病床の天井、泣きじゃくる娘、点滴袋……。
さっきまでそんなものが見えていたのに、次に私の目に映ったのは助産師の顔だった。
彼女は「よ〜しよ〜し」と言って、笑っていた。
私は大声で泣いていて、自分で止めることはできなかった。

「元気な女の子ですよ〜」
助産師の言葉に、分娩台の娘は安堵の表情を浮かべた。
私もほんとうは「よく頑張ったね」と言ってやりたかったけれど、心にしまっておいた。

どれくらい意識を失っていたのだろう——。

まさか転生先が、自分の娘の子どもだなんて思ってもみなかった。
記憶の中では、さっきまで大泣きしながら私を看取った大学生が、今や大人になり、今度は私に微笑んでいる。

確か生前、生前というのが正しいかわからないけれど、最後に行った占いで「来世は餃子です」と告げられたのに。
まさか人として誕生し、こんな身近なところでもう一度人生を始められるなんて、幸運にもほどがある。
もしかしたら途中の記憶がないだけで、いちど餃子になり、短い生を全うしたのかもしれないけれど……。


「いい子でちゅね〜」
娘の腕のなか、私は泣き止んだ。
「いないいない、ばあ!」
「まだ早いわよ」
「え、じゃあ高い高いは?」
「早いに決まってるでしょ」
「ちぇ。練習したのに」
娘の旦那はひょうきんな人のようだ。
笑っている娘を見ると、仲の良さが伝わってくる。

「レオちゃん、お父さんだよ〜」
私はそんな言葉に、少し微笑んでみた。
すると二人に笑顔が広がった。
私のネームプレートには『礼央』と書かれていたので、私の名前から一文字とったのだとすぐにわかった。


新生児室からうちに帰ると、私の遺影の隣に夫のものも並んでいた。
記憶より老けていたので、長生きしたみたいだ。
私が染めたデニムのシャツを着ていて嬉しかった。
ボロボロになっていたので、愛用してくれたんだとわかった。
もっとたくさん染めてあげればよかった。

「お父さんお母さん、遅ばせながら、私もお母さんになりました」
娘はそう言って、私たちの遺影に私を見せた。
「二人の孫の、礼央ちゃんです」
私がまだ生きていたら、何て声をかけただろう。
「おばあちゃんにしてくれてありがとう」とでも言っただろうか。

そのとき、生前、近所の神社で『親に孫の顔を見せてやりたい 大文字恭子』と書かれた絵馬を発見したのを思い出した。
これは娘が書いたものだ。
彼女は仕事の傍ら、家族に内緒で小説を書いていて、そのペンネームが『大文字』だった。
たまたま小さな賞を取ったときの封筒を見つけて知っていたのだ。

私も願いを書き、娘の絵馬に重ねておいた。
『孫の顔を見てやりたい 大原礼子』と——。

それからの記憶はあまりない。
入退院を繰り返しながら病魔と戦い、力尽きた。
大学を休んで病室に来てくれた娘には感謝しかない。
夫は仕事の都合で来れなかったけれど、容態が急変してしまったので仕方ない。
まあ本当は、会いたかったけれど……。


それから私はすくすくと育った。
娘は毎日おっぱいを飲ませてくれたし、旦那は育休をとり、毎日遊んでくれた。
本気の『高い高い』も味わった。
私が笑うと、みんなが笑った。
娘には「いい人見つけたわね」と、旦那には「娘をよろしくね」と心の中で呟いた。


ハイハイを習得すると、色んな部屋に旅に出た。
もともと私の部屋だったところには、そのまま私のコタツが置いてあった。
今は誰が使っているのだろう。
私はまだあまり力の入らない体でなんとか机の上によじ登った。
そこにはたくさんの本が積まれていていた。
『0歳から始める英才教育』『頭のいい子が育つ英語の歌』などのタイトルには、少しゾッとした。
でもまあ、私も娘が幼いとき、英語の歌を聞かせてたな……。
やっぱり彼女は私の娘だ。

私は生まれて初めてのいたずらをしてやろうと、一冊づつ本をつかみ、机の上から放り投げた。
やっぱり握力はとてつもなく低下していて、あまり遠くに飛ばなかった。

そして4冊目を手に取ったときだった。
本の表紙には『夕立の朝 —大文字恭子エッセイ集』と書かれていた。
ああ。よかった。
恭子、頑張ったんだね。
夢が叶ったんだね。
私は涙をこぼしそうになったけれど、まだ大声で泣くことしか出来ないので、なんとか歯を食いしばった。

パラパラとめくってみる。
それは私との記録のようなエッセイだった。
「来世が餃子」と言われ大笑いしたこと、絵馬を書いた数日後に私の絵馬を発見し驚いたことなど、細かく書かれていた。
こんなに文章がうまかったとは知らなかった。

驚いたのは、私の亡くなった朝に夕立が降ったと書いていたことだった。
そんなことは記憶になかった。
私は月のきれいな夜に、娘に看取られて亡くなったはずだ。
肉体だけがまだ生きていたということだろうか。
そしてなんと娘だけではなく、夫も私を看取ってくれたらしい。
そのとき彼は私に「来世も一緒になろうな」と泣きながら言い、私はかすかに頷いたそうだ。
あなた。
来てくれたんだね。
その事実が嬉しくて、また大声で泣いてしまいそうになった。

そのとき「コジロウ、赤ちゃんだよ〜」と言いながら、小型犬を抱えた娘が部屋に入って来た。
私の知らないあいだにチワワを飼い始めたようだ。

私は娘の本を見ていたのがバレないよう、「あたぁ〜」と叫び、机の上を荒らした。
娘は「こらこら! 悪い子でちゅね〜」と、本を直し始めた。

チワワは私のいるコタツの机によじ登り、「くうん」と鳴いたあと、鼻息荒く私のほっぺを舐め始めた。
私がなんとか抵抗すると、チワワは私の体に擦り寄り、私を見つめた。
その体からほのかに、インディゴの香りがした。

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