見出し画像

ギタリスト?

 いきなりエレキギターを担当することになったのは、大学入学後のクラブ活動でのことだ。中学の音楽の授業でギターを始め、いやいやながら覚えさせられ、それでも弾き語りなどができるレベルまで来るとそれはそれで楽しくなるもので、拓郎や泉谷を独りで歌っていた。
 もともと自分はドラマーという意識が強かったので、大学でもドラムをやろうと思っていた。そんなところへ、エレキギターのお誘いである。増してやリードギターなんてものを自分がやるとは思ってもみなかった。しかし先輩からの強い圧力(?)の中、まともなエレキギターなど持っていなかったが、引き受けてしまった。さぁ大変である。
 まずは、エレキギターの調達。大学で出会ったばかりのクラスメートSからグレコのレスポール・モデルを借り(よく貸してくれたなぁ)、柔らかい弦に四苦八苦しながら練習を開始した。もともとアコースティックギターはコードくらいは弾けたので、ギターに対する不安は無かったが、エレキギターの弾き方は別モノである。まず困ったことは、ピッチがずれるということ。
 アコースティックギターは、かたい弦を使用しているため、自然と指板を押さえる力が強くなる。だから、エレキギターを弾いた際、無意識にチョーキングしている状態になっていたのだ。
「お前、チューニング狂ってネェか?」
「いえいえ、ちゃんとチューナーで合わせていますよ。ほら。」と開放弦をブーン・・・。
「なんかおかしいな・・・。」
という会話が日常茶飯事だった。
 ソロを取るということも相当頭を悩ませた。指が達者に動くわけでもない。見よう見まねでやってみても、すぐにできるものじゃない。誰かのコピーをしようと思っても、速すぎてついていけない。
 僕は、幸いにも楽譜は読めたので“エリック・クラプトン奏法”という教則本を買ってきて、リードギターの基礎とフレーズ練習を始めた。何故エリック・クラプトンかというと、その当時のギタリストがみんな影響を受けたアーティストはクラプトンと答えていたことを記憶していたからだ。もしそのことを知らずに“ヴァン・ヘイレン奏法”や“リッチー・ブラックモア奏法”を手に取っていたらライトハンド奏法が得意になっていたのだろうか・・・。んなわけないか。

 ビデオでクラプトンを確認すると、いとも簡単に弾いている(当り前だが)。滑らかな指使いはさすが“スローハンド”だ。僕はレコードをかけながら、一緒に弾く。たまにコピーどおりフレーズがシンクロすると独り悦に浸っていた。
 それからは、家でギターを手放せなくなった。まるでギターを覚えたての中学生状態である。どこに行くにもレスポール・モデルと一緒。とにかく慣れることだった。そんな中、テレビの前での練習が一番効果的であることを発見する。
 15秒のCMソングをそのままコピーする。瞬時に音やキーが変わるので、耳の訓練にもなった。ワンパターンにならないように自分の手癖ではなく、基礎運指通り動かす。
 僕がテレビの前に陣取り、CMを探しながらチャンネルを変えていくので、家人からは相当嫌われていた。

 大学を卒業してからは、再びアコースティック・ギターを弾くことになった。先輩から誘われ、バッキン
グを任された。この時も軽い圧力があったと思う。しかし、その時もまともなアコースティク・ギターを持っていなかったので、その先輩から借りた(何故アコースティックギターを持っていない僕を誘ったのかは不明)。
 久しぶりにアコースティックギターを爪弾いた時、弦のかたさが指の記憶を甦らせた。そして指の先がみるみるうちに固くなっていった。
 再び試練が始まった。アコースティックギターのソロは、エレキのそれとは全然違い、チョーキングなんて文化が皆無に等しい。強いピッキングを施さなければ、弦に負けてしまう。フレットを押さえる左指にも力が入る。
アコースティックギターのバッキングを担当することになり、石川鷹彦のバッキングを参考にしようと思ったが、いろいろと聴いているうちにとてつもなく難しいものに思えてきたので、すぐにやめた。だから僕にアコースティックギターのベンチマークは存在しない。しいて言うならギターを弾くきっかけになった吉田拓郎の弾き語りだろうか。

 当初はエレキからの継続ということでテンションの低いオベーションのエレアコを使用していたが、やっぱりアコの音は生ギターでないと本物の音は出ないので、マーチンにシフトしていった。
 マーチンは、テンションが高いので、弾いていること自体が格闘である。同じライトゲージを張ってもマーチンとギブソンでは全然テンションが違う。オベーションにいたっては、マーチンと比べると弦がフニャフニャに感じる。そしてネックが細いことも要因のひとつ。エレキギターを中心にプレイする人がオベーションを選択する理由はこういった特徴からくるのだ。1985年までのマーチンのネックなんて丸太のように太い。
とにかく弾くことに苦労するマーチンだが、その分、音がでかいことが特徴だ。鈴なりの倍音が心地よい。

 アコースティックギターのソロは、とにかくピッキングの強弱が命である。強く弾く時はディストーションがかかるぐらいの気持ちで思いっきり弾く。そうしないとギターに負けてしまう。
 僕がアコースティックギターに惹かれるところは、“アコースティックギターは嘘をつかない”というところだ。季節の変化、気象状況によって音が左右されるし、木は呼吸しているため弾く時を選ばざるをえない時もある。あるライヴでどうしてもマーチンD18を使いたいと思っても前日チェックすると全然響かなくなっていて、マーチンD28にチェンジしなければならない、なんてことは日常的である。そして、ごまかしがきかない。音色がエレキのように任意に変えることができないし、ミスタッチはすぐわかってしまう。
 アコースティックギターは、空間を大切にする楽器なので、弾かない美学も存在する。そんなワビサビの塊のようなアコースティックギターは奥が深い。そしてその奥深い世界に入り込んでしまった僕は、大学を卒業してからアコースティックギターを5本も購入している。常軌を逸した行動である。

 しかし、自分からギタリストになりたいと思ったことが無く、先輩からの圧力で弾き続けた人間が25年もギターを弾いていて、確実にギターの数を増やし続けているこの不可解さ。・・・いやあギターは奥が深い。
音楽を作る楽しみが一番。楽器なんてその次なわけで・・・ま、僕はギターが一番表現できるっていうことになるのかもしれないな。

2006年3月27日
花形

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?