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戦略的モラトリアム【大学生活編】(23)

「おはようございます」

続々と人が入ってくる。
会場設営を終えたボクはとある研究発表の会場となる教室にいた。受付係の女子は特に関心なく、営業笑顔を振りまいている。

いいオフィスレディになれる・・・・・・

そんな皮肉を胸に秘めながら、一番後ろにただ突っ立っていた。

「習得語彙と未知語・・・・・・読解???」

やたら長ったらしいタイトルで研究発表が始まった。どこかの高校の先生なのか分からないが、まだ30代くらいの若い女性であった。

語彙の習得が長文読解の正確な理解にどれくらい影響を与えるのか。未知語(ここでは生徒が分からない単語)を何パーセント含めると、正確な理解が阻害されるかを研究したらしい。面白くはないが、そこまでつまらないわけでもない。

きっと、こういう研究に人生をかけているんだろうなぁ。研究発表中の女性からは静かではあるが、しっかりとした熱意が教室の一番後ろ、立ち見の自分にもビンビン感じてきていた。「教育」に人生をかけた人たちの集まり・・・・・・
昨日までの自分を焼却炉にぶち込みたいくらい、今ここにいることが恥ずかしくなった。発表後の質疑応答もかなり細かいことを突っ込む人もいてとても活気がある。自分からすれば、とても些末なことであってもストイックに追求していこうとする姿は自分が今まで生きてきた中で一度も目にしたことのない光景であった。普段なら「何言ってんだろ?自分にはまったく分からないし、そんなこと知ったって何の役に立つって言うんだ」とでも呟くものだが、今は不思議とそんな悪態をつく気にはなれない。

自分の高校の時の先生はどんなだったかを思い出してみた。


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「俺は少林寺の有段者だぞ」
「宿題出来てないヤツは一時間立っていろ」
→当時から体罰問題が世間を騒がせていたのにもかかわらず、これww
こんな英語教師と      
「アーリア人が『アリャー』と攻めてきた」→男子校ではため息と乾いた笑い声がチラホラ。
こんな世界史の先生。
「どうせお前は今後の人生で何の成功もしないだろうからな」→柔道部顧問で保健体育教諭。
これは誇張した話ではなく、事実そのまま。しかも公立学校の出来事。脚色も作り話もない。本当のことだ。「伝統」に固執する寂れた人心荒廃の高校。

1番目の教諭には反目して、2番目の教諭は特になし。最後の教師は自分の思い出したくもない高校の思い出。なにが「教師」だよ。単なる「狂氏」じゃねえか。特にこの英語教諭とはそりあいが悪く、結局自主退学してしまった。→後にとてつもない仕返しをするが。

男子校ならではの品のなさ。昔の「進学校」に縋った見かけだけの向学心。そして出来もしない「文武両道」。さらに指定校推薦で塗り固められた「進学率」→職員室では普通科を就職科と呼んでいる。そして100年も続く伝統に縛られた「見栄」。後輩の校歌指導を先輩が請け負う実質上のいじめ容認。

これだけ揃えば日本教育の闇が勢揃いである。




今思い返せば、ろくでもない人種のオンパレード。先公なんてのは自己顕示欲のかたまりのアダルトチルドレンがなるものなんだろうとずっと考えていた。
でも、ここに集まっている人たちの雰囲気はまるで違う。「直向きな研究者・探求者」といったところか。彼らに対して好奇な目を向けていた自分は、やがてそれが憧れに変化していくことをまだ知らなかった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》