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あなたの音じゃない

あなたは、あなたの以外じゃ喋れない。

なんとなくだけど、その人が本当のことを言っているかどうかは、少し話せばわかる気がする。直接会って話せば、相手が耳ざわりのいいことを言っていても、それが目の前にいる人のためのものか、自分の為(相手を誘導する為)のものか大体わかる気がする。

これは、直感的な能力で誰にでも身についている能力だと思う。でも、個人的にはどうやって判断しているのだろうか。心理学のテクニックとかでは、相手の視線の動きを見て、身体の向きを見て、手の動きを見て、足の動きや、うなずきのタイミング、顔の傾きなどをもとに総合的に判断する方法があるが、僕は一番は口から出る音だと思っている。

自分の言葉が相手に届くかどうかは、言葉として音を発した瞬間に何となくわかる。自分の声が無機質な音だった時はあまり届かないし、逆に暖かみのある音の時は、自然と言葉が場にしみこんでいる感じがする。

二年前に、あるイベントに参加した時に、そこのカリスマ型リーダーの方が自分や相手が話す時に、「それは、音が違う。」や「地球語で話さなくていいから」ということを言っていたのが印象的だった。その意味としては、相手に合わせてそれっぽく言葉を発している人に、「自分の言葉と音で喋りなよ」的なことを伝えるためだったと思っている。内容はあまり覚えていないが、その人が話す言葉が確かに音が違い、場に共鳴し頭ではなく心に訴えてくる音だった。

その時から、人にはその人の心からの言葉とわかる音があるのかもしれないと考えるようになった。そして、その音は相手に合わせて意図的に出そうとするとどこか雑味の入った音になってしまい、相手が何かを防衛的になってしまうので本当に伝えたいことが伝わらない。

僕は、自分の音は本音を話すのをやめてしまうとどんどん出せなくなると思っている。自分の本音はその時に自分の状態が反映された純粋な音になる。本音を話すと、特に言いづらいことをいう時は相手と自分の関係性が悪くなるかもしれないし、場自体の雰囲気も悪くなるかもしれない。一時的には相手のことを傷つけてしまうこともあるだろう。それでも、本音で自分のためだけじゃなく相手のために言った言葉はなんであれ、最終的にその時伝えたかった気持ちは伝わると思うし相手の心には響くのだと思う。

僕は、本当に大事なことを伝える時は、まずは自分の心と向き合って、誰のためにそのことをいうのかを考える。相手を非難したい気持ちや、自分の正しさを証明したい気持ちがある時は、ちょっと立ち止まってそれらよりも大切にしたい気持ちがないかを探してみる。そして、色々考えてやっぱり伝えたほうがいいって思えた時は、あとは言葉を準備せずに正直に話してみる。そうして綺麗にまとまっている言葉よりたどたどしい自分の正直な気持ちが乗っている言葉を喋った時、まっすぐ相手に伝わり、その後の展開もいい感じになることが多い。伝えながら、自分の我が出てきたなという時は、自分の発する音がどこか意地悪になったり、冷たくなる。そして、だいたい伝わらないか変な結果になっている。

そういう音が出ている時は、話しながら内省して自分の今の気持ちを振り返ってみる。そして、何が満たされなくてその言葉を発しているのか、そしてそれは本当に相手のためになるのかを考えてみる。そうやって、自分の気持ちが暖かさで満たされるまで待ってみて、満たされてきたらまた自分の伝えたいことを伝える。

人間関係で困難な状況になった時は、言葉は準備せず、気持ちだけ整えて向き合ってきた。今までそういう向き合い方をして、あまり悪い方向に進んだことはない。でも、自分の気持ちがどこか自分本位になっている時は、どれだけ友好的にいい感じの言葉をかけても、その瞬間はよくなっても後々こじれることが多い。

人は、相手が本当のことを言っているかどうかを言葉じゃなく直感的に理解できると思うし、それは特に音で判断しているのではないかと思う。音は、自分の心理状態を反映している。だから、自分の音に気を遣うことは、自分の心理状態に気を遣うことだと思う。


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