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情報が多すぎるこの時代に疲れた。次に望むのは「人」が重視される時代

息が止まるような素敵なものを見た。一生の思い出に残る経験をした。人生を変える言葉に出会った。

こんなときはいつも誰かに伝えたいと強く思う。

どうして?
その答えは見つからないけど、いいものを人に伝えたいという感情は、きっと自然な感情なんじゃないかな。
少なくとも私にとっては。

好きなものを紹介したいという明確な目的を持って文章を書いたとき、たくさんのフォロワーが欲しいと初めて思った。フォロワーが多ければその分多くの人に広められる。

今まで数を全く気にしてこなかった私は、フォロワーを増やしたい人がどういう気持ちなのか、初めて知った。

こうなってくると日々のツイートにも気を遣うようになる。

「こんなこと書いたら、フォロワーさんが減ってしまうかな」

山Pが2年ぶりにコンサートツアーをすること、4年ぶりにアルバムをリリースすることが発表になった。私にとっては待望の大大大ニュースなので興奮したテンションそのままに嬉しさを全力で表したかったけれど、そんなツイートは求められていないだろうと思ったので自粛した。

私はにおいをかいだだけで吐けるほど牛乳が嫌いなのだが(生まれも育ちも北海道なのにもったいない)、毎日のように子どもが牛乳をこぼし、息を止めながらそれを拭くときのつらい気持ちをツイッターで発散したいという衝動にかられる。でもきっとそれも求められていない。

最近ほとんどツイートしていないのに、1日に2人ずつフォロワーさんが減っていく。
フォロワーさんは一体私にどんなツイートを求めているのだろう。

「フォロワーを増やしたいなら役に立つ情報を発信しよう」

こういう内容のツイートやブログを頻繁に目にする。確かに私も自分に興味のあることについて情報発信をしているアカウントをフォローしているし、発信される情報を参考にしている。

でもそのアカウントが情報以外のことをツイートし始めたらフォローを外すだろう。私は知りたいのはそれは発信される情報だけだから。

私がフォローしている人に求められていることはなんだろう。

その人の日常を垣間見れるような、その人の一部分を切り取ったような、そんな何気ないツイートが好きだ。
オンライン上であっても、その人の雰囲気を感じられることがある。なんとなく好きだなと感じ、思わずフォローしてしまうような。「人が好き」な私はそんな人に一方的に親近感を抱く。

そこに「情報」は必要ない。
ただその人がその人のままであればいい。

服部タカユキさんや仲 高宏さんが書かれたnoteを読むと、こういう風に思うのは私だけじゃないんだろうなと思う。すごく共感できるから私はお二人が大好きだ。

今の時代は情報が多すぎる。取捨選択の判断をする暇もないくらい次から次へと流れてきて、私は食傷気味だ。こんな時代がずっと続くのだろうか。

情報過多の次はその人の個性や人間性が表れているアカウントが人気になる時代がくると予想している。予想というか願望かもしれない。その方が私にとって楽しいし、きっと生きやすくなる。

時代が変わり続けていくものだとしたら、きっと次に情報よりも「人」が重視される時代がくる。だってずっと情報の洪水にさらされているのはすごく疲れる。それに情報よりも人との関わりを求めている人もいるはず。

私は情報だけを追うのはもうあきらめている。
私が好きなのは書いている人を想像できたり、その人の頭の中を覗かせてもらっているような、「人」が全面に表れているそんな文章だ。

photo by Hannah Nelson

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