磯﨑憲一郎「絵画」――地球は億年、亀は万年
たとえば部屋の窓から外を眺めてみます。隣接するマンションが見えます。マンションについて、なにをどう書きましょうか。漠然と全体をとらえる。マンションは佇んでいる。7階建てで、薄茶色で、単身世帯用なのか一部屋はあまり大きくないようです。スコープの倍率を下げていく。一つひとつの部屋を覗き込むように、細部に目を凝らす。ある程度観察できました。さて、マンションについて書こう。ペンを走らす。しばらくして気がつく。手が止まる。一体、マンションについてなにを知っているのでしょうか。
『世紀の発見』に収録された短編「絵画」について考えてみたいと思います。
風景は描かれていきます。段落も分けずに一息で延々と連想が続いていくように。まるでこれまでずっとそうであったかのように。見たものをそのまま描くようにして、そして、描いたものがあたかもそこにすでにあったかのように、風景はぴったりと世界にはめられていく、ような気がするけれども、なぜだか世界に収まりきらないなにかがある。風景を読むことで、世界の不思議を知ることになる。遊歩道に臨む川のこんな場面。
わたしたちは、不思議で包まれた世界に生きています。そもそもあらゆるすべての事柄がなんでもわかった状態なんておかしくて、だから控えめに、なんとなくこうなんじゃないのかな、と考えたり考えなかったりして過ごしています。そしてあるとき、不思議に出会うのです。
話は進みます。川に掛かった橋に佇む画家が、川を覗き込む。コイの群れに混じって、ひとりで生きるカメがいる。画家はそんなカメを助けてやりたいと思いながら、中州のサギを眺める主婦と抱きかかえられた赤ん坊に目が移る。画家から見た世界が連想のように続いていきます。まるで独白のように、それでいて画家から離れていくように、続いていく。
実際に離れていきます。川の下流に架けられた幹線道路の橋の上、停車中のバスのなかの女子高生に。バスのなか、学校を早退して帰宅途中の女子高生の膝におかれた参考書には、地球と人類のことが書かれています。
46億年前に生まれた火の玉に地殻と海と大気ができ、生物が誕生するまでが簡潔に記され、明るくなり続ける太陽が地球の二酸化炭素を奪い去り、植物を死滅させ、生物を消滅させる日が5億年後に必ずやってくる。2100年に日本の人口が1億2千万人から6千人に、確実に減少する。
大きな地球の誕生と消滅、そこで生きる小さな人類の些細な消滅の兆し。地球の一生からすれば草のような人類の生を嘆くでも力づけるでもなく、ただ説明される。体験することで形作ってきた尺度では図りきれないものに対峙すると、なんだかくらくらと目眩がします。静かに、畳み掛けるように、時間と空間の倍率が入れ代わり立ち代わり変化していきます。
だらだらと走るバスのなか、唐突に時間が止まります。ありえないことが起こっています。でも、なぜだか懐かしさを感じます。時間が止まる。その事実をぼくは、そしておそらくあなたも、経験的に知っている。たとえば、学校のプールで遊んだあとの帰り道、恋人のいない友達だけで集まった深夜のドライブ、乗客みんなが眠る真夜中の快速電車、暗闇から切り替わるオレンジ色の常夜灯。ありきたりなのに、もうやってこないと確信できてしまうあの一瞬の体験です。世界の不思議を解き明かすヒントは、この一瞬にあるのかもしれません。最後の場面、焦点は唐突に、画家の覗き込んでいた川のカメに移ります。
決して短いとはいえないまでも、地球の一生に比べると身近な50年というカメの過ごしてきた歳月に、重みを感じます。ここに、世界のささやかなとらえどころのなさが垣間見えます。
あれこれ分析するには相応しくない、言葉で描かれた世界の不思議を眺めていたい、そんな短編小説です。
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