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料理が苦痛でしかないワーママが「家庭料理の新デザイン」に参加した話

(2019年2月に書いた記事を、別アカウントから移設したものです)

食生活が破綻していた我が家

我が家は、エンゲル係数が非常に高い。

外食、コンビニ、お惣菜屋さん、Uber Eats。
小さい子供がいるにも関わらず、もともと家事が好きでないこともあって、自分がご機嫌でいるために、私はほとんどご飯を作っていなかった。

料理のハードルは下げる努力はしてきた。
もちろん食洗機はある。
Kit Oisix(一食分の食材がカットされて調理するだけになったもの)も使ったけど、長続きしなかった。

だってご飯作るの面倒臭いし、何より仕事でいっぱいいっぱいだったから。
気力が帰宅後まで続かない。

ホットクックも導入して、美味しいものがつくれることはわかったが、素材を切って仕込むまでの工程がもう無理。相当余裕がある時でないと作れない。
最後の方は、栄養さえ取れればいいやと生協の「冷凍弁当」(完成品のおかずセット)にトライしてみたが、それはどうにも味気なくて早々に諦めた。
有賀先生の「スープレッスン」も、発売前から予約してた買ったけど、やってないし(すみません💦)

こう活字にしてみると、笑ってしまうくらい、我が家の食生活(というか、家事全般)は破綻していた。

でも娘の不登校がきっかけで、昨年12月に仕事を辞めた。
それまでの正社員から、在宅で少し働いているとはいえ、当面は夫に扶養される立場になって、まずは食費をなんとしてでも削らねばならない。

一方で、美味しくて栄養のあるものは食べたい。
そんな今の私にピッタリな機会が、スープ作家、有賀薫さんの「家庭料理の新デザイン」である。

「家庭料理」の新デザインとは、食への価値観を明らかにすることから

初回は、この講座での「家庭料理」の概念を合わせる回であった。

家庭料理とは、家での食事に関わる仕事すべて。
「調理」の前後に、献立を考え、買い物をし…最後洗い物まで、膨大なタスクがあるマネジメント行為である。しかも、ずーーーっと続く。という話を聴いて、ホントにそうだよなーとため息がでる。

自分の家庭では料理に何を求めるのか、何を大事にするのか。
それは例えば「美味しさ」だったり、「食の安全」だったり。「だんらん」だったりもするし、複数あるだろう。

大別すると料理に求めることは「生命の効率的な維持」と「文化的な動機」だと。
機能性とエモみである。
でも食への価値観はそれぞれ違う。まずはそれを明確にする。

共働きをはじめ、家族のライフスタイルが多様化しているのに、家庭料理のあり方は、基本的には昭和から変わっていない。

「家庭料理とはこうあるものだ」ということに囚われず、一つひとつの家庭のライフスタイルにあった食のあり方を、参加者が実験台になってつくっていこう、多様性を世の中に提案していこうというのが、今回の講座でやりたいことだと受け止めた。
本来料理は、学び多き、ワクワクするものという、先生のメッセージをヒシヒシ感じた。

「料理」への努力のベクトルを変える

といいつつ、実はこの講座に初参加した夜も、娘がリクエストしたからいっかなーと、マックデリバリーだった。

我が家の(というか私の)家庭料理への価値観というか、信念はこれまではハッキリ言ってないなーと思った。
敢えていえば効率か。。あとは、とにかくお腹に入れること。機能性重視でエモみはゼロである。

ただ最近、娘が料理を作りたがるので、一緒につくるようになった。

娘は、教室に座って同じことを教えられる、いわゆる「学校の勉強」は嫌いだ。現在家でも放棄中である。なんでやらなきゃいけないのかわからないものは、小1にして断固拒否である。

でも、工作や料理など「作りたいアウトプット」があって、そこに対して実践しながら学んでいくことは好きで、工作は一人でもできるので家でずーっとやっている。

正直、最初は面倒臭いとしか思わなかった。
でも今、私にとって娘と一緒に料理を作ることは、とても大事なプロセスな気がしていて、我が家はここを起点に家庭料理をデザインしていきたいな、と漠然と思っている。

エモみ追加である。ベクトル変更である。というかベクトルが初めて生まれたというべきか。

講座はあと2回。先生や、サロンの仲間たちの力を借りて変わっていきたい。
楽しみ。

#家庭料理の新デザイン
#Nサロン

娘との共通の趣味「銭湯めぐり」に使わせていただきます!