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2020/6/25のぼんやり余生300日目。

おっと。

2019年の8月末日に「何があっても」後の人生ぼんやり過ごして行くぞ!と想いを認めてからちょうど300日が経過した。ゆるい国家のゆるい宣言解除から50日。

「何があっても」ぼんやり過ごして行くぞ!としたためてからあるわあるわ。なんだこれ?なんだこの人生?まぁこんなもんだよな人生。

昨年引継ぎをしてからどんなもんか街の状況を見ながら色々立て直しをしつつ店を転がしてきたけど、あのウイルス先輩の暴君っぷりにより、さらに店というものと人生を見直さなくてはいけなくなった。

「もう以前のような生活には戻れないのか?」

いわゆる組合に近いユニティーに参加し集合セールの数をこなして外貨を得るスタイルだった先代。店は買取窓口と割り切っていたところもある先代。紀元前、紀元後。多分、元に戻る努力が其処彼処で実践されるはずで、それはそれでいいんだけど。うつされるよりうつすの嫌だし。アフターだの、第2波だのがある程度続くはずで、あてにはできないし。並列にするもんでもないけど、マイクロプラスチックやら、サブスクリプションやら。

ランニングコストの圧縮の余地はまだまだあるわけだけど、そんなことより何にプライオリティーを置くかが重要なですよね。

ここ2ヶ月街の緞帳が降りる時間や、路上に放たれている人間を見る限り、もう以前のようには戻らないような気がしてる。あと、10年ぐらい前にこの店で思ったことが路上でも起こってるような気がする。

「一般ユーザーが現場から消えた為、もともと分子が多くて目立たなかったコントの国の人が目立つ。」

7月が目の前にある。

ココに関してはアポイントがある場合を除いて夜19時まででいいような気がしてきたし、毎日開けなくてもいい。ランニングコストの圧縮という点でも、コントの国の人の相手をしなくてもいいという点においても。では19時以降どうするか?飲み屋をやる?いやぁ、だって往来がないんだから無理だな。じゃぁどうするよ、稼がないといけないし…。

「家」をやればいい、「家」を。

ということで、6年間の神戸で道半ばで挫折した「家」と「路上」の拡充を思いついてしまいまして、2020年7月から「家」をやります。外貨で「家」を保持するんではなくて、「家」を転がして「家」で稼いで家を回しながら遊ぶ金を作っていくわけですね。「店」は「店」で独立して存在してもらって。

あとはどう伝えていくかだけだと思うし、それならぼんやりとやり過ごすことが可能だな。

いったい何の話だよ!

noteのサークルってひょっとして使えるんじゃないかと思ったところです。

安田 (珍庫唱片//NGOO, ROOK RECORDS CASUALS, 家, antoniothree)

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