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二人の黒人女性に学ぶ「生きること」の本質と、私たちが取り組むべきこと

この文章は私のInstagramに書いたコラムを一部編集して転載しています。

先日東京オリンピックで、アメリカ体操女子のシモーネ・バイルズ選手がメンタルヘルスを理由に個人戦と団体戦両方を棄権した時のこと。

あーまたヤフコメ欄が、理解のない日本人たちで大荒れしてるんじゃないかと思ってチェックしに行ったところ、意外にもメンタルヘルスに理解を示し、彼女の勇気を讃える人が多かったんです。いい驚きでした。

去年、大坂なおみ 選手が Black Lives Matter についてみんなで立ち止まって考えるべきだとして、NYで開催されたウエスタン・アンド・サザン・オープンで試合棄権の意向を示した際、そして今年全仏オープンでメンタルヘルスを理由に棄権した際、いずれも日本人の多くはそれに理解を示さないどころか、本当に辛辣な言葉を投げかけましたよね。それはそれはひどいバッシングだった。どうか彼女に届かないでって思ったけど、海外メディアがヤフコメの反応を拾って英語で記事にしたりしていて拡散されたので、本当に日本人として恥ずかしかった。

そこから学んだのか、或いはそこでバッシングしていた人たちはアメリカ人であるバイルズ選手のニュースには興味すら示さなかったのか、いずれにせよ、目も当てられない醜悪なバッシングの嵐だと本当に日本人としても人間としても辛すぎるので、そういうコメントで溢れることにならなくて良かったという話です。いや、良くはないけど。

ま、それは置いといて。

人権問題に関係ない人はいない

まだオリンピック終わってないですが、今回の五輪って本当に色々ありましたよね。最初からひとつずつ起こったことを挙げるとキリがないけれど、ホロコースト問題で終わりかと思ったら、セネガル人パーカッショニストの方の話や、竹中直人の話まで、燃料しかないのかな?という状態。

So ashamed. I feel good that I’m no longer performing at the Tokyo Olympic Opening Ceremony👍🏽 Proud to be black 🙌🏾✌🏽✌🏽🇸🇳...

Posted by Latyr Sy on Thursday, July 22, 2021


「五輪で日本人の人権意識の低さが露呈し・・・」という書き方をよく見るけど、実際は日本人自身が五輪を通してその現実を突きつけられたという方が正しいかもしれない。

日本の人権意識の低さは昔からですよね。純日本人と呼ばれる人たちが圧倒的マジョリティの島国日本で、インターネットも今ほど発達していないテレビが主要メディアだった時代は、ブラックフェイス(黒塗り)やら、女性を性的対象にしたような番組は一般的でしたし、批判があったとしても今のようにTwitterなどですぐさま海外に届くことはなかったですし、有耶無耶にしてきたところが大きかったです。ですが、日本長く住んでいる外国人はその感覚をずっと疑問視してきた人や、実際に差別を受けてきた人も多くいるので、「いまさら何も驚かない」というコメントを私の周りでも耳にします。

人権問題って、女性蔑視にせよ障がい者差別にせよ人種差別にせよ何にせよ、「共感しようとすること」そして「自分自身を教育すること」を意識的に続けてくしかなくて。断言できますが、自発的に知ろうとしないと、理解するのは絶対無理です感覚やイメージで反論する人やエゴを押し付ける人ほどズレているので、マイノリティや弱者、被差別側じゃないのであれば、学び続けなきゃだめです。私も学び続けます。

そして自分の特権に気づくことですよね。特権って言ったらお金持ちとか権力があるという意味だと思って、自分にはそんな物無いと言う人もいますが(だから勉強してよって話)そういうことではなく、男性と女性なら男性だし、健常者と障害者だったら健常者だし、日本にいるなら日本人というだけで特権側、シスジェンダー、ヘテロセクシュアル、高学歴、高所得、それらは全て特権側。特権側は「生きやすい」人たちだから、不平等や不利益を被っている人に気付きにくいのは当然なんですが、まずはそこに目を向けないと何も始まらないです。

そして特権側は往々にして、その不平等な状況を打開するポテンシャルがあるので、マイノリティ側が訴えるだけで変わらない現状を一緒に変えていけるように、その特権を使って欲しいです。
逆に「自分には関係ない」と目を背けると、そのネガティブな力も大きく作用するので、マイノリティの声をかき消してしまいます。無視することは簡単ですが、それを特権側がやってしまうと問題は解決に向かいません。

メンタルヘルスは、もっと身近なもの

もしあなたが、大坂なおみ選手やバイルズ選手の行動が「甘え」だとか「責任感がない」「自己中」と思うのであれば、あなたはご自身の考えをアップデートするべきかも知れません。その考えで今まで生きてきたのであれば、きっとさまざまなプレッシャーやストレスを溜めて、心が不健康な状態で生きてきたのではと想像します。

特に集団を重んじて生きている日本人の特徴として「和を乱さない」とか「期待に応える」「恩を返す」というような外的なモチベーションから頑張り過ぎてしまう傾向が大きくありますよね。実際、以前大坂なおみ選手が棄権した際に寄せられたバッシングも、これらの考えが根本にあるんだろうと思わせるものが多かったです。

私も、彼女らよりもだいぶ上の世代なので、「なんで自分はこんなに弱いんだ」と自己嫌悪しつつ自分で自分のお尻を叩いてなんとかプレッシャーやストレスと折り合いをつけつつ頑張る昭和的な根性と精神論に完全に支配されていました。多くの人がそうだと思います。

自分の状態を知り、尊重すること。それは生きること

自分自身を労ること、自分のコンディションに耳を傾けるだけでなく「尊重してあげること」。それは長い目で見ると、「生きること」だよなと今は思います。彼女たちが繊細だったりメンタルが弱いのではないんですよ。テニスや体操が人生の全てではないし、最後に自分を心身共に守れるものは自分しかいないという本質を理解しているだけ。そしてそれを訴える勇気がある。これって、周りからの重圧が大きい人ほど、言い出すのに大きな勇気がいることですよね。だから、彼女たちが多くのアスリートに讃えられているんですよね。

それを実行したのが若い二人の黒人女性ということに、私は尊敬と感謝の気持ちでいっぱいなんです。

体操の白井健三選手は、怪我しながらも騙し騙し試合に出続けて24歳の若さで今年引退しました。(オリンピックで見れると思ってたら出てなかったので気になって調べた)そして彼はバイルズ選手の決断に心から敬意を表していました。そのツイートを見て私は色々と考えさせられましたよ。

自分の人生は自分で舵取りしていい

そりゃ、自分の人生だし当たり前のことではあるのですが。

「こうだからこうしなきゃ」
「これじゃだめだ」

そう思う理由は?突き詰めて考えたときに、自分の欲求なのか周りからの期待なのか、そしてその二つに乖離が無いかどうかは、いつも冷静になって考える必要があります。志を高く持つのはとてもいいことですし、自分自身がそう有りたいと思うところへ努力をする姿は人間として、生き様として、素晴らしいことであり、自然なことでもあると思います。

「自分で舵取りしていい」というのは、自分の生きたいように辛いことを避けて生きるということではなく、もっと長い目で自分の人生を見つめながら自分のための責任ある選択をするということなのだと思います。

私自身、本当にやりたいことがあるにも関わらず、最優先にする勇気や責任が持てず、目の前の仕事やチャンスにその場その場で飛びついてしまう人生なので、彼女らからは学ぶことばかりです。

おしまい😇





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