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悲劇の英雄たち

ジョン・スノウは先日話した海外ドラマの
「ゲーム・オブ・スローンズ」に出てくる
主役の一人です。

この物語は7つの王国の戦いとされていますが、
主には、戦略や策略、謀略等が多くあります。

主人公たちの中でも一際目をひく人物であるのは、
彼はエダード・スタークの腹違いの子供であると
されて育てらえてきました。

多くの主人公たちが出るこのドラマでは、
立派な人間だと言えるのは、シーズン1で死刑になった
エダード・スタークとジョン・スノウでした。

ジョン・スノウは出生は実は違って、
エダード・スタークの子供とエダードが偽り
連れ帰ってきました。

彼は7王国の中でも前王であった王家の血を引く
者であったため、エダードは妻にも誰にも真実は
告げずに死刑されました。

簡単に想像できるものですが、ジョン・スノウは
エダードの妻から憎まれていて、一人だけ腹違いの
子であるが故、エダードの息子として接していたのは
エダードの子供たちや、エダート本人だけで、
祝いの席などにも席は無い状態で、エダートの息子で
あっても居場所がありませんでした。

彼の血統が違う事が明るみに出たのはラストシーズン
だったと思います。

私は常々、映画の世界の話は創作であったとしても、
現実にも起こり得る事だと思っています。

人間が考える以上、同じ考えを持つ人は必ず存在する
ものだと、今は思っています。

以前はそう考えることすら無かったのですが、
私の生死を賭けた生きる道を模索中に、世界中の歴史や
偉人たちや、神々を調べていくうちに、
以前も話しましたが、人類が知識や誇りを持って
生き始めてから、4千年以上経った現代までの間に
必ず私と同じ事をした人がいるはずだと思い、
私が「人間学」と称していたものは、哲学である事を知り、
そこから西洋の最初の哲学者とされるソクラテスも
同じように、自分より賢い人を求めて旅をしていました。

結果としては、ソクラテスは賢人と呼ばれる人々に
会いに行きましたが、逆にソクラテスに教えを乞いたいと
言われ続けて、彼は「私は普通の人たちより少しだけ賢い」
と謙虚な感じで諦めて認めました。

私の場合は、精神が崩壊してゆく最中に、私のように生死を
選ぶ状況まで追い込まれた人の中で、生きている人を
探していました。

どうすれば正に地獄のような世界から脱する方法を、
過去の偉人や同じような境遇の人たちを、
詳しく調べて生きる道を探しましたが、
見つかりませんでした。

偉人の中にも苦しい状況に追い込まれていた人たちは
いましたが、このような精神が蝕まれいく中であっても
生きる道を選んだ人は、結果から言えばいませんでした。

この最悪の精神状態の時の事だけは、何故か夢までも
鮮明に今でも覚えています。
普通なら夢は忘れる事のほうが多いものですが、
私は同じ夢を何度も見ました。

第一幕の人生は非常に良くないものでした。
余りにも酷すぎた為に、生死の選択を自分自身から
迫られてました。

落ちないと言われていた最後の砦であった私でも
耐え切れず、陥落しました。
この事の問題点は経験無しには理解できない所に
あります。

アインシュタインも書いていましたが、自分が間違いに
気づかず、自分が狂っていて、周りが正しいのかが
分からなくなる時がある。

と彼も苦悩の極みを体験していたからこそ、
そう思えたのです。
経験したから分かる事ですが、この闇に落ちれば
99%は死を選びます。

実際に私も二度自殺をしましたが、一度目は薬不足で失敗、
二度目は予定外の来客に発見されて死に損ねました。

これは本気で死を考えた人にしか分からないものだと
断言できます。それほどまでに、何と言うか、
言葉にも困るほどのもので、耐えきることは不可能です。

では何故、私は耐えきれたのか?
実際、これは私自身でも謎でした。

いくら考えても有り得ない事ではあるが、
現実的に起きている事として捉えて、
何度も考えましたが、答えを見つけることは
出来ませんでした。

しかし、ある事をきっかけに私は私自身の変化に
気づいて、以前の自分では無い自分だと言う事が
分かりました。

それはたまたま朝まで飲んで、タクシーを拾おうとして
道を歩いていた時、道路を挟んだ向こう側で、男女が
もめていました。

私は何故かそれを見つめているだけでした。
女の子は殴られて顔面を蹴られても、私はその光景を
ただ見ていました。

ホストみたいな男で、行けば一撃で終わるのに、
私は女の子を助けませんでした。

この時、初めて自分の違いに気づきました。
普段なら絶対に助けるのに、実際助けてきたのに、
助けようという気が0のままで、
ただ見ていた自分の変化に、一体自分の精神はどうなって
いるんだろうと考えるようになりました。

自分の中で何かが決定的に違い、今の自分は以前の自分では
無いとハッキリ感じ取れたものでした。

その1つの手掛かりから、私は時間をかけて3年ほどの間、
起こり得る事の全てを考えました。

その中にあったある夢が原因だと分かりました。
その日は幼馴染の家に泊まっていました。

突然、目が覚めると、私は夢の中で金縛りにあっていて、
その時は現実だと思っていて、隣の部屋から何故か男だと
分かる黒い影が入ってきたので、私は声も出せない状態で
力を振り絞り金縛りを解いて、立ち上がるとその影は
階段を下りて一階に逃げて行きました。

私もすぐに追いかけると、その影は4つになっていて、
その中の一人の顔面を私は殴りました。
粘土のようにボロッと目と頭の部分が床に落ちて、
廊下に入る月明りに照らされた時、その影は全員、
私でした。

不思議な事にその自分たちを見た時、パッと目が覚めて、
最悪の嘘をついて私を騙した全貌が、不思議な事に
一気に理解しました。

その部屋にある鏡が目に入って、私は驚いて鏡の前に
立つと、有り得ない事とは言いませんが、
黒髪が白髪にどんどん変わっていきました。

変わる様が分かるほどの速度で白髪の方が多くなりました。
髭も眉毛も白くなり、絶対にやってはいけない事を父は私に
して、私を見事騙しました。

しかし、私の精神は既に限界近くまで行っていて、
そこにその一番大きなものが加わった瞬間、
「死」とだけ頭に浮かびました。

私は一応、最低限は一族の長の長子としての役目は
果たしてきましたが、何もかもに疲れていました。

一族は祖先の生き様を忘れていて、ただの名ばかり
名家でしか無くなっていました。

しかし、私は血が濃いのか、名ばかりなど
無意味に等しいと思ってきました。

”ジョン・スノウ”のセリフ
「多くの者が誓いを破ると、言葉は意味を失う」

ホビット族のキーリのセリフ
「見ているだけなんて、私の血が許さないのです」

彼らもまた同じように、自分自身というものを
持っていました。
映画や偉人の言葉、漫画等により
何とか持ちこたえる事ができました。

私が現実にこれまで知り合って、頭の良い人は
大抵、仕事とは無関係な習慣や
趣味を持っていました。

仕事に関しては時代や状況に適応していかなければ
ならないので、それを学ぶのは当然の事であるから
です。

仕事には関係ない事は、必ずどこかの人生の場面で
生きて来る事が多々あります。

私が書いている小説の場合だと、アクションの描写
を書く時に、最初は漫画の「喧嘩稼業」を
読み返して、技がどういった形なのかまでは
分かりにくい時があるので、Googleで技名を入れて
画像にして調べてから、描写を書くようにして
います。

映画では情景だけでは難しいので、そういった
場合に利用しています。

偉人たちの言葉はもう私は持論を持っているので、
最近では極たまにしか見ることは無くなりましたが、
哲学の分野に於いてはたまに見るようにしています。

色々な経験により、自分を確立させてからが本当の
勝負だと思っています。

基本的にスタートとゴールはありますが、
それはあくまでも生まれてから死ぬまでの中にある
沢山の中の1つだけに過ぎないものだと考える事が
何よりも大事である。

しかし、よくある例で挙げた場合、結婚をゴール
だと思っている人は日本には大勢いる。

恋愛が終わり、結婚した場合、それはスタートで
あるため、初めて会った時の事をたまにでいいから
思い出す事ができるのであれば、夫婦関係は
上手くいく事は実際の事である。

おじは日本人であるが、英語も堪能で日本では
PCを科目として取り入れた第一人者の一人で
あった為、昔は海外に行く事も頻繁にあった。

そのせいかどうかは分からないが、おじは妻を
愛していると公言する。
それは愛の証明でもあるし、言葉にする事に
よって相手もその気持ちを受け止める事が
できるので、非常に良い習慣だと思った。

それは今でも続いていて、毎日愛を言葉に
している。

日本人の場合はその点に関しては大きく
間違っていると私は思う。

愛妻家は恥ずかしいものでは無い。
むしろ好感度は上がるはずだ。
今、一瞬、「ダイ・ハード2」で、
ブルース・ウィリスが空港の受付嬢に
クリスマスを一緒に過ごさないかと
誘われた場面があった。

彼は結婚指輪を見せて、断わったが、
そうあるべきだと私も思う。
たった一度の浮気でも許されない場合も
少なくない。

海外ドラマ「デクスター」では、主人公の
友人は一度浮気をしてしまい、それを妻に
告白して許してもらおうとした。

しかし、妻は許す事が出来ずに離婚する
事になった。

彼はたった一度の過ちで、
それまで築き上げた一番大切なものを
失ったと言えるものだった。

私は映画や海外ドラマではしっかりと
見ている。
特に表情は一番大事なものであって、
目もそうだが、心でその感情をハッキリと
認識しなければ、どこかに漏れが出る。

そうなれば一気に覚めてしまうもので
あるため、日本人の役者もそうであると
聞いた事はあるが、海外の俳優はその世界に
入るために数ヶ月を要して、その世界と
その世界にいる自分を描き出す。

だからこそハリウッド映画は評価が高い
ものが多くあるものではあるが、
スリラーやホラーに近い作品に関しては、
韓国映画が私的には凄いと思っている。

何故か人間の恐ろしさを描く事に関しては
韓国俳優は独特な怖さを出すのが、
非常に上手く、本当に怖くなる場面もある。

その点で言えばハリウッドの場合、
俳優の演技による恐ろしさよりも、
ネタでの勝負が多いと感じる。

それはそれでいいとは思っている。
あくまでも私が言いたいのは、
あの独特さは他の国の映画やドラマでは
見ることのできない怖さがある事を
伝えたいだけである。

生と死は実は非常に近い関係にある。
それは「死」を一度でも心に生まれた
人ならば分かるはずだ。

それほどまでに人間の感情とは状況によって
左右に動きやすいものである。
不正献金、不正取得など誰が考えても
悪いと分かるはずではあるが、
その手を黒く染める人は大勢いる。

しかし、その汚れた心では自分をおとしめる
だけであって、大人になったからには最低限のマナー
は持たなければならない。

今の日本の大人たちは、毎日のように事件を起こし
捕まっている。
その捕まった人の子や妻、親などは悪く無くても
陰口を叩かれる日々を過ごす事になる。

罪人は仕方ない。
しかし、ただ血縁者だからといって、
大変な日々が待っている。

そこから生まれるのは悪意の感情しか生まれず、
虐めたり、陰口を叩く人の人間質の低下を招く事になり、
人間性は悪いほうにしか行かなくなる。

だからこそ、多くを知り、出来るだけ賢くなるための
努力を私は日々している。

誰が言ったのかは知らないが、
「騙すより、騙される方が良い」という言葉は誰もが
一度は聞いた事があるはずだ。

私も同じように思っている。
騙す行為は、品性を自ら下げる事にしか
ならないからだ。

人は生きるという言葉に対して、色々な思想を
持っているが、多くは食べるために生きている。

しかし、そこを少し減らして、他の事に時間とお金を
費やせば、それはお金による投資もその一つではあるが、
私の言う投資とは、自分への投資の事である。

お金は使えば無くなる。
私は経験したから良く分かる。

父は昔、金の取引をしていた。
しかし、ソ連が崩壊し、テレビにも出ていたが、
トランクケースに詰められた札束で、
トイレットペーパー1個しか買えないほどまで
下落した。

その時、ソ連は国庫にある金を放出した。
それにより、金の値段も一気に下落する事になり、
父は20億円の損失を出した。

だからこそ言いたい。
自分自身への趣味などの投資は、
死ぬまで持ち続ける事ができる。

それがあるか、無いかだけで人生は大きく揺れ動く。
父の場合は財閥の長男であったので、母にも相談なく
取引をしていた。

しかし、普通は大きな事は話すべきである。
小さな事でも話した方がいい事は話すべきであって
隠すという心理的な行動は、心にやましい事が
あるからである。

大人として今からスタートしても遅くは無い。
その繰り返しが人生であって、その生き様は近しい人や、
その人を知る人に勇気を与えるものである。

私も今、その道を歩き続けている。
昔より強くなった今の自分には、道はハッキリ
見えている。

この自分の道を進むことが、私の人生だと言えるだろう。


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