見出し画像

戦略的モラトリアム⑮

さて、僕が予備校にうまく順応してるのはなぜだと思う?実は僕、予備校が始まる前からここではうまくやっていけるっていう自信はあったんだ。
なぜかって?それはね、はじめ、授業見学したときにあいにく、休憩時間になっちゃって授業が終わったんだ。でもさ、そこに衝撃映像!席は自由ってのは分かってたけど、後ろでウォークマン聴きながら、単語帳開いてる奴がいたかと思えば、その隣では雑誌に目を通す奴。はたまた友達と話す奴もいたり、外に休憩に行く奴、とにかくいろんな奴がいたんだ。しかも、お互い周りに影響されることなく自分のペースってやつを守ってる。自分がやりたいことを周りに影響を与えない範囲でやっていて、周りもそれに対して何の邪魔もしない。いや、それぞれやることがあって、周りのことに関心がないのかも。僕はその環境がたまらなく自分にマッチするって感じたね。ここでは交友関係を広げなくたって快適に生活ができるってさ。

最後に僕が何を考えているかって端的に話すよ。僕はこれから自分に素直に生きたいだけなんだ。それは我儘とはちょっと違うんだけど、周りに影響されて自分も仕方なくって事はもっとも愚かな行為だし、ある意味、部分的自殺だと思うんだよね。つまり、理由なく自分の意見を殺すのは絶対によくないことだって分かってた。いくらこれが幼稚なことでもね。僕にこうしろ、ああしろっていう人は絶対に説明責任があると思う。だから、僕は説明を求めたことだってあるんだ。でも、「みんなと同じに……。」「普通は……。」「世間では……。」って、僕の納得のいく答えを持ってきた大人は今まで一人もいなかった。ってことはだ、僕は正しい。
きっと同化を強要する人ってのは「何となく」を論理的に説明できない人……。可哀想だけどそう言わざるを得ない。何が何でも周りと一緒のことをしないといけないって考えや、あまり目立つことをするべきではないってのは何ら正統な根拠のない、虚実だっていうことは分かっていたし、そう言い出す人は絶対好きにはなれなかった。だから僕は僕に正直に生きるのさ。別にカッコつけてるわけでもないし、ツッパッてるわけでもない。できればナチュラルに生きてるって捉えてほしいな。

まあ、そんなわけで僕がモラトリアム人間である理由かちょっとだけ分かってくれたんじゃないかな。
将来ってやつは振り子の針のようなもの。はじめ大きく振れていて、やがて止まる……。そこがそいつの将来の目標になったり、目的地になったりするんだよ、きっとね。それを振れている途中で無理やり止めるようなことをしちゃいけないよ。自然に針が止まるまで待ってあげることが、自分を理解するってことなんじゃないかな。
僕らモラトリアム人間は、最初に触れる振幅がとっても大きかっただけなんだ。だから振幅が小さくなるのがみんなより遅いのは当たり前だし、きっと止まるのも遅いはず。僕らはそれ故、学生っていうモラトリアムを大事にしているんだと思う。僕なんか、できるだけ学生っていうモラトリアムを先延ばししたくてたまらないんだ。だって、いつ針が止まるか分からないからね。とにかく針が振れているときに無理矢理止めるようなことはしたくないんだ。みんなに分かってくれとは言わない。でも、振り子の針が止まるそのときまで、できるだけ未知のものに触れておきたいんだ。それが世の中の常識に反することだって触れておきたいと思うよ。

最近の懸案事項がひとつ。妙な交友関係が構築されたこと。僕にとってこれがいいことなのか悪いことなのかは分からない。ただ、ちょっとだけ情が入りつつあるのは確か。

さあ、みんな出ていってくれ。これから、このことについて話し合わなくっちゃならないんだ。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》