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震災クロニクル【2012/12/1~】(65)最終回


ボクらはあの震災から少しずつではあるが、前進しているように思える。しかし、周りからは「早く忘れてしまえ」と促されているようにも思えるのだ。前に進むというのは過去を忘れるということと同意ではない。過去を教訓にして今を生き、明日に繋げるということだと個人的には思う。しかしながら、震災から時間が経つにつれて、「忘れろ、忘れろ」とコダマのように耳の奥にへばりつく声が聞こえる。
きっと、何か都合の悪いことでもあるのだろう。東京ではもう2年前に何があったかなんて話す人はいないのだろう。首都大学東京の宮台真司教授が言っていたように

日本人は忘れっぽい

このことを思い知った2年間だった。ボクは今こうして生きているのはなんとか崖にへばりついてでも、後ろ指を指されながらも、したたかに生き残ってやるとあの災禍の中誓ったからだ。今の仕事だっていつまで続くか分からない。どうしても死にたくなったら、自ら命を絶つだろう。しかし、あのときのことを語る人間がこの世から完全に消えてしまうことはどうしても避けなければならない。思い出補正がかかり、十分に美化されたキラキラメモリーなんかをボクらは決して求めてはいないのだ。人間の表も裏も醜いまでの性根も描ききった生の体験こそがこれからの世界には必要なのだと考えるに至った。

人は思っているほど潔白な存在ではないし、ましてや尊大でもない。非常時には醜く、高慢で意地汚い部分が垣間見えるものだ。それを受け入れた上で人と人は助け合うことが必要である。ボクの小さな災害日誌に終わることなく、自分の体験はこれからも周りの人々に話していきたいと思う。「忘れろ」の圧力に抗いながら。

震災後2回目の年末がやってくる。除染作業員のバスが夕暮れにコンビニに吸い込まれてく。見慣れたこの光景が日常になった今、本当の「日常」とはいったい何だったのか忘れるくらいの所まで来てしまった。もう引き返すことは出来ない一方通行の道。未知の震災で道を失った多くの人へ。猜疑心と不満に充ち満ちたこの世界をどう生き残るか。ボクたちのサバイバルゲームはまだ終わることはない。

「忘れろ。忘れろ。ワスレロ。ワスレロ」の声は主に東京から。霞ヶ関から。大きな電力会社から。そして、その協力企業から。方々から飛んでくる。コダマのように響き渡る。でもボクは止めない、話すことを。書くことを。

この声があなたの心に響き渡るまで。

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短い間でしたが、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。その後のことは別編で書きたいと思います。よろしければ、感想なりなんなりコメントいただけると幸いです。メッセージ戴けると本当に励みになります。

今まで本当にありがとうございました。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》