キリスト教信仰の証言[4] -試練の中の恩寵-
試練の中、聖霊に満たされること
「聖霊のバプテスマ」の記事が読まれているようだが、あくまでも主題は十字架と聖霊を絶対に引き離してはならない、そのような福音信仰を保つことだった。キリスト者全員にとって聖霊のバプテスマは特別なことではなく、聖霊に満たされることの出発点である。
「満たされなさい」は「πληρω」(プリロー)の現在時制の命令法が使われており、「満たされ続けなさい」という継続的な意味である。自分が御霊に満たされるという諸個人的な次元と、教会としての私たちが御霊に満たされるという共同体的な次元が一致しながら、聖霊は神の愛を私たちに注ぎ、キリストの似姿へと新しく創造される、それこそ聖霊に満たされることである。
どの事案にも言えるが共同体的な次元だけが強調されると画一的になり諸個人は支配される。他方、諸個人的な次元だけが強調されると主義主張の対立を拡散して分裂分派の様相を呈するであろう。
キリストの十字架の死と復活の福音を信じて、聖霊のバプテスマを受けるならば、その後はどうなるのかという疑問が残る。神に賛美と感謝を捧げて、奉仕をしながら、日常の仕事を励むことになるのだろうか。否、それら以前に、試練の炉の中へと投じられて信仰が鍛え上げられなければならない。言うまでもなく、試練と困難の外部における霊的体験は語る価値すらない。
これから私は、自分にとっての燃え盛る試練の中の僅かな信仰を記述して残そうと思う。元々、証言するつもりはなかったのだが案外、私と同じような方々が悲しみに溢れていることを知って決意した次第である。
児童相談所の〈闇〉
実は、私は「離婚者」である。
が、しかしながら、キリスト者の元嫁(典型的な福音派)と離婚したくて離婚したわけじゃない。不登校の実子が学校でギャン泣きして、校長判断で児童相談所(以下、児相と略)に通報された結果である。
若干、省くことになるが、児相から呼び出されて、まるで犯罪者のように尋問され続けた。
児相職員「あなたは虐待者です」
私「子どもの態度を叱っただけですが、それが虐待?」
児相職員「そうです」
私「何故ですか?納得いきません」
児相職員「子ども本人が脅威と恐怖を覚えたら既に虐待です」
私「なら私は犯罪者ですか?」
児相職員「犯罪者ではありません」
私「ならば何故、このように尋問を受けなければならないのですか!」
児相職員「あなたが虐待者だからです」
私「虐待は犯罪なのですか」「暴力をしたこともないのに」
児相職員「犯罪ではありません」「虐待です」
以下、禅問答のような攻防で疲れきってしまいました。
私は実子に「不登校は良いけど、主に夢を求めて祈るべきじゃないか?」と言って数ヶ月待って、改めて問うたら「そんなのどうでもいい」と寝転んでテレビを見ながらの発言だったので叱っただけである。その他、何もしていないのである。
それがギャン泣きになって通報されたら \(^o^)/オワタ となる社会なのだ。
児相に実子二人を連れ去られ、元嫁とは共通の友人牧師から「即時別居」「即時離婚」「即時接近禁止命令」を求められて驚愕した。キリスト者の元嫁とさっきまで仲良しメールの会話をしていたにも関わらず、である。
後日、元嫁によれば「児相から離婚しないなら一時保護は解除できないし児童養護施設へと入所することになります」と脅されて私よりも子どもたち二人を選択したとのこと。
一時保護を解除された後の二人の子どもたちは「職員さんから、〈まだ親には会いたくないと言いなさい〉って嘘をつくように言われた」と号泣して抱きつかれた。
離婚を憎む神
私の幼馴染の牧師は「元嫁さんはキリスト者なんだから離婚するわけないよ!」「しかも、お前は何もしてないんだよ?」「たとえば俺が子どもを怒るときに机を強く叩くことがあるけど、それも虐待なのか」と憤慨していた。元嫁に離婚に関して「主からの言葉はある?」と聞いたら、彼女は次のような聖句を示した。
この聖句を聞いて私的解釈にも程があると思っていたが、元嫁も子どもたちの件で自己正当化をしたかったのであろう。幼馴染の友人牧師に元嫁の聖句を教えると絶句して、彼はマラキ書から引用した。
「そりゃそうだ」と同意しつつ、私は「児相の基準ではそうらしい」と答えるのが精一杯であった。離婚を憎む主が何の理由もなく、離婚を励まして、家族解体を許すはずがないではないか。
離婚届
元嫁との離婚の証人は共通の友人牧師(以下、証人)だったのだが、牧師が離婚のお手伝いをするとか笑うに笑えなかった。証人は10年以上も仲良くしていた間柄だったが所謂、手のひら返しというのであろう。結婚するには相当な労力と時間を要するが、離婚する時も離婚届を出して、その後に怒涛の諸手続きが待っている。
数ヶ月前に知ったのだが、その証人の司牧する教会の役員会に旧・統一協会に関与している有名な知識人が所属していたことを思い出した。
証人の教会は、離婚した元嫁を褒めて「私たちの教会のカウンセリング・コースを受けましょう」とか、羊泥棒した上でのマインドコントロール狙いだったと判明した。
私は児相から親権も奪われて、弁護士からは夫婦が離婚していなければ弁護できたのだが、「離婚したら判例的に弁護は無理です、負けるから」と嘆かれて泣き寝入りするしかなかった。
私の父母は離婚後、孫に会えなくなり、たくさんの援助もしてくれたのに、元嫁が夫婦の秘密を当時、所属していた教会と、カルト教会と、関西の家族に漏洩しまくっていたので心象は最悪だった。
北海道の父母は元義理の父親から強要・脅迫寸前までやられそうになった。しかし、さすがに元嫁の妹たちが「こちらが犯罪者になるからやめて」と、元改革派教会の牧師の親を説得して問題にならなかった。
私の父はその後、認知症になり、母は癌が再発して絶望的に加療中で悔しい限りである。
児相からは散々、脅されて、攻撃されて、子どもたちの健康診断もせず、証拠もなく、私の言い分も聞き入れられず、加害者としての圧迫面接だらけの日々を送らされた。
そして毎日、子どもたちと会えずに祈っては泣き、泣いては祈るばかりであった。
ママさんやベビーカーを見ただけで崩れ落ちてしまう。
母子支援施設における被害者意識
ところが児相との最後の面接では突如、一時保護所の保育士が同席した。彼女は「あなたの子どもたちは検査の結果、発達障害でした」と伝えてきたのである。あたりまえだ、実子のうちの一人は既に保育園と療育センターに通っていたのだから、もう一人も発達障害の可能性はあったのである。
育児・家事・掃除は牧師をしながら、闘病生活をしながら限界まで、倒れるまでしてきた。持病の薬の副作用による転倒が多く、骨折は家庭生活で3年連続3回経験してリハビリ三昧だった。ここまで愛情を込めて苦労しても、摩訶不思議の加害者というラベリングを受けて、希死念慮は極度に強まっていき、生きているのに死んだような状態だった。
児相の担当職員は人格が変わったように優しい顔つきになり「あなはお父さんなんだから、家族と仲良くしてね」と一言。
一時保護は解除され、元嫁と子どもたちは仕方なく、母子支援施設に住むことになった(理由は虐待でなく経済的困窮)。
しかしながら事実上、私は殆ど子どもたちとは会えていない。
母子支援施設が私を加害者扱いしているからだ。
私は元嫁から母子支援施設から提案されたという更生プログラムを聞いて驚いた。
加害者は私で、被害者は元嫁と子どもたちという図式だったからである。
そもそも児相は私たちの家族に虐待はなかった、子どもが発達障害だったから一時保護を解除したのである(つまり誤認保護)。
母子支援施設は元嫁たちを洗脳して被害者扱いにしてしまった。今では、もう対話も不可能となっている。すべての神からの恵みはゼロだったかのように。
すべてを取り戻す神──キリストに対する信仰という恩寵
もう済んだ話だし、あの時、絶望の中で祈ったことは「主よ、私はすべてを失っても構いません」「ですが子どもたちは助けてください」という内容だった。
未練と不満は微塵もない。
子どもたちの解放後、しばらく元嫁と子どもたちは礼拝に参加してて、未受洗の子どもがイエス様を信じたので洗礼を執行させてもらった。
元嫁は子どもたちを連れて次の週から別の教会に移ったのである。
私は一度目に児相から子どもたちを誤認保護されて、二度目に元嫁からも子どもたちを引き離されてしまった。
あの頃、幼馴染の牧師と大学時代からの友人牧師以外の、知人・友人牧師たちは、私を無視して助けてくれなかった。
私たちを離婚させた教会は、教会政治で大きな影響力があったため、同僚の牧師たちは忖度して誰も私に寄り添うことはなかったのだ。
誤診によって精神科病院の閉鎖病棟に閉じ込められた話は既述した。人間収容所という日本社会の闇を経験してから、まさか誤認保護による児相の誘拐と拉致、そして母子支援施設による洗脳という闇にも直面せざるを得なかった私。
神が私を通じて日本社会の闇を見させているという感覚は強いが、児相被害の件はその後も家族解体になってしまったので、そのような試練の中で信仰を失ってもおかしくなかった。だからこそ、主は私の信仰がなくならないように祈ってくださった御方であり、キリストに対する信仰さえも神の恵みだという真理を教えてくださったのである。
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