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わたしたちについて|Vol.003|中山太雅【前編】

外部委託として携わり、1ヶ月後にはファンファーレにジョイン!入社のきっかけは、仕事をしている中で違和感なくコミュニケーションができたこと、そしてフロントエンドの立ち上げというゼロイチの作業に関わったことで生まれた愛着でした。レーシングドライバーという異色の経歴から、コロナ禍の中、一度も対面することなく入社した経緯までお聞きしています。こちらは前編です。

プロフィール

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中山太雅
父親のPC-9801N を使ってBASIC でコードを書いたのがプログラミングとの出会い。その後Performa588 を使ってHyperCard でスタックを作ったりPerl/HTML/JavaScript でゲームのタイムを登録してランキングを競う様なサイトを作ったり、Java+AWT でレースゲームを作るという今考えると無謀な事をして小中高時代を過ごす。その後、慶應義塾大学環境情報学部に進むがせっかくの環境を活かす事なく自動車とレースに没頭。大学卒業後は神奈川県の小さな受託開発会社に勤務しながらレース活動を行い、その後DeNA、Japan Digital Design、個人事業主を経てFanfare にジョイン。

■もともとはレーシングドライバーになりたかった

編集部:中山さんは多彩なバックグラウンドをお持ちとお伺いしました。

中山:そうですね。時系列でバーっとご説明すると、大学卒業後は神奈川県の受託開発と自社開発をしている会社に入りました。大体10人ぐらいの規模の会社だったんですね。在学中からずっとその会社でバイトをしていました。ちょっとパーソナルな話になっちゃうんですけど、当時私は、本当はプログラマーになりたかったわけじゃなくて、レーシングドライバーになりたかったんですね。

編集部:レーシングドライバーですか・・・!?

中山:レースってめちゃくちゃお金がかかるんですよ。参戦するために年間数百万が必要でして、個人でやるには限界があるので、スポンサーについてもらって参戦する形が多いんですけど。そんな中その会社の社長が「うちでレースやらせてあげるからおいでよ」みたいな感じで言ってくれたので、じゃあ行くかって感じで。当時はレースを続けるっていう上では他に選択肢ってなかったので。レースをしたかったけど、プログラムも小学生ぐらいからやっていて好きだし得意だったので、それをメインの仕事にしながらレーシングドライバーを目指していた時期が最初の会社でしたね。規模がすごい小さかったんで、最終的な肩書としては執行役員みたいな感じになっていましたけど、上場企業の執行役員とかとは全然レベル感が違います笑。エンジニアの中ではコミュニケーションが取りやすい方だったのかもしれません。・・・そんな感じで頑張ってましたね。

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■視野が広がったできごと

編集部:仕事内容としてはプログラムをメインにされていたんでしょうか?

中山:会社は自社開発と受託開発、両方やっていて自分は受託開発の担当でした。JavaでServlet作ったりしていましたね。レースをやらせてもらうという前提で入ったんですけど、広告費みたいな感じでレース費用を捻出するので、年間数百万かけるには業績がそうとう良くないと厳しいんですよね。業績悪化とともにレースができなくなった時期があって。それでも1年くらいはまあ恩返しと思って働いてました。出向として火を噴いたプロジェクトのヘルパーに行ったことがあったんですけど、結構大きなプロジェクトでいろんな人がいて、いろんなことをやっていて。火を噴いてはいたけれども、最新のことを取り入れていたのがすごく目新しくて、同時に井の中の蛙感も感じました。もうちょっと大海を知りたい、大規模開発がやりたい、英語を使いたいと思うようになって。その後、DeNAに転職しました。

編集部:DeNAではどのようなお仕事をされていたのでしょう?

中山:DeNAでは主にゲーム開発をやっていて、2011年ぐらいの頃はフィーチャーフォンみたいなガラケー時代だったと思うんですけど、そのバックエンドなどをやっていました。それを経て、Unityを使ったスマートフォン向けの3Dゲーム開発とかをやったりとか。入社当時は、DeNAって海外展開を積極的にやっていこうという時期だったんですけど、自分はそういうプロジェクトには入れなかったので結局英語は使えなかったんですけどね。バックエンドとフロントエンド両方を経験できたことは良かったなと思っています。
バックエンドって、状態管理みたいなことってあんまり気にしないんですね。リクエストが入ってきて、DBから値を読んで変更して、またDBに書き戻して終わりみたいな。コンピュータの中に状態が存在していて、それを継続的にいじくっていくみたいな概念はあんまりなくて、それがネイティブアプリのUnityを使ったフロントエンドではあったけれども、その両側を経験できたっていうのは結構エンジニアとしての幅は広がってよかったかなと思っています。DeNAには8年弱くらいいたんですけど、結構長くゲームのことをやってたので、そろそろゲーム以外のことをしてみたいと思い転職しました。

編集部:転職を考えていた時に興味があった分野はどのようなものでしたか?

中山:当時は金融系のプロトコルを活かした活動に興味がありました。なので、Japan Digital Designていう会社に転職しました。金融分野のDXをやっていこうみたいな感じですね。自分が興味があった金融系のプロトコルを活かしていけそうなところと、ゼロイチで新しいものを少人数で作っていくところが面白そうだなと思ってジョインしました。ただ、ゼロイチでプロダクトを作るってところは、結局のところできなかったんです。色々なプロジェクトがありましたが、たまたまグループ全体の、例えば証券会社とか銀行とかそういう様々なステークホルダーがガッと一箇所に集まったプロジェクトみたいなやつに入っちゃって。少人数でプロダクトを作ることはできないけど、当時の自分なりにプロジェクトを頑張って、区切りがついたんで一旦休憩しようかなと退職しました。次に何をやるか決めないまま退職しちゃったので、本当にどうしようかなって感じだったんですけど、たまたま当時付き合いのあったアメリカのエンジニアに「ちょっとうちの仕事手伝ってみる?」と誘ってもらって。いきなりビザ取ることってできないので、日本でリモートで仕事を引き受けるために個人事業主になりました。

半年くらいかけて一旦その案件が終わって、自分で起業するか就職するかを検討する中でファンファーレと出会いました。なんか長くなっちゃってすみません(笑)

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■ファンファーレとの出会い

編集部:では、次にファンファーレとの出会いについて教えて下さい。

中山:Coral CapitalのStartup Aquariumというイベントに出席した後にサイトを見ていたら、履歴書をCoral Capitalに登録する仕組みがあったので、「なんか面白そうな会社があったらいいな」と思って一応登録はしていたんです。その時に登録した履歴書を見た近藤さんからメールが来て、1回話してみたというのが出会いですね。連絡が来た時期は、アメリカの案件が一旦落ち着いて、次どうしようかなと考えていた頃でした。もう少し英語を使いたいとか、Rustを使って何かしたいとか、教育関係に携わってみたいとか、会社で新規事業をやりたいとか色々な切り口で就職先や次にやりたいことを探してました。リストを作って数十社検討するなどしたんですけど、ジャストフィットする会社となかなか巡り会えなくて。そんな中、たまたまファンファーレに声をかけていただいて、すごくフィット感を感じたという感じです。

編集部:いろいろな職場を経験されてきた中で、スタートアップであるファンファーレを選んだ理由について教えてください。

中山:そうですね。近藤さんからコンタクトが来て、一度オンラインで話すことになったんですけど、最初に事業プランなどを説明してもらった時に違和感なく入ってきたんです。たぶん、それって近藤さんが廃棄物業界に入り込んでコンサルなどをしていたというバックグラウンドがあったからだと思うんですけど、すごく地に足がついた事業になっているなと感じましたね。

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ファンファーレが取り組んでいるような事業をやりたいと思っても、人がいないとできないじゃないですか。ファンファーレの場合は、最適化みたいな難しい技術が必要ですがその部分にCTO矢部さんがいたり、サービスを展開していく時に必要な営業の方もいたり。やりたい事業に対して必要な人材がいるところもすごくいいなと思って。あと、近藤さん、矢部さんって、二人とも真摯というかあまり変に条件とか制約をつけてくるような感じがなくて。条件面とかを話していても、こちらのことをちゃんと考えた上で話してくれてるなというのが伝わってきました。また、私はWebのフロントエンドはあんまり経験がないんですけど、そういう経験がない分野であっても任せてくれる、そういう懐の深さがあるなと思います。エンジニアってやっぱり新しいことをやりたくなるじゃないですか。そういう気持ちを分かってくれてるなと。

後編はこちら

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