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来たるべき<アフターコロナ>に向けて

note 初投稿です。ちょっとだけ緊張しております。


東京オリンピックに向けて、日本全体が活気に満ち、個人的にも、DJとしてこれまでにない展開がいろいろと控えており、すごく楽しみにしていた2020年がはじまった当初…まさか、世の中がこんなことになろうとは、数ヶ月前には夢にも思っていませんでした。


新型コロナウイルスという、今までに無かった(厳密に言えば存在したのだが…)脅威が、瞬く間に世界全体を襲い、ここ日本にも上陸した途端、たった数ヶ月の間に、ここまで社会全体を変えてしまいました。


基本的には、よくある風邪ウイルスの一種でありながら、無症状でもヒトからヒトへ感染してしまうほどの感染力を誇り、ひとたび重症化すると、重度の肺炎を引き起こし、最悪の場合死に至るという、非常に恐ろしいウイルスです。


当初、識者のあいだでも、感染者の80%は無症状で完治すると言われていたこともあり、さほど脅威となるウイルスではなく、日本でも「インフルエンザのほうが死亡率も高く、過度に怖がる必要はない。」という見方が大半でした。


しかし、蓋を開けてみると、その感染力の強さから、医療現場に想定以上の混乱をもたらし、一歩間違えば、医療崩壊にも繋がるというところまで追い込まれています。インフルエンザと違い、まったく無症状の保菌者からも感染するため、無意識のうちに感染を広げてしまう「市中感染」が、当初の予測よりも加速度的に広まってしまい、潜在的な感染者数を含めると、もはや、その実態を正確に把握することは不可能で、ほんのボタンの掛け違えひとつで「オーバーシュート」を引き起こしてしまうと、本当に取り返しのつかない事態になってしまうかもしれません。


また、生活インフラとして欠かせない医療・運送・小売り(スーパー)などの業種の方々は、この危機の中、その最前線で今も働かれており、そのことで、本人・ご家族の方などが「菌が移るから触るな」・「お前の家族は感染源だから、この場所から出ていけ」などという、差別的な扱いを受けてしまうという悲しい「分断」も、様々なところで起こってしまっています。


なぜ、感染症の専門家でもなんでもない私が、既に多くの人が知るであろうこの現実を、今、わざわざここで触れたのか。そこには、私なりの理由があります。


※以下、ビフォーコロナの話としてお聞きください。


福岡のダンスミュージックシーンに身を置き、今年で21年目を迎えましたが、DJをはじめたのが22歳のときと、比較的遅かった私でも、それなりに福岡のシーンを様々な角度から見続けてきました。


ちょっと愚痴のように聞こえてしまうかもしれませんが、その間に起こった大きな変化をひとことで言うと…【人が「躍らなく」なった】ことです。


ダンサーさんのように「踊る」のが目的の人は除きますが、あえて「躍る」と書いたのには理由があります。


私が普段からよく通うクラブに遊びに行ったとき、単にダンスという意味ではなく、心から楽しそうに「躍っている」人を、ほとんど見かけなくなり、どちらかと言うと、仲間内で、バーカンやフロアで話をしている人が多いだけのパーティーが、ここ数年、非常に増えた印象があります。


そのこと自体を「悪い」と言いたいのではありません。それも、立派なクラブの楽しみ方の一部であり、酒をたくさん飲んで、バーの売り上げに貢献する意味では、すごく大事なことです。


しかし、本来「クラブ」とは、どういう場所であったのか?

そのことを、今、私はあえて問い直したい。


それは、単に「昔は良かった」・「今のクラブシーンがダメだ」などと、一方的に言いたいわけではありません。いくら、私のような人間が「昔のクラブはもっと○○が○○で楽しかった」・「もっと○○が凄かった」などと熱く語ったところで、当時を知らない人からすれば、「ふーん、そうだったんだ」と言うくらいしかなく、さほど伝わらないし意味もないと思っています。もちろん、私自身も、自分がDJを始める前のシーンのことは、知識としてある程度知っているものの、実際には体験しておらず、分からないことも多いです。


逆に言うと、DJ・オーガナイザーを長くやっている現場の人たちの中には、その「昔はよかった」という懐古主義的な部分に、変にすがりついているところがあり、現在のEDMシーン等をナナメに見て、「あんなのはクラブじゃない」・「チャラ箱なんで認めない」と、頑なに否定する人も、多く見受けられます。


あえて、これから昔話も挟んでいくため、さっきと言ってることが違う!と思われる部分があるかもしれませんが。私が考える、本来のクラブのあるべき姿とは…


≪非日常かつ圧倒的な体験価値が得られる、刺激的な空間≫


それに尽きると思っています。


これは、昔話っぽい部分の話になりますが、私の経験から言わせていただくと、「今までに、見たことも聴いたこともない、刺激的な音や空間を体験できる場所」が【クラブ】であり、予定調和のない、DJ・アーティストが繰り広げる圧倒的な世界観が、オーディエンスに興奮と熱狂をもたらす、文字通りココロもカラダも「躍る」空間。


もっと端的に言えば、めちゃくちゃ「カッコイイ」場所でした。


それが、現在のクラブシーンの多くは、誤解を恐れずに言うと、どちらかといえばカラオケやライブに近く、有名アーティストの楽曲など、ヒットチャートを上からなぞり、予定調和を楽しむ場所。または、有名DJ・アーティストがステージに立つのを観にいく場所として機能しており、先ほど私の経験からイメージした【クラブ】には、ほとんど当てはまらなくなっています。


単純にここまで聞くと、「ほら、やっぱり昔のほうがよかったって話じゃないか!」と思われる方も多いでしょう。しかし、そうではありません。


これには、ふたつの側面があり、今後、福岡のクラブシーンを、より良き方向へ変革していくための、重要な要素がそこに込められています。


❶クラブカルチャーの根幹を成す「音箱」層が抱える課題点


まず、現在のクラブシーンを俯瞰して見たとき、先ほども触れましたが、俗に言う「チャラ箱」「ナンパ箱」などは、どちらかと言えば「予定調和」的な側面が強く、それがアンダーグラウンドなクラブシーンの発展に対する阻害要因のように捉えている、経歴の長いクラブ関係者が多いと思われます。しかし、その大半は、過去の経験則からくる「思い込み」に過ぎません。


単純に集客という面で見てみましょう。


実際にデータを取ったわけではないので、これは、あくまでこれまで見聞きした情報や経験から推測する感覚値ですが、いわゆる「チャラ箱」的な中・大型クラブのほうが、「音箱」と呼ばれる比較的アンダーグラウンド層が通う中・小規模のクラブよりも、圧倒的に集客力があり、キャパシティの問題も一部あるでしょうが、それを差し引いても、その差は歴然としています。


それが、何を示しているかというと、少なくとも、アンダーグラウンド層がナナメに見ている「チャラ箱」のほうが、皮肉にも、先ほど私が最初に指し示した…

≪非日常かつ圧倒的な体験価値が得られる、刺激的な空間≫

を、オーディエンスに対して提供できているということ。


言い換えると、「チャラ箱」に来ているお客さんのほうが、かたちはどうあれ、ココロもカラダも「躍っている」のです。だからこそ、単純に多くの人が足を運ぶのだと思います。


そのことを正しく認識していない、アンダーグラウンドな「音箱」層のDJ・アーティストの多くは、「彼らは、決して音楽を楽しんでいるのではない。我々は音楽を表現し、オーディエンスに届けることこそが使命だ。」と考え、自分たちのほうが本筋だ、という意識を強く持っています。


しかし、蓋を開けてみると、肝心のオーディエンスは、ココロもカラダも、とても「躍っている」状態にはなく、フロアにいてもバーカンにいても、単に仲間内の集まりとして、楽しく酒を飲んで喋っているだけ、というパーティーに終始している。


その象徴的なシーンとして、私が普段よく感じるのは、DJブース前で、踊るでもなく酒を飲みながら、ただじーっとDJのほうを見て、自分の好みの曲がかかったであろうときに、一緒にいる友人たちと「この曲ヤバい!」とは言うものの、特に踊るでもなく興奮するでもなく、その場に佇んだままの客。(推察するに、DJあるいはDJ経験者に、この傾向は強い)


※注※:もちろん、そうではない、素晴らしい体験価値を与えてくれるパーティー・クラブが、一部ではきちんと存在していることは、誤解のないようお伝えしておきます。あくまで、全体を俯瞰した場合の、平均的な話です。


先に、感染症の話をした背景はここにあり、「音箱」と言われるアンダーグラウンドシーンの人々は、本来、自身らのあるべき姿である、

≪非日常かつ圧倒的な体験価値が得られる、刺激的な空間≫

を、自分たちが構築できていないことに気づいておらず、「チャラ箱は悪」という、半ば思い込みに似た「ウイルス」に侵されていて、自分たちがそれに感染してしまっていることに気づかないまま、「自分たちのスタイルが本筋」という自分勝手な思い込みを抱えたまま、DJ・パーティーをしてしまっているという状態。


そして、それがまさに無症状(無意識)のまま、オーディエンスにも伝染し、自分たちが「躍っていない」ことに気づかないまま、今、足を運んでいる場所こそが本来のクラブであると、半ば思わされているという「市中感染」が広がっている状況にあり、このまま、その認知が広がってしまうと、いわゆる「オーバーシュート」状態となり、アンダーグラウンドシーンは、もはや修復不可能なレベルにまで凋落していってしまう危険すら孕んでいると、私自身は感じております。


ここまでの話ですと、私が、単にアンダーグラウンドのクラブシーンに対して強烈なダメ出しをしていて、「チャラ箱こそ正しい」と言ってるように聞こえるかもしれませんが、それも決してそうではありません。


❷クラブカルチャーにおける「価値」の定義と「分断」の構造


あえて、耳にタコができるくらい何度も言いますが、本来あるべきクラブの姿とは…

≪非日常かつ圧倒的な体験価値を得られる、刺激的な空間≫

であると、繰り返しお伝えしています。

これまでの言説だと、「アンダーグラウンドのクラブは、チャラ箱に倣うべき」という部分も、たしかに無いとは言い切れません。


クラブ事業者も商売である以上、イベントやパーティーに、より多くのオーディエンスを呼び込みたいのが本音であり、そのオーディエンスに、強烈な体験価値や熱狂をより多く与えているのは、結果として「チャラ箱」のほうであるというのも、数の上では揺るぎようのない事実です。


しかし、本当に私が伝えたいことは、そもそもの話、「音箱」・「チャラ箱」という区別自体がナンセンスであり、そのどちらも、本質的な部分で欠けているところが、ひとつだけあると感じています。


それは、オーディエンスが、刺激的で心から「カッコイイ!」と感じる、

【普遍的な価値】を持つものであるか、ということ。

言い換えれば「憧れの存在」とも言えましょう。


ちょっと表現が抽象的で伝わりにくいと思いますが、その「カッコイイ!」こそが、クラブの持つ本来の魅力であり、クラブシーンが、永く続いていくべき「カルチャー」として、最も重要な要素であると考えています。


もちろん、「カッコイイ!」の定義は人それぞれにあると思いますし、一概には言えませんが、それをあえて広義に解釈した表現として、常にその人にとっての憧れとなるべき【普遍的な価値】としています。それは、時として人や楽曲、クラブなどの場所であったりすると思います。


たとえば、私にとっての永遠の憧れは、日本のHOUSE MUSIC界のTOP DJであるDJ EMMAさんであり、彼のプレイには、常に刺激と感動を与え続けてもらっていて、今でも、私の中では常に「カッコイイ!」存在であり続けています。

また、東京・表参道にある「VENT」というクラブは、これまで私が行った中で、最もスタイリッシュで洗練された空間を持つ箱です。サウンドシステムも強力で、かつフロアのルームアコースティックにもこだわった、文字どおりの「カッコイイ!」お店です

※あくまでも、上記は私個人としての感想であり、ここを、すべての価値を測る基準とするものではありません。



少し昔話に戻りますが、バブル経済のもたらす好景気に沸いていた1980年後半~90年代、いわゆる「ディスコ」から「クラブ」へと移行していったとき。その大きな違いは、「クラブ」は、これまでに世の中に知られていなかった、先進的なファッションや音楽の発信源として、大きな役割を担っていたという点。


これまで、ある種の「予定調和」を楽しむ場所であった「ディスコ」の客は、まったく知らない音楽ばかりが流れるクラブを楽しむことができず、一部は離れていってしまいますが、その後、「クラブ」は、渋谷系をはじめとする音楽・ファッションの流行発信源として、人々に「カッコイイ」場所として広く認知されることになり、以後、多くアーティストの出現やその表現に、影響を与え続けています。


そして、90年代前半~中盤に、シーンは最高潮の盛り上がりを魅せ、東京では、芝浦GOLDに代表される、数千人規模の巨大クラブの出現へと繋がり、アンダーグラウンドカルチャーの中心しての地位を、不動のものにしていきました。バブル経済という、経済的にも狂った価値観が横行した時代背景も、その後押しをしていったと考えられます。


※その当時を知る上で、こちらの本をぜひ読んでいただきたい。私も、この本から、クラブシーン・HOUSE MUSICの歴史など、多くを知ることができました。(表示のお値段がエライことになってますが、中古本なら普通のお値段ですのでご安心を。)


2000年代に入り、音楽の所有形態が、レコード・CDからMP3等のデータへと移行。それと同時に、大量の楽曲の中から、自身の趣味趣向に合った音楽へアクセスしやすくするために、ジャンル分けと、その細分化が加速します。

それと同時に、事業者としての「クラブ」も、ある特定のジャンルに拘らず、多種多様なジャンルのパーティーが、同じひとつのハコで行われるようになり、パーティー自体の細分化も進みました。


それがもたらした影響として、パーティー単位では、よりニッチで強固なファン層を獲得できる反面、パーティーの細分化によるオーディエンスの細分化も進み、クラブ人口の上昇局面では、それが、各ジャンルにおけるシーンの醸成にうまく機能していたものの、昨今のクラブ人口減少に伴い、シーン全体として市場がシュリンクしている状況に、細分化による縦割り構造がある故に、そのことに、現場のほとんどの人たちが気づいていないのです。


前述の話で、「チャラ箱」は、たしかに、ある種の強烈で刺激的な体験価値を提供してはいますが、それは、ハコのサイズ感や設備・ゲストの知名度や動員人数などのスケールが醸し出す、「コマーシャル的」なものに依るところがあり、カルチャーとしての「カッコよさ」を追求したものではないものに、オーディエンスが熱狂しているという側面も、一部にはあります。

現に、TOP40などヒットチャートを賑わせている曲や、アーティスト本人の楽曲を強く求められる場面が多いことからも、そのことが伺えます。

対して、「音箱」の人々は、たしかに未知なるものの「カッコよさ」を追求した表現活動を行ってはいるものの、オーディエンスに、より非日常で刺激的な体験価値を与えようとする、ある種の「サービス精神」が欠けているために、なかなか集客が伸びず、自分たちのフィールドが思うように広がっていかないというジレンマを抱え、やがて、そのことと向き合うこともせずに、自分たちの表現に埋没してしまうという人やパーティーが多いようにも感じます。


ジャンル・パーティーの細分化による縦割りと、クラブ事業間における価値観の相違。これが、今まさに現場で起きている、


クラブカルチャーにおける「分断」です。


先ほども書きましたが、クラブカルチャーにおける「カッコよさ」の追求は、「音箱」「チャラ箱」問わず、普遍の価値として目指すべきものです。


一方は、その追求をする以前に、商業ベースでのスケール拡大によってシーンを構築してしまっており、必ずしも普遍的な価値を提供できていない。もう一方は、その追求に固執するあまり、スケールが広がらなくなり、更に、パーティーの細分化による縦割り構造が故に、その事実にシーン全体として気づいておらず、何も手当てができていないまま、徐々にシュリンクしてしまっている。


以上が、私が20年もの間、福岡のクラブシーンを俯瞰し続けて、今まさに実感している「現状」です。


❸【Fabric.fk】が、アフターコロナでのクラブカルチャーのために、果たしていくべき役割とは


そこで、私が愛する地元 福岡のクラブシーンに対して、提言したいことは、大きく2つあります。


Ⓐ現在のクラブオーディエンス・また、今後オーディエンスとなるであろう新たな客層に対して、

≪非日常かつ圧倒的な体験価値を得られる、刺激的な空間≫

としてのクラブ・パーティーを、いかにして作り上げていくべきか。ジャンル・パーティー等の垣根を超えた DJ・オーガナイザー・クラブ事業者(時にはお客さんも)を交え、建設的かつオープンな議論をしていくことで、シーン全体としての、本質的な価値観の共有と、ジャンル等による縦割り・分断を解き、より良い方向性を模索し、実現していける環境づくりをすること。


Ⓑクラブシーンを、今後発展・醸成していくために必要となる、シーンの維持・拡大に向けて、不可避かつあらゆる場面で問題となる「マネタイズ」の部分に対して、今後、どういったアクションを起こしていくべきか。経済的なあらゆる観点から議論し、『経済と音楽』という新たな考え方・価値観の下、シーンを再定義していくプラットフォームを構築すること。


そのムーブメントを、ここ福岡に起こすべく、私が立ち上げたのが…

【Fabric.fk】という、プラットフォーム的な「理念」です。


『Fabric』は、「織物・構造・組織」の意。様々な色や素材の糸が絡み合うことで、ひとつの織物が出来上がるように、多種多様なジャンル・業界の人と人とが絡み合い・協力し合うことにより、今までにない斬新かつ刺激的な価値観・コンテンツを生み出すことをイメージして命名しました。

『.fk』は、私が言わずとも、福岡在住の方であれば、お分かりいただけると思います。


※余談ですが、私の個人的な憧れのクラブでもある、LONDONの有名クラブ『fabric』へのオマージュも含みます。なぜ憧れなのか?ということについては、追ってお話しできればと思ってます。

あと、細かいですが、本場との区別をするため、【Fabric.fk】はアタマを大文字に変えております。すみません、余談中の余談でした…。


現在は、コロナショックの影響もあり、なかなか具体的なアクションが起こしにくい状況に陥っておりますが、逆に言えば、その分じっくりと時間をかけて、アイディアや戦略を練ったり、zoomなどの会議システムを利用すれば、数名でオンライン上にて集まって議論をすることも可能です。


アフターコロナが果たしていつ到来するのか、まだ先の見えない状況は続きますし、クラブ事業者やアーティストにも、かつてないほどの危機が迫っております。まずは、その局面を乗り越えるための不断の努力と、周囲からの継続的な共助が必要不可欠ですが、その先にあるアフターコロナの社会で、クラブシーンは今後どう発展していくべきか。その未来へむけた設計図を、志を同じくする方々と、ぜひつくっていきたいと、強く希望しております。


長文かつ駄文にて、大変失礼しました。


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