見出し画像

「『知られざる神に』と刻まれている祭壇」

板野のメモによる八谷先生の説教のまとめ

 使徒言行録とルカ福音書は同じ作者によって書かれている。福音書はイエスの物語であった。使徒言行録はイエスの弟子たち、そしてパウロの物語である。その中で彼らは、「神の福音」をまずユダヤ人に宣べ伝えた。ついで非ユダヤ人(;異邦人)に伝えていく。15章36節以下、エルサレムの使徒会議でユダヤ人以外への伝道が条件付きで決議され、異邦人へ伝道計画が始動する。

 第二回の伝道の旅でバルナバとパウロは、仲違いをして、袂を分かつ。人間同士の諍いによって不思議に二つの組ができる。バルナバとマルコヨハネの組とパウロとシラスの組である。バルナバとマルコは海を渡りキプロス島に向かう。パウロとシラスは陸路を行く。シリアのアンティオキアを出発して、テルベリストラ、ピシディアのアンティオキア、そこから西に向かいトロアから海路マケドニアのネアポリス、フィリピを経てギリシアのアテネに到着する。

 本日の物語は、古代ギリシアの中心地アテネでの出来事である。ギリシアはオリンピックと哲学の発祥の地である。「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町のいたるところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派のいくにんかの哲学者もパウロと論争した(16節~18節)」。アテネの人々にとって、パウロは「外国の神々の宣伝する者(18節)」であり、「新しい教え(19節)」や「奇妙なこと(20節)」をもたらすと思われていた。

 「すべてのアテネ人やそこに寄留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで時を過ごしていたのである(23節)」。アテネでは広場で人々が討論をしていた。それがアテネの政治であり、議会であり、学校であり、裁判所であった。「すべてのアテネ人」というが、それは、アテネの市民権を持った自由人のみであった。アテネには多くの神々がまつられていた。町のいたるところに神の像、神々の像、つまり「偶像」が立てられていた。「パウロはアレオパゴスの真ん中に立って(22節)」演説を始める。アレオパゴスの丘は裁判が行われる場所でもある。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなた方が信仰のあつい方であることを、私は認めます(22節)」。「あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれた祭壇さえ見つけたからです(23節)」。「知らな「い神」にさえ礼拝を捧げるあなた方は信仰があつい。それは半分皮肉である。パウロは言う「それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう(23節)」。アテネの人々が、まだ「知らない神」とは何か?

ここでパウロが語ることにキリスト教の中核が語られている。
①その神は世界と万物の創造者である。バウロが信じている神とは「世界とその中の万物を造られた神が、その方です(24節)」。「この神は天地の主である(24節)」。だからこの神は、人間が「手で作った神殿などにはお住みになりません(24節)」 ②人間は神の被造物である。「すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのはこの神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました(25~26節)」。
③人間が探し求めれば見いだすことができる神「これは、人に神を求めさせるためであり、また彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです(27節)」。「神である方を、人間の技や考えで作った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません(29節)」。この神は人間の考え、思い、技では表わせない。では人間はどうやって、何処に「知られていない神」を知ることができるのか?
④神は一人の人を通して自分の姿をお示しになる「それは、先にお選びになった一人の方によって、このよう正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証を与えになったのです(31節)」。その一人の死んでいく人、しかし死で終わらず、死者の中から甦った方。しかしその一人の人の中に神は自分をお示しになった。

 イエスの生き方、辱められ十字架につけられたイエス。そして甦られたイエスの中に神が表されている我らはのイエスの中に神を見いだすのだ。ここにアテネの人々の「知らない神」、新しい神の姿が見えてくる。私たちはこの神を求めている。イエスを信じて、イエスに従っていく。その時、創造主である神の姿が見えてくる。これがパウロを通して教えられるキリスト教の信仰である。ここに私たちのキリスト教のまとめがある。「死者の復活ということを聞くと、あるものはあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った(32節)」。アテネの人にとって「十字架の神、甦りの神」は愚かな神、あざ笑うべき神であった。「もうそんな話は聞かないと」言われるだけであった。「しかし、彼についていって信仰に入ったものも何人かいた(34節)」。少数でもパウロについていく人がいる。そしてアテネに教会ができる。私たちは、あざ笑わない。「いずれ、また」と言わない。そして「十字架と甦りの神」に従って行く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?