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つかなかった既読

長男として生まれたうちの家族は何人家族といえばいいのかわからなかった。
両親と住む3人の家の隣には同じ敷地内にもう一軒家がありじぃちゃん、ばぁちゃん、そして親父の妹、僕からみたらおばちゃんの3人が住んでいた。
周囲の反対もあったであろう早すぎる両親の結婚で僕は生まれた。
20歳そこそこの両親にまだ40代のじいちゃんばあちゃん、そして叔母はまだ中学生だった。

じいちゃんばあちゃんはもちろん、おばちゃんにも本当に可愛がってもらった。
徒歩2秒の玄関は毎日のように開けて遊びに行った。
好きなお菓子をもらったり昼ご飯や夜ご飯を食べることも珍しくなかった。
昔ながらの平屋には座敷があって子供が走り回るには十分だったしそこで犬と遊んだりもして楽しい時間を過ごしてきた。
僕も大きくなりおばちゃんも大人になる。
そこでひとつの疑問が生まれた。

「おばちゃんって仕事行かないの?」

車は持っているのにおばちゃんは働かずずーっと家にいた。
だって大人で仕事に行かないのはおばちゃんだけ。
子供がゆえにストレートに聞いてしまった。
なんとおばちゃんは大粒の涙を流し始めた。

「馬鹿にされた~!」

いきなり泣かれて、いや泣かせてしまってびっくりした。
なんで?どういうこと?大人に泣かれても困ってしまう。
するとばあちゃんがすごい勢いで飛んできた。

「おばちゃん病気で働けないんだわ!」

入院しているわけでもないのに何で病気なの?
と直感で思ってしまったが大きくなるにつれて精神的な病気もあることを知った。

それからはおばちゃんの顔色をうかがうようになった。
すごく具合悪そうだったり機嫌が悪そうだったりする日は遊びに行かない。
そんな日は定期的にやってきてしばらく続くときもあった。
ひどい時は荷物をまとめ家出を試みてじいちゃんとばあちゃんがふたりがかりで止めに入ってたのも見たことがあった。
薬もいつも飲んでいた。

そんな見たくない一面も持ち合わせたおばちゃんだけどやっぱり普段は本当に人当たりがよく優しかった。
後にできた弟二人にも本当に優しかったし可愛がってくれた。

しかし、そんな幸せな生活も長くは続かなかった。

両親が離婚してしまう。

親父の家なので母親が出ていくのが一般的だとも思うが我が家の場合かなり複雑なことになってしまう。
親父が原因だからか親父が家を出てアパートを借り、親父側の両親、妹と同じ敷地内に母親と3兄弟が住むということになった。
つまり親父がただ出て行っただけの家族構成になった。
破天荒な父親で厳しかったが嫌いにはなれず僕にとってはつらい出来事のひとつとして胸に刻まれた。
でもそんな状況に全く触れず今まで以上にじいちゃんばあちゃんおばちゃんの3人は接してくれた。

そして月日は流れ僕も就職をする。
仕事柄夜勤もあり家に帰るのは弟たちが学校へ行き母親が会社に行ってしまった時間だったが、帰って車を停めるとよく窓を開けて

「朝ごはん食べるか?」

と、ばあちゃんはご飯を作ってくれて一緒にご飯を食べたりもした。
そんな生活に異変を覚えたのは数年後だった。

毎日のようにおばちゃんが車でどこかへ行きばあちゃんを見なくなった。

ばあちゃんは暇さえあれば庭いじりをしていたしそうでなくとも僕が会社や遊びから帰ってくれば必ず窓越しから

「おかえり~」

と、声が聞こえてきていたからだ。
そしておばちゃんが毎日のように朝からどこかへ行き夕方まで帰ってこない。
想像に難しくなかった。
ある日、ちょうどおばちゃんが一人で返ってくる時間に庭で偶然会った。

「おかえり~」

「ただいま~」

何も言わないおばちゃん。

「ばあちゃん大丈夫?」

「え!入院してるの知ってたの?」

「さすがに気づくよ」

「うん。ちょっと具合悪いけど大丈夫だから」

しかしそれから数日してからだろうか、まだばあちゃん見ないなぁと思いつつ出かけよう家を出ると

女性の啜り泣く声

が聞こえてきた。
それは隣の家からまるでおばちゃんの泣き声にも思える。
ゆっくりおばちゃんの部屋側に近づいてみると泣き声は聞こえなくなった。
もしおばちゃんの泣き声だとしたら・・・悪のシナリオは当たってしまった。

数日後、家族4人で夕食後テレビを見ているとおばちゃんがやってきた。

「ドラえもん見てるところごめんね、ちょっと話あって」

おばちゃんは悲しい笑顔で話しだした。

「癌が見つかったんだけどもうだいぶ進行しちゃっててもう長くは生きられないんだ。もうすぐ退院してくるんだけど最後はまた入院することになっちゃうんだ」

やはりあの泣き声はおばちゃんだったんだ。
さすがにショックだった。まだ60代。
そして

余命3か月

は本人には伝えずに・・・。

そして予定通り退院してきたばあちゃんは嬉しいはずなのに元気はなかった。
庭いじりもせずおかえりもなく家でずっと横になっていた。
やがて目も開けられないくらいになってしまった。
そして3か月後、体調は急変し再び入院することになりばあちゃんは亡くなった。
生まれた初めて、身近な人の死だった。

そしてこの年、母親は大きな決断をする。

「みんなで家出ていこうと思うんだけど」

そもそもう離婚しておいて一般的には出ていくほうが父親と母親は逆なはず。家のローンも親父がずっとアパート暮らしで払い続けていたので家も親父の所有だったらしくいつかは返してほしいと言われていたらしい。
隣町にある母親の実家はまだ両親が健在でそこに一気に4人が次の年の春を境に引っ越すことになった。

今までの家は親父が一人で住むことになり隣はじいちゃんとおばちゃんが2人で暮らすことになった。
片道一時間近くかかる距離になってしまい頻繁には顔を出せなかったが数か月に一度くらいは弟を連れて顔を出したりもしていた。
でもやっぱりおばちゃんは病弱で行っても

3回に1回くらいはとても具合が悪そう

だった。
このタイミングでおばちゃんは遅めの

スマホデビュー

をする。
機械音痴なおばちゃんはほとんどの操作がわからず都度弟たちと教えてあげた。
もちろんLINEも同時にデビューさせ、連絡も気軽にとれるようにした。

そして数年後、僕自身も大きな人生のイベントを迎える。

結婚

を機に母親の実家から出ることになり家庭を持つことになった。
妻にも離婚してるけど紹介したいからと父親の実家に一緒に行ってくれておばちゃんも喜んでくれた。
だが当然、妻を弟のように父親の実家には連れて行けず行く頻度は極端に減ってしまった。
そして一年後、僕たちの間に

男の子

が生まれる。
出産翌日におばちゃんは駆けつけてくれて喜んでくれた。
しかし育児は想像以上に大変でさらに忙しい毎日を送ることになる。
そんな中でも少しでも元気になればと思い、息子の写真を送ると
「ありがとう!かわいい!」
と反応と同時に
「会いたい!」
とも言われた。
僕としても少し成長した息子をじいちゃんとおばちゃんに息子を見せてあげたい思いは強く妻に頼み3人で見せに行ったりもした。
息子の写真をあげると喜んでくれて次に行った時には額に入れてテレビの横に飾ってくれていた。

ある秋の日のこと、妻が用事で家を空けるということで息子と二人きりで半日過ごす日があった。
僕は迷わずじいちゃんとおばちゃんに息子を見せてあげようと、車で息子を乗せ向かった。

「いらっしゃい!」

と迎えてくれたおばちゃんだったが

「あれ?じいちゃんは?」

「じいちゃん、がんが見つかって入院してるんだよ。でももうすぐ退院はできるんだけど」

「そっかぁ。じゃあまた退院したら教えて」

正直、そこまで驚いた話ではなかった。
前回遊びに来た時もじいちゃんは自分のベッドから横になっているだけだった。
それに何か家事をしてうまくいかないと騒ぎだして少し認知症気味になっているとも聞いた。
まぁ年も年、来る時が来るのも時間の問題か・・・。

そしておおよそおばちゃんから聞いていた頃にLINEが来た。

「じいちゃん退院したよ」

「そっか!じゃあまた遊び行くね」

息子を見せれば少しでも元気が出るかもしれない。
しかし、大きな問題があった。

諸事情で夫婦関係は悪化。

毎日のように怒号が飛び交いとてもじいちゃんに顔見せに行きたいだなんて言い出せる雰囲気ではなかった。

じいちゃんそろそろやばくて最後に顔だけ見せに行きたい。

それすらも言い出せない夫婦関係になってしまった。
言えるタイミングを見計らうこと一か月、おばちゃんから電話があった。

「救急車で運ばれてもう助からない」


結局、息を引き取ったのは数か月後のことだった。
その入院期間もほとんど寝たきりでコロナのせいでお見舞いにも行けなかった。

一言妻にもうじいちゃん先長くないから最後に息子を見せてあげたいと言えていれば・・・。
悔いが残る最期だった。

さて、ここへ来て本当におばちゃんが心配になる。

何せ今までじいちゃんと住んでた家で1人になり、隣の数年前まで僕たちが住んでた家には親父しかいなくなってしまった。
ここまで触れては来なかったが、親父と妹のおばちゃんの仲は良くなかった。
親父は昔から病弱なはずのおばちゃんには理解がなかった。
精神的に弱いことに対してはとにかく本人がだめだからだとあからさまな態度をとっていた。
おばちゃんは人が良いので親父のことは悪くは言わないがとにかく怖がっていた。
庭で話していても親父の車のエンジン音が聞こえてくると
「おばちゃん家に入るね」
と言って親父とは一切顔を合わせたくない様子だった。
僕たちが知らないところで相当厳しいことをおばちゃんに言っていたと思う。
じいちゃんの葬儀では協力して話しているように見えたが2人の関係は変わらないどころか悪化したように見えた。
実質1人になってしまったおばちゃんを僕はさらに心配した。
今まで以上に顔を見に行きたいところだが

「でもさ、お父さんに面倒みてもらうべきなんじゃないの?」

と妻はあまり乗り気ではなかった。正論といえば正論だから言い返すこともできなかった。
でも息子の誕生日になれば
「おめでとう」
とLINEをくれたし息子の写真を送れば
「いい写真ありがとう」
と返事もくれた。
そんな感じで1人になってしまったおばちゃんに会えないながらLINEで連絡をしていた。

そして、ある日。

「おばちゃん元気?」

と送ったLINEが

24時間既読がつかない。

今までこんなことはなく最悪のケースが頭をよぎる。

「あのさ、おばちゃんのLINEがつかないんだよね。今まですぐに返ってきてたのに。これ以上つかなかったら自殺疑うわ」

「えー!?」

「全然あり得ると思う。精神的な病気で1人になっちゃったらさ」

「それこそお父さんに確認してもらえばいいじゃん」

次の日、たまたま仕事が早く終わった。
これから顔を出すつもりで電話をしたが、

出ない。

不安は大きくなりそのままおばちゃんの家に向かった。
親父はいなく、おばちゃんの車はある。
もしかして。。。

インターホンを押す。

するとわずかに物音がした!

良かった。おばちゃんは生きていた・・・。
しかしおばちゃんが玄関の扉を開けるのには数分を要していた。

「おー!どうしたの?」

具合が悪そうだった。
歩くのもきつそうだった。

「たまたま近く寄ったからさ、線香でもあげてこうかと思って。おばちゃん元気?」

具合が悪そうだったので少し話して帰ったがLINEや電話をしたことは言わなかった。

困った。LINEは相変わらず既読がつかないまま。
しかも電話にも出る気力がないほど具合が悪い、ということだ。

これからは、仕事が早く終わった日はおばちゃんの家の前の道を通ることにした。
夜なら家から灯りが漏るのを確認できるし昼間車がなければどこか買い物行ったんだとかカーテンが開いていればそれだで生存確認ができる。

しかし、数か月後異変が起きる。

朝、家を通るともう車がなかった。
こんな朝早いなんて働いていて出勤した?
少なくとも買い物行く時間ではない。
実はおばちゃんは働いたことがないわけではない。
ばあちゃんが亡くなってから少ししたら
「午後だけ働いてるんだー」
と話してくれたことがある。
でも気づけば一日家にいる。
仕事どうなったかは聞く必要はなかった。
本当はおばちゃんだって社会に貢献したかったに違いない。
でも病気でできない。
本人もかなりのストレスだったと思う。
だから最初は

あ、今度は朝からの仕事を始めたんだ!
と思った。

が、夕方も車がない。

それが毎日だった。

これは確実に仕事じゃない。
働いてない人が朝から晩まで毎日仕事。
ありえない。
となると仮設はふたつ。
①入院
②引っ越し
のどちらかだと思った。
入院は今まで何度もしているはずなので驚いた話ではない。
引っ越しと思ったのは実はおばちゃんのことを気にかけている親戚のおばあちゃん(じいちゃんの妹)がいてその家に引っ越した説だ。よくおばちゃんが顔を出しているとも聞いていた。
寂しいおばちゃんを見かねて誘ってくれたのかなとも思った。

何か知ってるかと弟に聞いてみたがやはり何も知らず驚いて
「入院じゃないかなぁ?」
と言った。
どっちにしろ家にいないんじゃ会えない。
しかし、ふたつの仮説はものの見事に外れた。
今日もいないんだろうなとたまたま家の前仕事終わりに通った時のことだった。

見知らぬ車がおばちゃんの家に停まっている。

なんとその後部座席から買い物袋を持ったおばちゃんが降りてきた。
おばちゃんは運転席のおじさんに丁寧にお礼を言うと車は出て行った。
よくみるとその軽自動車には病院のマークが入っていた。

「おばちゃん!」

「おーひさしぶり!」

「車どうしたの?」

「事情あって手放しちゃったんだよ」

「そうなんだ。実はさ、おばちゃんの車ないからいつもいないと思ってたんだよ」

「いたんだよー。ごめんね。みんな元気?」

とりあえずよかった。
何より最期にあった時よりおばちゃんは元気そうだった。

事情があって車を手放しちゃった

事情は敢えて聞かなかった。
もしかしたら生活が苦しくて維持ができず、生活費の足しにするためなのかなとよぎったからだ。
正直一人暮らしで車がないなんて地方での生活は厳しい。
だからさっきの車は病院の送迎と普段の買い物も兼ねてのサービスだったのかなと思った。

残念なことに僕の勤務地が変更になりおばちゃん家の方を通るにはまるっきり反対方向になってしまった。
これでは今までのように様子を見に行くのは難しくなってしまった。
だからせめて弟たちに声をかけてお盆ぐらいに顔を出して1年に1回くらいは顔を出すようにしようと。
妻が良いなら息子も連れていけばおばちゃんも少しは元気になるんじゃないか、と思った。

話が前後してしまうが、実は正確にはおばちゃんは1人じゃなかった。
正確には、1人と1匹。

猫を飼っていた。

というのもペットショップに行って気に入った子を選んできたのではなく、

保健所に行って保護猫を引き取ったのだ。

犬は飼ったことがあったのだが猫は初めてでおばちゃんは溺愛していた。
その猫を飼う条件は外に出さないことだったらしい。
居間には猫を抱っこするおばちゃんの写真も貼ってあり数少ないおばちゃんの癒しになっていたのは間違いない。
余談だが初めて僕は猫アレルギーだったことを知る。

そして、春は3月18日、まだ冬の寒さが残るある深夜ー
親父から一通の着信が入る。気付いた時には朝方で、今日も仕事だったので朝折り返している時間もなく会社についてから折り返そうと通勤しているときだった。
また親父から追加で着信が入ったのだった。

何かあったのは間違いないと思い車を路肩に停め、電話に出た。

「悪いなー、昨日寝ちゃってて電話出れなくて」

「いいさいいさ。それがさー

おばちゃん亡くなっちゃったんだ」

「ええええ!」

急すぎる。
信じられない。
50歳。
早すぎる。

ー3月17日の夕方ー
おばちゃんを病院の送迎の車が家に着き、インターホンを鳴らすも反応がない。さらに暗くなってきているのに中は暗いまま。
送迎の運転手はおかしいと思い、保証人になっている親戚のおばあちゃんのところへ電話する。
親戚のおばあちゃんは親父のところへ電話し、聞いたままの状況を説明すると仕事中だった親父は早退し帰宅。
親父が帰宅して見たのは警察と救急車と、顔が赤くなったおばちゃんの遺体だった。
死亡が確認されて救急車は帰り、警察は1人で亡くなっていたため事件性がないか調べるためおばちゃんと親父を警察署まで連れて行った。

心不全だった。

そして死後3日経っていたことも判明する。

「まだ俺も警察から帰ってきてなくていつになるかわからないからまた連絡する」

すぐに動けるようにとその日は出社せず帰宅した。
結果、夕方親父から電話がかかってきて明日、19日の朝10時におばちゃんが帰ってくるからそれまでに来てくれと電話があった。

予定通り行くとおばちゃんの遺体が時間通り運ばれてきた。
うつ伏せになっていたからか、顔は赤くなっていたが傷はなくきれいな顔だった。

「あ!そういえば猫は!?」

「ずっと隠れてるよ。餌は食べてる。もらってってくれないか」

無理な話だ。
妻は犬派でさらに僕は猫アレルギー。
飼い手が見つからなければ最悪施設に引き取ってもらうようにお願いするしかないのか・・・。

この日は親戚一同が集まり、通夜を行った。
妻も最後にと顔を見に来て線香をあげてくれ泣いていた。

親戚の人から初めて聞くおばちゃんの話をたくさん聞いた。
知らなかったのは病気のこと。
精神的な病気だけだと思ったらいくつもの身体の病気を持っていたことを初めて知った。
そのうちの一つに、

糖尿病

があった。
一気に楽になると自分で注射する姿を弟は見たらしい。
ものすごい量の薬も見つかり胸が痛んだ。
車を手放したのももう危ないからと医者に運転はするなと言われてのことだったらしい。
本当に本当に辛かったんだ。
働きたくても働けなかったんだ・・・。
気持ちを考えただけでも涙が溢れてきた。
何が原因でそうなってしまったんだろう。
ばあちゃんの看病もじいちゃんの看病も1人でよくやってくれた。
1人で寂しそうにしているおばちゃんを見かねてじいちゃんばあちゃんが迎えに来たんだろうか。
これでもう1人じゃないって。

どういうつもりで言ったかはわからないがある親戚のおばちゃんが言った。

「これでよかったかもしれない」

亡くなってよかったともとれるが実は僕も一理あった。
この先何十年、1人でいくつもの病気と闘いながら生きるなんてそっちの方が想像しただけで胸が痛んだ。
結果、おばちゃんは寝たきりになることも入院することもなく、家で最期を迎えた。
せめてその時が苦しくなかったことを願うばかりだ。

そしておばちゃんの一番の心残りであろう

猫の貰い手が決まった。

親戚の猫を飼っていたおばちゃんが引き取ってくれた。
名前はなんと孫と同じ名前だったので変わってしまったが既存の猫たちとも仲良くやれそうらしい。
これでおばちゃんも安らかに眠れるだろう。

まだおばちゃんに注意されそうで抵抗があったがスマホを見させてもらった。
亡くなる一週間前に近所のガソリンスタンドに電話していた履歴があった。
玄関に灯油のタンクがほとんど満タンだったのでその調達だったんだろう。
どんなに病弱でも生きようと必死だったことに涙が溢れてきた。

そして既読がつかなくなったLINEを開くとログアウト状態だった。
何らかの理由でLINEがログアウトしてしまい、パスワードを忘れてログインできなかったんだろう。
最期にあった時言ってくれれば・・・それか聞いていれば・・・。

そしてYouTubeも使いこなしていた。
自分のアカウントを作り好きなチャンネルをチャンネル登録していて毎日のように見ていた。
犬や猫だったり、アイドル、もしかしたらうちの息子と重ねてか同い年ぐらいの男の子の動画を見た履歴も残っていた。
そしてそれが

3月13日

で最後になっていた。

警察の死亡推定日は3月15日。
毎日のように見ていたYouTubeが亡くなる2日前にピタリと止まる。
もう13日にはYouTubeを見る元気がなかったか、すでに倒れていたのかもしれない。

僕ら兄弟は通夜の夜、おばちゃんの家に泊まった。
なんと3人とも猫アレルギーでくしゃみと鼻水と全身の痒みでほぼ一睡もできなかったのはいい思い出だ。

翌日、出棺する前。

おばちゃんの目から涙が溢れて親戚一同驚愕した。

弟が慌てて調べると腐敗が進んでくるとそうなることがあっらしいが、タイミング的にこちらも涙をこらえきれなかった。

最期に送信したLINEの既読は2度とつくことはなくなってしまった。
次会ったときはまた同じ質問をしようと思う。
そのときはしっかり返事をしてほしい。

おばちゃん元気?



数日後弟からおばちゃんの夢を見たと連絡が来た。
ニコニコしながら僕の子供を抱っこしていたと。
弟が
「なんで死んじゃったの?」
と聞くと
「やっぱそうなんだね」
と返してきたらしい。
もしかしたら自分が亡くなったことに気づいてないのかもしれない。
ただ、ずっと笑顔だったらしい。


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