結果通知と青天の霹靂と、その七日間(2018.08.01-08.07)

本日も前回の続き。
当時のメモがしっかりと残っているので、それを元にして書いていく。

***

その日も私は仕事でレジ打ちをしていた。今日発表だな、とそわそわしていたけれど、意識しすぎるとロクなことにならないのも経験則で知っていたので、とにかく気を散らしたかった。新しく入ってきて間もない後輩のレジ研修指導をすることになり、時折やってくるお客様との応対を眺めながら注意したり、気になったところを指摘していた。そんなことをしているうちに、いつの間にか当落のことが束の間だけ思考から飛んでいた。

夏らしい、よく晴れた天気で暑い日だったのを覚えている。
15時からの休憩で電波の悪い職場から外に出て、—もうさすがに結果きてるよな、と思いながらスマホを取り出し、メール画面を確認した。

”チケットがご用意できました”
”ELLEGARDEN”

正直なところ、飛び込んできたここまでの文字列はまだ、まだギリギリすっと受け入れられたのだ。ああ信じて諦めないで申し込んでよかった、と。
けれど続く文字を読んで、何が書いてあるのかを理解した瞬間に頭が吹っ飛んだ。世界の動きが一瞬止まったような気がした。というか、私の世界は確かに止まった。

「第1希望 当選 8/8 19:00 studio coast」

画像1

新木場スタジオコースト。何度も足を運んできた、私の好きなライブハウス。活動休止前の、ラストライブが行われた場所。
ツアーの初日。きっと、正真正銘、
「Supernovaで始まるライブで約束果たす日」。

帰ってくるその瞬間に、その場に、いることができるんだ。
迎えることができるんだ。

わかった途端、腹の底から猛烈に何かがこみ上げた。冗談じゃなく手が、身体が震えた。
衝撃すぎて、街中で叫び出しそうだった。

なに一つまともに考えられなかったけれど、ただひとつ。
ああ、私はわがままで、好きなことをただ追いかけるしか能がなくて、諦めの悪い、みっともなく足掻く阿呆だけど、好きなことを信じ抜く生き方は、間違っていなかった、と思えた。
他の人が見れば無機質な自動送信のメールかもしれないけれど、このたった1通のメールで自分の今までの人生のぜんぶが許されたような気がした

ただチケットの申し込みをして、当落発表が来ただけだ。
それでも、諦めなかったのは無駄なことじゃなかったんだな、と噛み締めた。

震えが止まらぬままに、とにかくこれ忘れたりしたら死ぬまで後悔する!支払い!発券!と、目の前のファミマに飛び込んだが、支払いはクレジットで決済済みだったし、さらに発券の必要のないスマチケだということにすぐ気が付いて即座にUターンして退店した。信じられないくらい動揺しまくりだった。
その日の昼ごはんはサイゼリヤに行ってミラノ風ドリアを食べたのだが、オーダーをする声も震えていた。食べながらも何回もえづいて戻しそうになった。
だってこんなの、胃がおかしくもなる。

衝撃のままにTwitterで新木場のチケットが当たった事を呟くと、多くの知人友人がリプライをくれた。
おめでとう、誰かの分もなんて考えず楽しんでおいで、俺の分まで楽しんで…たくさんの言葉をもらった。たぶん、みんな”とりあえず”や”たまたま目に入ったから言っとこう”ではなく、本心から言ってくれたと思う。直接LINEをしてくれた人もいた。

けれど、
ずっとthe HIATUSやMONOEYESのライブに何年も一緒に行き続けた友達も、それ以外にもライブがなくても普段から付き合いのある友達も。
私がライブに行きたいのにチケットがなく、半狂乱になる度にチケットを探すのをいつも手伝ってくれた人達が、誰よりも入って欲しい人達がチケットを取れていなかった。

新木場のチケットを当てた人は、
親しい友人には、誰もいなかった。

***

その日から毎日、起きている間は誇張抜きでELLEGARDENの事と、チケットを確保できていない周りの人達のことばかり考えていた。
品出し業務をしながら、店内BGMで流れていない時でもエルレの曲が頭の中で絶えずぐるぐると回っていた。

「ヤバい」「マジか」はと言う気持ちはずっとあったけれど、
正直に言って「嬉しい」が上回ったことはライブが終わった今に至るまで、チケットが当たった事がわかった瞬間以外はほとんどない。

ひとりで行ったライブなんて、これまでにいくらでもある。それ自体は特別なことではなかった。なんならこれだけライブ通いをしていると、もはや都内近郊のライブだと一人で観たい気分の時でも必然的に知り合いに遭ってしまうのだ。どうしても一人でじっくりと観たい時には、誰もいないであろう地方まで足を運ぶことすらある。
けれど今回はもちろんそうではないし、何より普段のライブとは全く訳が違う。

周りの友人達は、活動休止期間中もずっとそれぞれのメンバーが所属するバンドのライブに足を運び、10年間ずっと待ち続けて、やっと待ち望んだ時が来て、本当に行きたくて行きたくて、なのにチケットが外れて苦しんで。
それでもおめでとう、と言ってくれた。
本当に嬉しかった。
嘘やお世辞ではないと思えた。

私が1次や2次で当たった友達におめでとうと言えたのは、どうせ自分が行けないならせめて知ってる人に行って欲しいと思っていたから。
その人が本当に行きたくて申し込んだと知っていたから。
そこに嘘はないと、身を以て言い切る事ができたから。

でも、妬ましさの方が勝つから当たった人を見ておめでとうなんてとてもじゃないけど言えない、と呟いている友達の気持ちも、痛いほどよくわかる気がしていた。

なんでかって、私だって1次も2次も申し込んで外れた時、知らない人やたいして仲良くない人の「当たった」という呟きを見かける度に、その人のことは何ひとつ知らないのに、

「お前なんかよりこっちの方が全力で観たい」
「自分の方がエルレ観たいと思ってる」
「命賭けるんじゃないかってくらい死に物狂いでチケット欲してる人たちがいるんだよ」
「それでも『金星』の歌詞にある通り”最後に笑うのは正直な奴だけだ”って言葉を信じてダフ屋に負けずに正々堂々と戦ってるんだよ」
「こっちによこせよ」
と無茶苦茶な憎悪でいっぱいだったからだ。

できることならその人たちからチケットをかき集めて、自分が「この人は絶対に行かなきゃだめだ」と思える人たちに勝手に振り分けたいくらいだった。暴論にも程がある話だが。

友人達の分を探すにしても、まずは自分のチケットを確保してからだ、と思っていた。これまでのライブでもそうしていたし、友人達は音漏れになろうが絶対に会場まで来る、絶対に最後まで諦めないと信じていた。そしてその通りだったが、あまりにもチケットを取れていない人が多すぎた。

***

好きなバンドは?と聞いた時、開口一番に「エルレが好きだ」「特別だ」と心から大事そうに話すいろんな人の姿をたくさん見てきた。

震災直後に開催された「骸骨祭り」の時、the HIATUS、Nothing's Carved In Stone、MEANING、Scars Boroughと、エルレのメンバーそれぞれが当時在籍するバンドがすべて集まった。
ないだろ、と言いながらも友人はエルレのTシャツを着ていた。やっぱりというか当然というか、エルレの曲は演奏されることはなかった。「夢はまだ先だな」と呟いた友人の、うまく言葉にできない姿を憶えている。

復活の噂が流れるたびに、いい加減なことを口にする連中を黙殺しながらも苛立って、MONOEYESの初音源を聴いて「エルレとやってること一緒じゃん」「エルレやれよ」と簡単に言う人たちに辟易して。
「エルレ見るまでは死ねない」「復活したら何があっても、仕事辞めてでも、どこだろうと、(転売屋から買う以外は)どんな手を使ってでも行く」と何度も聞いて、一緒に話してきた。

そう言っていた人たちですら、チケットを取れていないのに。
そういうのを全部見てきて、聞いてきて、憶えているのに。知っていたくせに。
少しでも確実に当たらないかという思いで、私はチケットを1枚で申し込んだのだ

***

ライブに行って欲しい、一緒に観たいと思っていた多くの友人の中で、どうしてもZOZOマリンでもなく仙台でもなく、新木場で観て欲しいと思っていた人がいた。それまで散々面倒を見てもらった。私の知っている中では誰の追随も許さないくらい、彼らをずっと待っていたその人に行って欲しかった。
チケットは1枚しかない。当日はIDチェックもある。一緒に行って、「この人を入れてください」と言おうか本気で考えた。チケットを譲れるものなら譲りたいと思った。


でも、
いざ実際にそんな状況になった時、本当にそんなこと潔くできるだろうか?


私だって、
活動休止になる前から追い続けてずっと待っていた人には、敵わないかもしれないけれど。足元にも、及ばないかもしれないけれど。

高校生の時に初めて行ったROCK IN JAPAN FESTIVALのDJブースで「Pizza Man」が聞こえてきて、ブースの中心にできたサークルに飛び込んだ。知らない人と顔を合わせて『Pepperoni Quattro!』と叫んだのがどうしようもなく楽しかった事を忘れられなかった。

the HIATUSが精力的に活動しているのにも関わらず「エルレの活動再開はまだか」と言い続ける人々を見て「今動いてるのはハイエイタスなんだよ」と苦い思いをしながらも、そんな感情を抱くのは自分もELLEGARDENににこだわっているからだ、と言う事に気がついていた。

Hi-STANDARDが予告なしで十数年ぶりにCDシングルを出した時、泣いている人や喜ぶ人の姿を見て、「自分にとってのこういう瞬間はエルレが復活する時なのかな」なんて事を、思わずにはいられなかった。

エルレ復活のニュースを私に一番に運んできた人がおちゃらけながら「ライブ見たいね〜」なんて話してきて、そんな軽いノリなら黙ってろと理不尽な暴論を投げつけてしまうくらいには思い入れがあった。

抽選先行が始まってもいないのに行くつもり満々で、元々フジロックに向けてのんびりとやっていたランニングを「エルレのライブに行くならなおさら体力つけなきゃ」と本気で取り組むようになった。

チケットが外れて、世の中全部クソくらいの勢いでいろんなものに当り散らした。職場でエルレについて話題を振られるだけで、とんでもない顔つきをしているのが自分でもわかった。お前には行ってほしい、行けるといいねと言ってもらえるのが、嬉しかった。
復活が発表された翌日から、毎日メンバーに関係のあるバンドのTシャツを着て仕事をしていた。

そして自分の手で、正々堂々とチケットを掴み取った。

それを譲るなんて、本当にできる?
絶対に後悔しないって、本当に言える?

そんな事、改めて自問自答しなくたって、わかっていた。

私だって、行きたかった。

結局私は、自分のことしか考えていない。
これまで散々周りの人に助けてもらったくせに、いざという時に自分可愛さで保身に走ってそれまでに受け取ってきた恩や好意を踏みにじったのだ。
そしていざ当たって1人で行く事になって、勝手に苦しんだような顔をした。

なりふり構わず1枚で申し込んだ自分の事を、この時以上に責めたことはない。2年経った今も変わらない。当然だ。一生責め続ければ良いと、自分に対して思う。

考えたってどうしようもなかったけれど、ずっとこんなことばかり考えていた。時間は容赦なく過ぎて行った。

そしてその日は、何の因果か。
台風13号とともに、2018年8月8日はやってきた。

「I'm still at No.13」
(「No.13」)

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