見出し画像

第18話 ラ・ロシュフコー 人生哲学

❝心の傷は体の傷と同じだ。癒やそうと必死に治療する。
       それでも傷跡は残る❞


まさにその通りである。それだけに悲しい。
彼はフランスの1600年代の貴族であったが、このような
感情が生まれ、言葉にできるのは色々な人生を
送った故か、悲劇で幕を閉じたかのどちらかである。

私は歴史は好きではあるが、全ては信じていない。
例えそれが正式文書でもだ。
今の時代があるのは過去があるからである。

そして過去は当然ではあるが現在に影響を与えている。
闇に葬られた事実は存在する。
私は身をもって体験したので、非常に悩んで戦ったが
敗れ去った。負けることは分かっていた。

それでも戦ったのは私の性格上、悪を許せなかったからだ。
敗れ悩み、苦悩の日々を数年過ごした。
現在は昔とは違ってそれを記録に残せる。

ある日、父親と口論をし、小学生低学年の私殴り蹴り
切れるほど顔面も殴られた。理由はテーブルにソースを
一滴こぼしたからだ。

夏休みもなく休み自体が無かった。一年中、勉強と教養と
習い事の日々だった。
私は疑問を小学生にして感じたことから今がある。
母親からは何億も投じたのにと罵られた。
そんな母親が夏休みの科学研究を大学生を雇って
100~200ページの小学生の科学研究に写して提出させていた。

私は子供の頃から人生に苦悩してきた。
3年前のある日、私と父親と口論になり、母親は警察を呼んだ。
呼んだ理由も父親、母親は黙秘した。
私はまだ終わっていないそれまであった事を話した。

警察の人は私に同情してくれた。
「私のようなものには想像出来ない程ですが
賢いから逆にお辛いでしょう」と言われた。

その警官は私に出来ることは記録に残すことだけですが
生きてくださいと言われてた。

その後、警察のその人に相談しようと電話をかけた。
婦警さんに日時を伝え相談しようと思ったら
膨大な量の記録を残してくれていたらしく
読むだけでも時間がかかるので、すいませんと謝られた。

だけど、しっかりと約束を守ってくれたんだと思うだけで
私は楽になった。

だからこそ、私はこの道を進んでいる。
何とも言えない事実だ。

あの苦悩があったから今があるとは皮肉なものだ。
だが、それが人生だ。
多くの先人たちに、今、私は問いかけている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?