観も、ライフスタイルや、様々なものを吸収できたので、本当に良かったと思っている。

そして一方で、パリでの生活は本当に全くの孤独だった。
1人での孤独はそんなに寂しくない。
けれど人がいる中での孤独は本当に辛かった。
さらに言葉の壁があると言うことは、言葉を交わしたところで心のつながりは生まれないと言うこと。なぜなら深い話ができないから。

英語であれば高校までの知識がある程度あるので、耳が慣れれば言っている意味はだいたい取れるようになるだろう。
しかしフランス語は自分の中に全くのデータベースがない。
だから、何かあった時に誰かに聞いてもらうと言うことができないし、気持ちを表現することがそもそもできないし、「それがどうしてなのか」「どうしたいのか」も伝えることができない。相手の言葉もわからない。

語学留学時代は日本人のコミュニティがあったから良かったが、パリは本当に生活をしていたわけで、関わる人はフランス人ばかり。

メンタルがボロボロで、その上言葉がわからない、表現できない、誰ともつながれない。

本当に全くの孤独。

すごく寂しかったし、いろんなことが恐怖だった。
助けてと言ったところで、状況の説明できない。
そして、つながりが全くない。
どこにも所属していない心許なさ。

日本にいるときは、それでも言葉が通じた。
誰かにつながりに行くことができた。
しんどかったとしても、親がいた。
何かあった際に、死ぬことはない。守ってくれる存在があった。
命の危険にさらされる恐怖はなかった。

でも、外国で身寄りもなく言葉もわからず暮らすということは、
どんなことがあったとしても頼れる人がいないということ。

しかも、旅行なら終わりがある。
気楽さがある。
でも、生活するということはその先に人生があるということ。
終わりがない。
今の選択で人生が決まっていくということ。
とても厳しかった。

ただでさえ抱えているものが大きすぎる。
そして自分にOKが出せず、自分も人も信じられず常に強い緊張と恐怖を感じている私にとっては、
この終わりのない外国で暮らすということの重み、
そして、全くの孤独というものは到底耐えられるようなものではありませんでした。

全部を自分で抱えるしかない。
全部を1人でするしかない。

毎日ひとり。

毎日帰ってから、誰とも話さない。

誰ともつながってない。

安心できる場所も人もない。

日本に電話するのはとてもお金がかかるし、当時インターネットはあったけども今みたいにブログとかもなく、チャットや通話もできたけども日本とは7時間の時差があって、タイミングがあわない。

どんどんと気持ちが塞ぎ込んで行きました。

夜は1人で泣いていることが増えました。

先日書いた自己嫌悪とコンプレックスから常に感じるストレス

そして、全く先の見えない人生。


希望も確信もなく、ただ人生を浪費しているのではないか?

という不安と焦燥感

重く重くのしかかってくる人生の重み。


この頃から、自分の中で光みたいなものが感じられなくなりました。

「どうしよう」「どうしよう」と常に不安で、心の中に抑揚がなくなりました。

 

全くの孤独から、鬱発症したんだと思います。

診断はもっと先になります。



やっぱし、

お も い ♡


なんかもー、デフォルトっすね!w

重い人生選手権とかあったら、良い線行きそう♪

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