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国や文化が違っても一緒に生きていくために(英語翻訳者 バーナード・ファーレルさん:その7)

外国人は普通に日本の社会にいられたら、それでいいんだよ。

生活上では、別に日本人、外国人と区別する必要はない。そんなことしないで、国籍や文化は違っていても、いっしょに暮らさないと。

お互いにある程度譲りあって、まあまあまあ……とやっていかないと、社会がおかしくなるよ。

「なんだ、これは!」といらいらしても、ストレスが溜まるだけ。
「ちょっと話しましょうか」という態度でないと。

外国人、日本人を問わず、お互いに譲りあって、まあまあまあ……と
やっていくことが大切なのでは?

日本語も、日本に住む外国人も珍しくない時代

私が日本に来た時はまだ外国人が珍しくて、子どもが「外人、外人」と外国人を指差していました。

今はそんな子どもはいない。外国人が社会に多くなってきて、珍しくないということですね。

それから、英語について。英語を話そうとする日本人は、昔は自信がないので非常に緊張して、なかなか話せなかった。

それがだんだん少し自信を持つというか、気楽に話そうとするようになった。

もうひとつ大きな違いは、日本に住んでいる外国人で、日本語が話せる人が多くなった。

昔は、外国人には自分たちの社会があって、日本社会とあまり関わっていなかった。

今の若い人は日本に来る前に、日本語を一生懸命勉強している。
びっくりするよ。
自分の国で日本語をしっかり勉強して、日本のこともよく知って日本に来ている。
日本語教育が世界で広まっている。

だから日本人にとっては、外国人がそれほど珍しいものではなくなっているし、外国人が日本語を話せると安心感がある。

なかにはできない人もいるけれど、気持ちは楽になっている気がする。

最近は技能実習生も日本に来るし、留学生が多くなっている。
留学生は日本の社会で仕事をしたいし、日本の会社にとってはいい人材だから、外国人がいる会社が増えてきている。

日本の社会が求めている面もある。
昔はそうではなく、外国人は「よそもの」みたいだった。

もう珍しくはなくて、「そこにいる」からでしょう。

場合によっては、外国人がいると困ることもあるとは思いますよ。

例えば学校の場合。
特に子どもの両親が2人とも外国の方で日本語がわからない場合は、先生や学校は困っている。

子どもも困っている。でも、保護者のうちひとりでも日本語が話せたら、そんなに問題はないと思います。

外国人が、だんだん日本語や日本社会を理解してきているので、日本の社会からしても外国人がそう珍しくなくなったし、日本語もわかって話ができるということで安心感があるような気がする。
私はそう思うけれどね。

変わりつつある人々の問題意識

この前、入管でスリランカの方の問題があったけれど、日本の報道がこんなに取り上げるとは。たぶん30~40年前だったら表に出なかったと思いますよ。

日本の報道は、日本に住んでいる外国人の抱える問題をいろいろ取り上げているよ。
最近の特集番組でも、技能実習生のことを真剣に取り上げていた。

だから日本の社会には、日本に住んでいる外国人のことを何とかしようとしている人が多くなっている。

また、NPOが非常に増えてきた。
FACIL(1999年設立)も、この地域では30年近いですね。

そのときはNPOがほとんどなかった。それが今は日本中にNPOがあるし、日本にいる外国人を支援するNPOも多いよ。

日本の社会が外国人を求めている面もある。
もう珍しくはなくて、外国人は「そこにいる」存在

「国際交流」も多文化共生に取り組む時代

昔は神戸、大阪、横浜などの都市にある国際交流協会というと、集まって「日本語を教えます」「アメリカは、どういう国ですか?」とか、そういったことだけだったでしょう? 
仲よしクラブみたいなね。

今は、そうした団体も必死です。
日本人は外国のことをできるだけ理解しようとするし、その街に住む外国人がどうしたら安心して暮らせるのかと、必死でやってるよ。

横浜のホームページを見たら、医療とか教育も立派。
翻訳で関わったこともあるけどね。30年前とは全然違うよ。

長年日本に住んでいると、変化がわかる。
私からしたら、住みやすくなっている。
外国人として日本で普通に暮らすのには、特に違和感がない。

まあ、気持ちのうえでの話ですよ。日本語はたしかに身に付けないといけない。
日本語はできないと困るので、できるだけ早くできるようになるほうがいい。書くことは名前と住所ぐらいできれば、生活の中ではほとんど必要ない。

F:カタカナぐらいでよいでしょうか。

できれば、漢字も少しは。
書けなくてもいいけれど、読むことは難しいことまではできなくても、読めないとわからないことが多いから必要。
あとは会話。

だから日本人といっしょにやったらいいよ、別に難しいことはない。


(後記)
1960年代、未知の国・日本を探求し、移住まで果たした若き青年は、同時代のアイルランドでも際立った存在だったのではないでしょうか。
日本での生活に根差した独自の視点あってこその翻訳であり、多言語での情報発信なんだと実感しました。


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