猫とココナッツ
バンコクのココナッツファームに見学に来ている。
農園にはココヤシが並び、ココナッツが大きく実をつけている。
一帯はジャングル化しており、いろんな鳥の声が聞こえてきて楽しい。
「ニャー」
え、猫?
「ニャーニャー」
また聞こえた。
猫好きとしては気になるが、見渡しても姿は確認できない。
「ニャオーン」
上だ!
上から聞こえる!
見上げると、緑のココナッツから猫が顔を出していた。
「え、あれは?」
『あれはネコナッツです。ここには一本だけ木があるんですよ』
「ネ、ネコナッツ?」
ガイドが当たり前のように、そう言った。
驚いたけれど、実際に目の前にいるので、いったん受け入れるしかない。
『ええ。タイで有名なシャム猫は、昔から王室や寺院など、高貴な血筋でのみ飼うことが許されていました。その昔、王様がたいそう愛した猫がいて、その猫はお腹に赤ちゃんがいるときにゾウに踏まれて亡くなってしまったそうです。
そこで王様は涙ながら、よく爪を研いでいたココヤシの横に愛猫を埋葬しました。その翌年、猫の果実を実らせたのだとか』
信じられるわけがない。
伝承や伝説の類だろうか……。
『それ以来、ネコナッツは王様の愛猫の子孫として、タイで神聖な植物および動物として扱われてきました。
硬いココナッツで覆われているのは、もしまたゾウに踏まれても大丈夫なようにだと言われています。もう王様に辛い思いをさせたくないという猫の気持ちの表れでしょう』
「それって本当なんですか?」
『本当かどうかわかりませんが、そう信じられています。ですので事実というより、真実ってところですね』
私は科学的な説明を求めたかったが、こんな神秘的な体験に水をさしたくないのでグッと我慢した。
ガイドの説明はさらに続く。
『ちなみに木に成ってるあの子たちは、まだ熟れてないコネコナッツです。緑の実からひょこっと顔を出して可愛いですよね』
そう言うと彼は、職員らしきタイ人に合図を送った。
すると奥からコネコナッツを抱いた農園スタッフがやってきた。
『さあ、撫でてみてください』
おそるおそる手を差し出す。
猫は私の手を一度舐めただけで、そっぽを向いた。
ん〜、いかにも猫だ。
『では、飲んでみます?』
「え? ネコナッツを? そんなこと可能なんですか?」
『ええ』
私が戸惑っていると、スタッフはためらいもなくコネコナッツの背中をナイフで削り、ストローをさした。
だから飲むしかなかった。
う〜ん。
ココナッツジュースと変わらない。
『味は普通ですよ。猫とココナッツの混血じゃなくて、あくまで殻に入って生まれてきてるだけですから。構造でいうと、猫の周りに液体があり、さらにその周りに殻があります』
私が飲んでいるあいだ、緑の殻につつまれた猫は何も気にしていない様子であくびをしていた。
『それでは成熟したネコナッツを見に行きましょう』
スタッフについて別のエリアまで歩くと、茶色いココナッツに包まれた猫が歩いていた。
ちょこんと飛び出た手足が可愛い。
『猫とココナッツは同時に成長するので、猫は大きく、ココナッツは緑から茶色になるんですよ、お〜い』
ガイドが呼んでも、ネコナッツは見向きもせずに歩いている。
さすがに果実ごと歩くのは重いのか、俊敏さは全くもって感じられない。
これでは得意の壁ジャンプや、高所からの着地に支障をきたしそうだ。
それに何より、あのポーカーフェイスの顔が疲れてみえる。
失礼ながら私には、ココナッツの殻が罰ゲームのように思えた。
さらに歩くとヒーターかストーブのようなものがあり、数匹のネコナッツが丸くなっていた。
コタツで丸くなるのと同じ現象に思えたが、ぜんぜん違った。
『あれは、ドライネコナッツになるのを待ってるんですよ』
「えええ? 猫が干物に?」
『あはは、ご心配なく。乾燥するのはココナッツだけ。猫は殻が全て剥がれ落ちると、普通の猫として生きていきます』
それを聞いて安心した。
本当にただ殻がついて生まれてくるだけなんだな……。
私はホテルに帰ると写真を整理し、一連の奇妙な出来事をSNSに投稿した。
生まれで初めてバズった。
やはり猫の持つパワーはすごい。
なかでも『ココナッツの殻はゾウに踏まれても大丈夫なよう』『王様を二度と悲しませないよう』という最も伝説に満ちた部分に注目が集まり、『神秘的だ!』といった感想が多く届いた。
さらには『私も驚きましたw』『ここパワースポットですよ』などの意見ももらえた。
否定的なものは見当たらなかったので、私が心のどこかで少し不安に思っていた動物実験的な可能性はないのだろう。
ああ、まだまだ私の知らない世界はあるんだな。
ここに来れてよかった。
そんな思いでバンコクの床に着いた。
しかし、まさか翌日、伝説を打ち砕く光景を目にするとは思わなかった。
なんと動物園のショーで、ゾウがココナッツの実を踏み潰していたのだ。
「話が違うじゃねえか!」
私はココナッツが割れる姿を見ながら、何度もそう呟やいた。
あまりの怪力に拍手が起こっていた。
ネコナッツの生誕の謎は深まるばかりだ……。
面白いもの書きます!