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愛は受動的には存在しえない。

「あなたのためを思って」

という言葉を
よく聞くような気がします。

僕自身も親に
「僕のためを思って」の
規制をたくさんかけられました。


それは極めて生活的な
「歯磨き」「姿勢」「マナー」から
「勉強」「大学」「挑戦」まで
実にさまざまでした。


恋人に対して、
「あなたのためを思って」
という言葉を使う人もいるでしょう。


友達のためにというのも
全然あり得るでしょう。


僕はこれが苦手です。


「あなたのために」
という愛が苦手です。


もちろん全否定している、
というわけではないんです。


他者の客観的目線が
僕の狭まった視野を
広げてくれることは
良くある話ですから。


ですが、苦手です。


こういう「愛の押し付け」は
基本的に「盲目的」で「無責任」で
それでいて「善意的」なのです。


僕よりもその分野に詳しくないのに
偏見で「やめとけ」と止めたり、
僕の人生の責任を取るわけでもないのに
適当なことを言う人もいるものです。


「あなたのためを思って」
という武器を掲げて。


そこには悪意はありません。


だからこそ、
たちが悪いなと思います。


彼らはたぶん僕に対して、
「愛」という鎧をまとって、
攻撃してくるんです。


僕が思うに、
「愛」というのは能動的です。


「愛してるよ」といわれて
人は愛情を感じません。


「行動」「姿勢」「発言」
全てがかみ合って初めて


「あー、愛されてるなぁ」
と他の誰でもない僕自身が
「能動的」に感じるものです。


親はおそらく常に
僕を愛してくれているでしょう。


でも、その愛を、
僕が能動的に感じなければ
その愛はないも同じです。


そして、人がいつ愛を感じるか
なんて他人には一生分かりません。


知ることは
原理的に不可能ってやつです。


誰かに愛を
感じさせようと
してしまってませんか?


愛にできることは
もうないのかもしれません。


意味わかりません。


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