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12_お金が本当にゼロになったら、お金をもらった

ホームレス社長のテーマは「人とのつながりで生活する」というもの。多くの人とつながることで、生活ができるのかどうかを自分自身を使って実験をしたのだ。なので、決して「お金を使わずに生きる」ということに焦点を当てていたわけではない。言い訳のように聞こえるが、言い訳ではない。本当にそうだったのだ。でも、僕のなかで「人と生きる」というのは「お金で生きる」ということのアンチテーゼのような感じでもあったので、確かに自然とお金を使わないような生活にシフトしていった。

しかし、現実はそうも簡単ではなかった。いくらヒモとして生活をする、と言えどもあまり人に迷惑をかけることもできない。そうしないと、友達がいなくなってしまう。

例えば、ホームレス社長の主テーマである「500人のチェンジメーカーに会う」ということについて考えてみる。人に会う、しかし僕は招待する家がない。となると、必然的に公共の場所ということになる。「こんな場所があるんだよ。すごく落ち着いてるし、良ければここでお茶しない?」などという適当な言い訳をしながら、コーヒーが安いところ、自分で水などが持ち込める場所、などと毎日工夫をしながら人と会ってきた。コーヒー代って本当にばかにならないもの。一度、相手が場所を指定してきたので、そこに行った。「タイチ、好きなの食いなよ!」と言ったので、ラッキーと思い本当に好きなのを食べた。値段等気にせず。そしたら、会計時になって「オレは、これとこれを食べたからタイチの支払いはここ分だね」と言い出した。え?おごってくれるんじゃないの?実は、彼の真意は「オレ、お腹すいてるから食べようっと。初対面だからって気にするなよ。”好きなの食えよ!”」ということだったらしい。この一件以来、相手の指定された場所にいくのが怖くなってしまい、なるべく時間を割いて場所を探すようになった。

しかし、このようなことをしていても限界は来る。事実、自身の会社のランニングコスト(ウェブ管理費、など)も日々削られていた。ホームレス社長を始めるきっかけになったとき、家賃が払えないぐらいお金がなくなった。そして、今回本当に目の前の生活に支障を来すぐらいお金がなくなってきた。家賃やご飯は、案外なんとかなってきている。本当にみんなに感謝している。しかし、いよいよヤバい。全くないと、助けてくれる人にまず会えなくなる。一歩も出れない。どうしよう。久しぶりに焦って泣いた。涙が止まらんかった。まわりがお金の話をするだけで、決して僕のことを攻めてもいないのに、ただただ自己嫌悪のようなものに陥った。悔しかったのか、なんなのか。ただ焦りから涙が止まらない日々が続いた。

しかし、不思議なものでここまで来ても「よし。しょうがない。プロジェクトが崩れるけど、こっそり黙ってバイトをして少し工面しよう」などという気持ちに全くならなかった。「働きたくない!」と声を高々にして叫ぶニートの気持ちがすごく分かった。しかし、ニートとの違いは、僕には家が無い。ゆっくり潜伏するべき家がないのだ。どうにでもこうにでも外をウロウロしないといけない。でもお金を稼ぐためだけに働きたくない。僕は、決めたんだ!このホームレス社長という企画は、基本的に「人と生きる」ことの実験であり、「お金で生きる」ことの反対をやるというもの。これをやり切るんだ。

そこで一大決心をし、恥をもかきすて人つの行動に出た。

「お金を貸してください」

ついに言ってしまった。送る文面は、既に1週間前ぐらいまでにできていた。しかし、なかなか送れなかった。それは、今までの関係を壊す可能性を多いに秘めていたからだろう。お金の怖さを感じた。しかも、全くの赤の他人にお金を貸してくださいだなんて。しかし、もやもやしながら一週間考え抜いたが、最終的に一大決心をし、メールをさせてもらうことにした。

「実は、僕の資金がもう残り1万円を切ってしまいました。企業とのコラボの話も少しずつでてきてはいますが、時間がかかりそうですし、確証が取れていません。もしも宜しければ、お金を貸していただけないでしょうか。無理も承知、恥ずかしさも承知でお願いをさせて頂いているのですが、必ずやこの旅を立派に終わらせて、上田さんに誇れる男になって日本に帰ります。どうかお話だけでも聞いていただけないでしょうか?」

メール送信から数時間後、返信が!

「話聞くよ!ちょっと今は忙しいから、月曜か火曜はどう?」

本当にこのメールを受け取った時は涙が出た。嬉しかった。相談相手は、大ヒット書籍『日本人にしかできない「気づかい」の習慣 - ディズニーと三越で学んできた』 の著者 上田比呂志さん。以前、一度だけお会いさせて頂いており、そのときから「何かいしょにやりたいねー」と声をかけてくれていた方だった。

そして、上田さんとお話をした当日、少し緊張していたが、思いの丈を伝えた。ウソなどは一切つかず、とにかく思ったことをそのままだ。

「お金は貸さないよ!」

最初はこう言われたことをはっきり覚えている。そして、上田さんはこう続けた。

「お金をただで貸すのは、おれのポリシーに反するんだ。過去にも痛い思い出もあるし、何よりもタイチのためにならない。だから、なにかオレのために働いてくれ。その対価でタイチの必要な分だけ振り込むよ。」
1番最高のやりかたでお金を貸してくれた。

「ありがとうございます!!ありがとうございます!!はい、ぜひとも仕事をさせてください!」

ここで決まったことは、ロンドンでの彼の講演会のプロデュースだった。本当に色々と粗相も多かったし、実際僕がこうやってお金をもらって、さらに僕より武器を持っているチームメンバーに囲まれながら、仕事をするというのは忍びなさ過ぎた。しかし、やるしかない。これで仕事をするのが嫌でこの案件を断るのはただのばかたれだ。できることとは、僕はとにかく体を使って色々なことを取り付けていくことだ。最初にチームメンバーにも事情を説明させてもらい、仕事をした。

僕はホームレス社長として生き抜く決意をした。だから、お金のためには働きたくないと本気で思った。なので、恥も承知で上田さんにお願いさせていただいた。結果、働くことになった。しかし、とても気持ちがよかった。働くという意味自体が、あたりまえのように定義されていたのだが、実は多方面から見ることができるただの現象にしか過ぎないのだ、ということが分かった。

上田さんには、ほんとうに感謝をしてもしきれない命の恩人である。人と生きるというのは、決してお金と生きるということのアンチテーゼではなく、つながっている。ただただこのお金というものに塗られた色をじぶんの色に変えて使うことが重要なのだ。

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株式会社sakasa | sakasa inc.

クリエイティブディレクター | Creative Director

藤本太一 | TAICHI FUJIMOTO

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